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テレビのニュースを、はじめて真剣に見ていたあの日。

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神奈川県のとある工場で働いていました。

「あ、地震・・・?」

そこからみるみる揺れが大きくなり、作業台の下にもぐり込み緊急避難していました。激しく振られている蛍光灯を見つめながら、はじめて地震で恐怖を感じました。

窒素や溶剤を扱っている製造工場。大きな圧力がかかっている箇所もある。


爆発したら死んじゃうのかな。

後悔してる?

あーやだー。

・・・(恐怖)


しばらくして揺れがおさまり、みんなが安堵の声を上げたのも束の間、


バン!(真っ暗)


工場全体が停電となり、工場で働く全従業員が屋外に避難。

三時間ほど、安全が確認できるまで待機していた気がします。

信号機は消えている。

電車は全線ストップ。

橋本駅から八王子まで徒歩で帰ることに。

たくさんの人が同じ方向に歩いていた。

線路沿いを歩くこと三時間ちょいだったか、無事帰宅。


TVをつけると、津波の映像が流れていた。

これは現実なのか。

行方不明の親族に呼びかけるお母さんの姿が記憶に残ってる。

「こっちは大丈夫だから、どうか無事でいて!」

それをただ黙って見ていました。

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その後しばらくは色んなイレギュラーな日常がありました。

きっと皆さんがそうでしょう。

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あれから10年経ったんですね。

今もなお大変な思いをされている方もいらっしゃることでしょう。

くしくも、10年後の今年は「新型コロナウイルス」による世界変化が起きています。震災のダメージとはまた違った痛手を世界中が負っている現在。


僕だけじゃないと思うんですが、あの大変な時期に感じていたことがあります。

人って、結構優しいんだな。

世の中が、人が、みんな優しかった気がするんです。

頑張ろうな!って。

負けるな!負けない!って。

なんかあの「人の愛のパワー」みたいな雰囲気が頼もしかったなぁ。


コロナ時代の今はどうだろう?

あの時のような「優しさ」は、僕は感じません。

仕事面におけるダメージ、失業という問題。

マスクや消毒、ニューノーマルというライフスタイル。

「会話は控えて」

「黙って食べて」

「家にいよう」

極端に言えば、人間的なコミュニケーションが害悪のような世の中になってしまった。

正直いうと、僕自身はひとりが好きだし慣れているので、心地よい人との距離感だったりします。ただ、普通の(?)人付き合いが好きな多くのかたにはフラストレーションがたまるかもしれませんね。


主観で述べさせてもらうと、緊急事態宣言や営業時間短縮などの「感染予防対策」らしきことは行われていますが、ん〜・・・って感じです。

昼間、わんさか人が出歩いて賑わっているじゃないですか。

地方はわかりませんが、少なくとも関東の都市地域は普通に出歩いていますよね。朝の通勤電車だって、わざわざ階段に近い車両にぎゅうぎゅう詰で乗ってる人も大勢いて。

いやいや、密どころじゃないじゃん!

色んな面に矛盾を感じるんですよね。

だったら、飲食店や風俗業、ライブハウスだって、対策は必要ですが普通に営業しちゃダメなの?って言いたくなる。

「金がもらえる」という、

確かに大変だし援助対策はいるんでしょうけど、もっとくれもっとくれ!みたいな空気感もまた、何かなぁって。休業手当出るんだから休みにしなきゃという変な調整のおかげで仕事がキツくなったりするおかしさとか。


色んなこと言い出したらキリがないのでやめておきます。

とにかく。

命あること、平凡な日常、働けること、食べて寝ること。

当たり前すぎることこそ、今日くらいは大真面目に感謝しなきゃと思うんです。






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