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チーズフォンデュ

その日
チーズフォンデュをしようと言いだしたのは夫のジェイだ。

少し前、近所のHome hardware のチラシにフォンデュ鍋のセールが載っているのをジェイが見つけて私が買いに行った。

夫は車椅子で在宅緩和ケアに入っていた時だ。

買ってきた小ぶりのフォンデュ鍋はふたり分に丁度いい大きさで、一度チーズフォンデュをした後、すぐまたチョコレートフォンデュにも使って
私たちはそれをとても気に入っていた。

急激に落ちたジェイの体調は一旦嘘のように回復する。
そんなアップダウンを繰り返しながら下って行く。
余命長くて1年を言い渡されていたが
その頃はその1年をすでに超えていた。

この間のチーズフォンデュ美味しかったよね

フォンデュ鍋をキッチンの引き出しから取り出して私が言う。

チーズは何がいい?

この間は何を使った?
違うので試してみよう
とジェイ。

病に倒れてなお、美味しい食探求への姿勢は変わらなかった。
(マヨラーでしたけど・笑)

エメンタールとグリュイエール?
野菜は何があったかな

パンもいる?
エビもね

そんな食材の算段をしていると
私たちは当たり前のように
昨日を生きて
今日を生きて
そして明日も
その次の日も
生きていくかのようだった。


大皿に食材が所狭しと並ぶ。
2人分にしてはちょっと多すぎたかしら。

とろとろになったチーズにジェイはまず
くし切りの玉ねぎを突っ込んだ。
おお、それから行きましたか
じゃあ私はカリフラワーで。
次はパプリカ
私は蒸しジャガイモ
それからエビ?ソーセージ?

食べるという行為だけで息絶え絶えになるほどエネルギーを費やしていたのに、この日のジェイはウソみたいに次々と食べた。
ふたりで一緒にテーブルについて食事をするのは久しぶりだった。
食べたいと言うから作ったのに結局食べられなかったり
少し口にするだけで戻したりすることが頻繁にあった。

健康だった時は当たり前の
ふたりでする食事。
この日、チーズフォンデュをしながら
私の胸は急に幸福感に満ち満ちて

一緒に食事ができて幸せよ

そう言ってジェイの顔を覗き込んだ。

ジェイはうんうんとうなずきながらエビをたっぷりのチーズ風呂に付ける。
とろりとチーズの絡まったエビが引き上げられる。
私も追っかけるようにエビをスティックの先に刺しトロトロチーズの中に突っ込んだ。
チーズに溶けた白ワインの香り。

その時ジェイの、いや私たちの目の前のお皿には幾つかのオプションが乗せられていた。

在宅での緩和ケアを続ける
ホスピス
そして安楽死

安楽死について毎日来ている看護師シャノンとジェイが話した事があった。

もし望むなら準備を進めることが出来るよ

そうシャノンが言った。
ジェイが安楽死を選択できる条件は揃っていたのだ。

また別の日、ドクターのケリーが診察を終えて帰る間際、玄関ドアの所で私に言った。

ホスピスで部屋が空いたわ
もし希望するなら今なら入れる

ケリーは在宅医療の患者の他にホスピスの患者も診ていたのだ。
そのホスピスはジェイがERに入って緩和ケア病棟に移るとき、私がひとりで見に行ったところだった。

必要なら書類をまとめるから

ケリーが私の目を見て言った。
ジェイがホスピスに入るための準備はすぐ整えられそうだった。

ゆったりとしたホスピスのひと部屋
無償で入ることができる

でもあの時ジェイは安楽死を選択せず
ホスピスの空きが出たことを私はジェイに告げなかった。

結局頑なにこの湖畔の家で
ジェイと過ごすことを選んだのは
私だったのかもしれない。


私たちは次から次へと好きな具をメタルスティックに刺して
チーズを絡め
ふうふうしながら食べた。

そしてついに
もう一口も入らないくらいお腹がいっぱいになって
でもそのあと私たちはどんな風に過ごしたのか
まるで思い出せない。

ジェイはいつものように車いすを動かして
壁掛けスクリーンで
Youtubeの続きを見ていたかもしれない。

私はただテーブルの上の片づけに忙しくて。

死を待つという
非日常の中の
とても”日常な日”だったのだと思う。


結局これがジェイとふたりでする最後の食事となった。

2日後ジェイは
自分の身体と私を置きざりにして
どこかへ行ってしまったのだ。


それっきり
戻ってこない。

そんなジェイだが
私は今も時折話しかけて
望みを言っておく。
すると結構な頻度で叶えてくれるのだ
今のところ(笑。

3月 ひなの月
ジェイが居なくなって4年。

あの日以来
チーズフォンデュは
まだ食べていないけれど。

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。