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ポメラ日記52日目 トルーマン・カポーティ『無頭の鷹』と近況

トルーマン・カポーティの『無頭の鷹』

カポーティの短編に『無頭の鷹』というものがある。原題は『The Headless Hawk』で、1946年11月に米国の高級ファッション誌「ハーパーズ・バザー」に掲載されていたものだ。

カポーティという作家は、暗いものや弱いものを見つめつづけるまなざしを持っていると思う。

とくにこの『無頭の鷹』や『ミリアム』といった短編は、読み手をぞくりとさせるようなダークな魅力がある。

物語の主人公、ヴィンセントは冒頭でニューヨークの街中を歩いている。

流行の街を散歩、と言えば聞こえはいいが、彼が街中を歩く様子はどこかふらついていて、あてどない。

たとえば、ヴィンセントは5セント玉を街中で側溝に落としてしまうのだけど、近くにいた新聞の売り子に言われるまで、まるで気がついていない。

落ちたけど、気落ちするなよ、と売り子に声をかけられて、ほんとうに気落ちした「ふり」をしている。

彼は三番街に向けて歩いている、とは言うのだけど、いま自分が北に向かって歩いているのか、南に向かって歩いているのかもわかっていない。

ヴィンセントは「自分がどこにいるのか」も分からない青年なのだ。

おまけに、街を歩いているときは「海の中を歩いているような」感覚で、周囲の顔は波打った仮面を付けたように見えているという。

この青年は、周りの人間とは隔絶されたところにいる感じを持っていて、人間的な心の交流は、誰に対しても感じていない。

まるでものを見るようにひとを眺めていて、そのくせ、目の前で起きたことを観察する眼は冷徹なまでに冴えている。却って小気味よさを感じるくらいだ。

ヴィンセントが唯一、心に留めていることといえば、緑色の透明なレインコートを着た少女に出会うことだけだ。

彼女は三番街と五十七丁目の交差点のダウンタウン側に立っているという。

「ダウンタウン側」、とカポーティがわざわざ書いているのがちょっと憎らしい演出だと思う。

これから陽の当たるアップタウンの暮らしぶりを描くのではないんですよ、彼女はいつも影の側に立っているんですよ、と前置きしているようにも見える。

ちなみにカポーティの代表作である「ティファニーで朝食を」の舞台はアッパーイーストの72丁目で、セレブな暮らしに憧れるホリー・ゴライトリーが主役だが、やっぱりセレブの華やかな暮らしを描くのではなくて、その裏側の面を描くことに注力している感がある。

カポーティはコインに表と裏があったら、ぜったいに裏の側を描くひとだ。

光と影があったら影、立場が強いものと弱いものがいたら、弱いもの。

具体的に言うと、アップタウンかダウンタウンなら、ダウンタウン。北部か南部だったら、南部。白人か黒人だったら、黒人。

そういう風にカポーティの目は注がれていく。

余談だけど、カポーティ本人はわりと優雅な暮らしを送っていて、有名人を集めて仮面舞踏会を開いてしまうほど、交友関係も広かった。

が、やっぱりどこかでこんなことはばかばかしいと分かっていたんじゃないか。分かっていて楽しんでいた人じゃないかと思う。

話を戻すと、ヴィンセントはこの緑色のレインコートを着た少女にだけ関心を持つ。

というのも、ヴィンセントは少女に対して異様な惹かれ方をしていて、彼女だけが自分を理解しうると考えていたようなのだ。

その理由は、この少女が描いた絵のなかにある。

ヴィンセントは、「ガーランド画廊」というギャラリーに勤めている店員で、店先に「自分の描いた絵を買ってほしい」という奇妙な少女が現れる。

ヴィンセントは、はじめ買い取る気などなかったのだが、どうも様子のおかしい(フリークな)少女に興味を惹かれてしまって、ものだけは見てみましょうという。

少女が包みをほどくと、そこには首のない女性(頭部は床に転がっていて、その髪を毛糸玉のようにして、白い猫がじゃれつくように遊んでいる)と、頭のない鷹の姿が描かれており、ヴィンセントはその絵を見て、自分の性質が完璧に見抜かれてしまったと感じるのだ。

結局、ヴィンセントはギャラリー用ではなく、私蔵用として三十ドルの小切手を少女に渡し、名前と住所を尋ねると「DJ」「YWCA」とだけ書き残して去っていった。

というのが、カポーティの『無頭の鷹』のあらましなのだけど、詳しい解説は『もの書き暮らし』にアップしたので、興味のあるひとは読んでみてほしい。

ここまでは、ちょっと文学ブログ『もの書き暮らし』の宣伝をさせてもらった。あとは『ポメラ日記』として近況を記しておこう。

近況

ライティングの方は週5、6日でシフトに入っているので、なかなか更新が捗らないなという日が続いていた。

土・日なども何だかんだで出掛けていく用事があったりして、ブログを書き進められなかったが、またぼちぼちやっていこうと思う。

小説の原稿はちびちびと進めていて、こちらは個人的な楽しみのために書いている、という感じ。

どこかの賞やコンテストに出す予定はいまのところない。小説を書いて一旗上げよう、みたいなことはもうあまり考えなくなった。

作品を書いて、あとで合うところがあれば出しておくか、というくらい。

小説ってそういう風に競うものなのか、分からないという感覚はずっとある。

小説を書くのが面白いと思っている人間は、いちいちコンテストなんかやらなくてもひとりで書いてしまうひとだと思う。

生前までほとんど無名だった作家なんて、挙げればいくらでもいるだろう。

梶井基次郎は生涯でただ一冊の『檸檬』を出して、亡くなる直前までその価値を認められなかった。同じ頃に同人をやっていた連中は、『檸檬』の素晴らしさなんてちっとも分からなかったのだ。

宮沢賢治が生涯で手にした原稿料がいくらか知っているだろうか? ──たったの5円(現在の価値で約2万円)だ。後世まで読み継がれるような、あれだけの文章を書いたにもかかわらず。

ヘンリー・ダーガーは、約60年もの間、誰にも知られずに創作を続けた。彼は54年間ずっと掃除夫として生き、他の誰にも創作物を見せなかった。死後になってアパートの大家が彼の作品を発見し、アウトサイダーアートの巨匠として認められるようになった。

目の前ににんじんをぶら下げられないと走れない馬が早く走れるわけがない。走ることそのものが楽しいと感じている馬が、結局、一番遠くまで行く。

作品がお金になるかどうか、とか、賞に選ばれるかどうか、とか、そんなちっぽけな考えはさっさとその辺のドブに棄ててしまえばいいと思う。

誰かに認められなきゃものが書けないなんて、そんなつまらないこと、あるだろうか?

(了)

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。