【日記】下を向いて歩こう
🎵したを向ぅいて、あぁるこうぉぉよ。
なみだが……こぼれてきます。
(「あふれる」と「こぼれる」って「溢れる」で同じ漢字なんだね。知らなかった。汗)
下を向いて歩くのは、涙もそうだけれど鼻腔が詰まり気味で息苦しいのです。
それと前がよく見えなくて怖いです。
さて、私がなぜ下を向いて歩いているのかというと、実は先日、網膜剥離の手術を受けまして、術後はとにかく顔を下に向けて過ごさねばならないとの事なのです。
ーーなんでも、眼球のゼリー状の部分を水に変えて周りを水で満たし、そこにガスを注入してガスの浮力を利用して網膜を貼り付けるのだそうです。割としっかり説明を受けたのだけれどよく分かりませんでした。ーー
何をするにも下向き。
寝る時もうつ伏せで……、
というよりも顔を下に向けて。
おかげで首や腰が中々痛いのです。
うつ伏せで眠る事はたまにあるけれど、顔を下に向けて眠る事なんてまずない。
病院によっては下向きで眠るための専用枕やクッションを用意している所もあるそうですが、私の入院している病院にはそういった物は一切無いそうで、枕を幾つか用意して貰い毎晩ちょうどいい就寝姿勢を試行錯誤しているところです。
手術は無事に終了した様で(成功したのかな?)術後の経過は良好(これもよく分からない。)の様です。
というのも、痛みは大分落ち着いてきたものの処置した目はほぼ見えていない状態で、術前に視界の欠損していた部分が陰になって残っている様に感じるのです。
これが徐々に解消されていくのか、或いは手術の後遺症として残るのか、又はちゃんと接着出来ずに再手術なんて事になってしまうのか……。
現状ではよくわかりません。
でも一つ確実に言いたいのは「再手術はとても嫌」という事です。
(本当は「絶対に嫌だ」と言いたい所なのだけれど、「絶対」という言葉を軽々しく使わない様に心掛けてるこの頃なのです。)
網膜剥離の手術は中々の恐怖体験でした。
麻酔をかけられているので痛みはあまり無いものの、処置を受ける目は見えたままの状態で手順が進んでいきます。
カッターが迫ってきたり黒い棒がチリチリ言いながら目の前を細かく移動していたり、眼球の片側をぐいっと押し込まれて視界がぐらりと歪んだり……。
眼球の奥の方に器具が入る時?は中々強い痛みも伴いました。
終始からだは強張り、手術室を出る頃には全身からの汗で術衣がびしょ濡れでした。
涼しい部屋の中で体を動かす事なく、こんなにも汗をかいたのは生まれて初めての経験です。
「天敵に睨まれた小動物の気分はこんな感じなのかな。」などと思った次第です。
今は大分落ち着いているものの身体が元気な分、時間の過ごし方には少し戸惑います。
1時間に2〜3回、看護師さんが状態確認や様々な目薬や点滴を打ちにきてくれます。
現状はこんな感じです。
心配してくれた皆さん、応援メッセくれた皆さん、ありがとうございます。
まだ退院がいつになるか分かりませんが、割と元気です。
入院までの経緯
12/6:視界に違和感を覚える
6日の仕事中に「やたらと前髪が落ちて来るな」と感じていたんだよね。
よくよく考えてみると毛にしては異様に太いし、飲食店勤務なので、就業中は頭髪をネットで包んでその上から帽子を被っている為に前髪が目にかかる事はそうそう無い。
(でも面白いもので、視界にクッキリとした線が見えると反射的に髪の毛だと思っちゃうんだよね。髪の毛のない人だと又違うイメージを持つのかな。)
ようやく「あ、これは目に異物が見えてるんだ」とは思ったものの、特に痛みや辛さは無かったのでとりあえずそのまま仕事を続けた。
するとある時、後頭部に痺れが走って一瞬右目が暗くなった様に感じた。
さすがにこのときは少し焦って、立ち止まり、呼吸を整え、様子を伺ってみた。
そうしているうちに視界は段々と元に戻り、幾らかの異物は見えていたものの当初に比べるとだいぶ薄くなってきたのでそのまま仕事を続けた。
「多分これは飛蚊症なのだろう」と思い、この日は様子を見る事にした。
12/7:冠婚葬祭に出かける
7日は親しい人との約束があり式場に出かけた。
相変わらず飛蚊症的な異物は見えていたものの、そこまで色濃いものでは無かったので特に気にしなかった。
夕方になると少し量が増えた様に感じられて、疲れのせいか頭痛も始まった。
同席している人たちが気を遣って話しかけてくれたのだけれど、あまり頭が働かずにまともな会話ができなかった様に感じる。申し訳ない事をした。
12/8:症状が深刻化する
8日は昼前からの長時間勤務の予定。
前日は就寝時間が相当遅く、あまり睡眠を摂らずに出勤した。
夕方までは相変わらずの状態だったのだけれど、夜に差し掛かる頃、ふと気づく。
「右目の左端に影がある。」
最初は、瞼の上から目を強く押し込んだ時に見える残像の様な感じで薄い影だったのだけれど、終業して帰る頃には視界の1/3が欠損している状態となっていた。
自分では「多分大丈夫だろう」と思っていたものの「もしかしたら」があるかも知れないので、念のためパト子には伝えておこうと連絡してみる。(パト子とは私のパートナーの事です。いずれ公表するからね。)
するとパト子は「仕事を休んで病院に行け」としつこく勧めてきた。それはもうしつこく。
8日は金曜日で、土曜日曜は長時間勤務の予定。しかも十分な人数ではないであろうシフトに穴を開けるのがどうしても嫌で、「月曜日になってもひどい様なら病院に行こうかな」と僕は思っていた。
パト子は僕の話には一向に納得せず「病院行け」の一点張り。
仕事を休む気のない僕は少し面倒になり「行けたら行くね。」と軽めに流そうとすると、何時にどの病院に行くか尋ねて来る。
仕方なく、土曜の朝からやってる地元の眼科を見つけて、幸いそこは予約不要だったので出勤前に受診する事にした。
朝に病名だけ軽く聞き、薬や治療は後日にして、とりあえずその日は出勤しようと思ってたんだよね。
12/9:受診
いつもより早起きをして病院に行くと、朝一で行ったせいか2番目に入れた。
ーー田舎の病院は開院前からたくさんのお爺さんお婆さんが並ぶんだよね。早いところは6:30くらいからひとが並ぶ病院もあるらしい。今回は運が良かったのかな。ーー
「出来るだけ早めに検査を終えて欲しいな」などと思いつつ基本的な検査を受け、そのあとに先生の診療を受けると「網膜が剥がれてるね。これはもう出来るだけ早めに手術しないとダメ。」と衝撃の内容。
「網膜に大きな穴が開いて、それを硝子体が引っ張って網膜を剥がしている」との事だった。
色々説明は受けたけれど目の知識なんて全く無いのでよく分からなかった。
「少しの衝撃でも剥離が進行するからとにかくあまり動かない様に。」と言われ「はい。」と頷くと、「頷くのもやめた方がいい。頭をあまり動かさないで。」とまで言われ、ここで初めて状況の深刻さを実感した。
その病院では手術が出来ないので大きな病院の紹介状を書いてもらい、病院の休みが明ける月曜日にそちらの病院に行く事になった。
これはパト子に感謝しないとな。
危うく失明するところだった。
それにしても、くも膜下の時もちょうどこの時期。何かあるのかな。寒くなり始めて体調が悪くなりやすいとかなのかな。
くも膜下にしても網膜剥離にしても、いきなり深刻なやつがくる。
しかも症状としては「まだ大丈夫だろう」と思わせておいて、実際には中々に急を要する状況なのだから、身体のことは本当によく分からない。
12/9〜10:安静
「あまり動くな」との事なのでとりあえず横になって過ごしてみる。
「人間ってこんなに眠れるんだな」と驚く程にひたすら寝ていたのだけれど、11日は頭痛があまりにキツくて悶絶してた。ここまで痛いのは、くも膜下の術後の集中治療室以来かも知れない。
12/11:総合病院に行く
朝一番で病院に向かい、改めて一通りの検査を受け翌日には手術する事となった。
ここでの診察では左目の網膜にも穴が開いている事がわかり、こちらはレーザー治療する事になるらしい。
レントゲンや心電図に結構な待ち時間があったんだけれど、待合室には待ち時間に怒って文句を言ってるお爺さんがいた。
若い事務員に、同じ様な内容の話を何回も繰り返して高圧的に叱りつけてる。気持ちが分からない訳ではないけれど、少ししつこい。
その子の業務を差し止めることでさらに待ち時間が増えるんだよ。
僕は「老害」という言葉が大嫌いだし高齢者を尊敬したいとも思うのだけれど、とても尊敬など出来ない様な人が多いのも確かなのだ。
悲しい現実です。
帰宅後には必要書類や入院の支度を済ませて就寝。頭痛は幾分楽になっていた。
さて、今日はこの辺りで。
次は手術の事などを書こうかな。
今回、僕が経験している網膜剥離は原因がよくわからないんだよね。
目が弱いのかも知れないし、過労か老化なのかも知れないけれど、衝撃などの直接的な原因が見当たらないんだよ。
みんなも気をつけてね。
僕もそうなんだけれど、スマホを見る時間って思いの外多いんだよね。きっと目にダメージが蓄積する要因の一つだと思うんだ。
仕事でモニターを長時間見る人や、長時間の運転などで目に緊張を強いる人も目の疲労は大きいのだと思う。
網膜剥離は再発したり後遺症が出やすいらしいし、何より手術が怖い。
みんな本当に気をつけてね。