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今日も一日でけたしこ

話し言葉を文字化すると自分でもよく分からなくなる。

方言は特にニュアンス勝負で、文字にしてみると???である。

そんな「今日も一日でけたしこ」。

熊本弁のラジオ体操の最後はこの言葉で締めくくられる。

意味は、「今日も一日できた分だけ」になるのだが、そこが方言の奥深さ。

ここに「うん、それでOK」というニュアンスが入っている。

『超訳』するとこうなる。

今日も一日やるだけやった、あるいは、何もしなかった。ま、どっちにしろできた分だけ、だよね。だってしょうがないじゃん、できた分だけだよ。オッケー、オッケーそれでOK。できてもできなくても、頑張ってもサボっても、どっちにしろよくやったし一日は終わったね。以上。それでよし。ふわー、風呂入って寝るか。

事実や出来事をただ、あるがままに見る。それ以上でもそれ以下でもない。そこには余計なジャッジも何もない。

使い方で多いのは「今日も一日でけたしこ、たい。あははは。」

でもこんなにディープな熊本弁を若い子は日常的には使わない。私でさえ使わない。古き良き熊本弁をあるある的な感覚で地方タレントがあえて使って、それを面白がる。ばってん荒川は神。

ラジオ体操という朝にやるものの最後の締めが「今日も一日できた分だけでオッケー、オッケー。どっちにしろ一日は一日だよ。そんだけの話。はいはーい」みたいな軽いノリで終わるのがいい。

その前も「手ば、びゃんびゃん回して~」とか、爆笑である。

熊本の地震の時も避難所だけでなく車中泊の人も多かったので、エコノミー症候群にならないようにこの熊本弁のラジオ体操が流れていたようだ。

今回の豪雨による被害も大変なもので、人吉出身の知人は、みんな再起できないかもしれない、と話していた。復旧もできていないし、年配者が多いし、今回はコロナが追い打ちでボランティアも人手が集まらない。資金も大きく不足している。聞けば聞くほどつらい。

自分にできることを考える。離れているからこそできることがある。粛々と実行するのみ、である。

今年はコロナで大阪や首都圏の地方出身者が帰省できないお盆になりそうだ。正月の時点では考えられなかった変化。帰れない時間は、改めて故郷を「客観的に」見つめ直す、自分の中で再構築するいい機会になるのかもしれない。


◆『ごろ寝道』的千日回峰行 3/1000日目◆

★「ごろ寝道」って何?この人何?という方は以下の記事をご参照ください。★超不定期でインスタライブ(ごろ寝放送)やっています。kazumi.1000 です。(時々保存あり)


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