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三十一文字の父
父が死んだ時
流行病に罹っていたわたしは
葬儀に参列できなかった
動画で実況中継してもらい
火葬場のボタンを押すところまで見守ったけれど
いまだ悼むきもちがわかないのは
わたしが情の薄い娘だからなのか
死んだ父にふれていないせいなのか
わからない
そんなわたしのまま、一周忌を迎えた
法要にはいろいろな約束事があり
高齢で常識に囚われない気質の母にとっては
苦手なイベントであった
道具の準備や、参列者に失礼がないか、お返しは何にするかなど
いくら準備しても相談に乗っても、不安なようだった
なので無事法要を終え
親族の笑顔と背中を見送ると、心底ほっとした顔をみせた
よかったよかった
おつかされまでした、ほんとうに
「はい、これね」
母より一冊の本を手渡される
ああ、出来上がったのね
15年前の秋、山口で歌会を立ち上げた父らの合同歌集を作っていると聞いた時
父はまだ生きていた
![](https://assets.st-note.com/img/1696893131570-GZnxZpM521.jpg?width=1200)
『ペンキ跡青く残れる両の手をぶらさげてくる夜学の子らは』
父は退職するまでの十数年を、工業高校の夜間部の教師として生きた
この歌を、よく覚えている
すきだったのだ
父は働きながら学ぶ彼らを、尊敬し愛していた
『お父さん六十年が経ちました 遺品の笛はまだ吹けません』
父の実父、すなわち祖父は、フィリピンのレイテ島で戦死した
カタチあるものは何ひとつ戻ってこなかった
父にとって「父親の不在」は、せつなさの集約であったように思う
『向き向きに靴転がりて孫たちの元気そのまま性格そのまま』
若い頃から幾度と自らの死を願った父だった
しかし死なずに、母と出会い3人の子と5人の孫の顔をみた
よろこびとは
かなしみとは
それは父にしかわからず
わたしは父を思い出す時
ぽっかりとあいた穴を覗き込むような感覚に囚われる
何も見えないけれど、穴がある
わたしにとって父とは何だったのか
父にとって、わたしは何だったのか
死んでもなお、わからない
心残りも、さみしさもない
生きているときは
ありがとうも言えた
ハグもできた
それなのにいま、父を愛していたと書けないわたしは
まちがいなく、父の子であろうと思う
三十一文字(みそひともじ)に、父がいる
それを読む、わたしがいる
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