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「ポメラ日記12日目(八月三十一日の夜に)」

「若者だったすべての八月」

・今年も八月三十一日は来た。フジファブリックの「若者のすべて」を最後に聴いて、若者だったすべてを終わらせたような気になった。花火を見た。岸の向こうから夜空に浮かんでいる火を見て、何だかこれはまぼろしでも見ているみたいだなと思った。あんまり現実感がない。川面には知らないマンションの明かりが浮かんでいて、僕はどうして岸辺に立っているのかと思いながら、夜空に消えていく花火を眺めていた。 

 昔から花火にはいい思い出がなかった。学生の頃、花火に誘った相手が来なくて、それでも僕はどうしても見たくなって横浜の花火大会にひとりで行ったことがある。上京して間もない、十九歳頃の夏だ。僕は埠頭や大桟橋を歩き、円形広場のピエロを遠巻きに眺めて小さく拍手を送っていた。赤レンガを過ぎて一通り歩いたあと、僕は自分のことが妙にすっからかんの人間に思えてきた。観覧車を見ても、大道芸を見ても、ショッピングモールを見ても、ちっとも面白くない。僕は周囲を歩くひとたちのように笑うことができない。そう思った途端にいたたまれなくなった。 
 夕暮れになり、花火の空砲が鳴り始めた。駅前からぞろぞろと観客が現れて、港側を目指して歩く行列ができるなか、僕はひとりだけ逆走して桜木町の駅に逃げ込んだ。夏の乾いた空気を喉にひりひりと感じた。地下鉄の駅へ下る階段に足を掛けたとき、花火が打ち上がった音が聞こえた。僕はその花火が夜空に浮かんだところを一度も見ずに、階段を駆け下りて列車に乗った。閉じていくドアの内側で、もう僕は二度と誰かと花火を見ることはないだろうと思った。 

 フジファブリックの「若者のすべて」を聴いたのも、ちょうどその頃だったと思う。でもそのときの僕にはピンと来なかった。彼らが歌っていることが僕にはまだ分からなかった。僕は若者でさえなく、ただの上京したばかりの世間知らずの少年に過ぎなかった。僕に思い出と呼べるほどのものはなかった。 

 いまの僕は若者と呼ぶには少し憚られる年齢になった。この年になってもまだ身を落ち着けられるところを見つけられずにいる。あれからの十年間、僕は抱えた病と書きものだけにその時間のほとんどを使った。どの夏も確かにあったのに、どの夏も掴めなかった気がする。蝉の抜け殻みたいな人生だった。握ったらすぐに潰れてしまう。あの時に感じていた僕の予感は当たっていた。唯一、外れたと言えるのは、十年後に僕は花火をもう一度見たことだ。その夜、僕はちゃんと声を出して笑った。 

 家に帰ってからフジファブリックの「若者のすべて」を聴いた。同じ空を見上げていた。何も変わらないと思っていた。最後の花火を見たってきっと僕らは変わらないだろ、そう信じていた少年だった。 

 夏過ぎて空蝉は落ち夜の岸水面に浮かぶ色は幻 

 僕はあの川面に映った花火よりも遠いところへ行くだろう、少年でも若者でもなくなって、いつかその色を頼りに生きていくようになるのだ。まぼろしみたいな夜の、向こう岸に立って。 

 2022/08/31 23:26 

 kazuma

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