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Door9: 雨の中、旅ははじまる~バンコク(タイ)

旅をしていて思い出したことのひとつは、わたしは雨が好きだったということだ。
子どもの頃は、雨音が聞こえると、家の中にいても窓を開けて雨が降る様子を眺めたり、表に出て、濡れる葉っぱやかたつむりで遊んだりしていた。
雨があがった後のいつもと違う空の色や、雲の流れを眺めること。洗い流されたような空気の中、水たまりを覗き込んだり、木々からこぼれる雫を観察すること。
そういうことがとても好きだったのに、ほとんど忘れかけてしまっていた。

私たちの旅はタイのバンコクから始まった。
私にとっては初めての東南アジアだったけれど、あまり不安がなかったのは、友達の友達、バンコクで暮らす日本人の男子が、空港まで迎えに来てくれて、現地のことをいろいろ教えてくれたおかげだ。

ガイドブックを読んでいる時には、想像していなかったけれど、タクシーに乗ろうとして、行き先を告げたら、平気で断られたり、場所を理解してもらえなかったりするし、宿のそばまで行っても、最終的にどの建物なのかも分からない。

確かに、細い道は入り組んでいるし、建物と建物がどこで分かれているのかすら、ぱっと見ただけでは判別できない。
宿に辿り着くのが、こんなに面倒なことだとは思ってもみなかった。

彼のおかげで、どうにか宿には到着した。
バンコクなんて、宿はそこらじゅうにあるのだから、現地に行ってから決めればいいとも考えたけれど、念のため初日の宿だけは日本から予約しておいたのだ。
最初だから冷房もついた、少しいい宿(といっても1泊1,000円くらいだけれど)。
チェックインしたはいいけれど、間違えて独房のような部屋(おそらくスタッフルーム)にたどり着いて、唖然としたり。

正しい部屋についても、独房部屋とそれほど大差なかった。
ベッドはそれなりに清潔そうだから安心したけれど、バスルームを開けると、人ひとりがやっと入れるくらいの空間で、トイレの便器の真上にシャワーがついているという、日本では見たことのない造り。

バックパックを開けてものを取り出し、また閉めてパックセーフ(バックパックを施錠するための金属でできた網状のカバー)を掛けて、鍵をしめるという作業をしただけで、汗だく。
この後は、500円以内の宿に移らなくてはならないことも考えると、この先バックパッカー生活を続けられるのだろうかと、早くも自信がなくなってきた。

とりあえず外に出たら気が晴れるだろうと思い、出ようとした途端に大雨の音。
また、バックパックを開けて傘を出すのか・・・面倒くさいなあと思いながら、傘を取り出し、表に出る。

目にしたのは、空のタガがはずれたのかなと思うくらい、帯のようになって降り注ぐ雨。
札幌でこんな雨を見ることはまずない。
流れる水のむこうに風景を眺めていると、建物や木々が、色とりどりのセロファンでできているように感じられた。

その内に、雨の勢いは落ち着き、傘を差して歩いてみる。
軒下で雨宿りする人たちは、誰もあたふたせずに、ゆっくり雨が止むのを待っている。
道路も木々もお店も空もすっかり洗い流されて、色が冴え冴えとしている。

次第に、日が傾き始め、色の濃さを増した日差しが濡れた通りを包み込む。
更に日が暮れると、街頭やネオンの光が水をふくんだ空気に滲み出し、水たまりに写って、ゆらめき始める。

すべてが水をふくんですこし容積を増して、輪郭が少し溶け合っているような、どことなくトロリとした風景。
その中にいると、自分が今タイにいる、アジアにいるということが妙に実感できた。

そしてそれはなんとなく浮足立つようなわくわくするような感覚だった。
そのまま乗ったタクシーの窓からは虹が環を描いているのが見えた。
このあたりでは毎日のことなのかもしれないけれど、旅の初日に幸先がいいなあと嬉しくなった。

札幌にいると、気候や地形的な印象からか、普段自分がアジアにいる、という感覚があまりないのだけれど、時たま、夏の夕方に雨が降り、路上に車のヘッドライトや、飲み屋のネオンがゆらめき、信号の色が空に滲んでいる様子などに、はっと東南アジアの色や匂いが重なる時がある。

そんな時、仕事帰りで疲れかけている時でも、自分の中で何かの熱をとりもどすような、訳もなく何か楽しいことが起こりそうな、自分が旅の始まりにいるような気持ちになって、少しときめく。

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