見出し画像

ポメラ日記79日目 夏にしたかったこと

 夏にしたかったことは引っ越しだった。ちょうど先々月くらいにグループホームに入っていたのだけど、折り合いが合わず、二週間足らずで部屋を出ることになった。

 グループホームの部屋には椅子と机、ベッドの他にはものを置いていなかった。四畳半の部屋だったから。

 暮らしてみて、自分に必要なのはその三つだけじゃないかと思った。ものを読んだり、書いたりして、眠るところがあれば、僕はそれでいい。

 似たようなところで物件にあたりを付けて探している。いまは入居の交渉をしているところ。いいところが見つかるといいのだけれど。

 最近は、出かけるときに1冊だけ本を鞄のなかに入れるようにした。普段は在宅のライティングとブログの作業で、PCの画面の前に張り付きがちになる。

 本を読めるのは、ちょっと喫茶店に立ち寄ったときや、買い物ついでに出かけていったときなので、お守りとして持って行くのがいいかなと思っている。本を開くチャンスはいつやって来るか分からない。

 友人は外に行くときに本は二冊持って行くと話していて、なぜかというと「気分に合わせた本を読むから」というのが理由らしい。

 友人にとっては本を「選べる」ということが大事(楽しい)らしい。読みたい本なら図書館のデカい単行本でも持ち歩くようなので僕にはちょっと真似できない。

 僕は本の形でいうと「文庫本」や「新書」サイズが好きで、やっぱり持ち運ぶのにちょうどよい大きさがいい。

 サイズでいうと通常の文庫本、ハヤカワサイズ、白水Uブックス(サリンジャーの「ライ麦畑」を出している白水社の判型)ぐらいまでの大きさが持ち歩きやすいかな。

 ちなみに海外のペーパーバックに比べ、日本の文庫本は紙質がよいものを使っているので、とくに「文庫本」は海外にも誇れる出版文化だと思う。

 ポケットにも入るサイズであれだけびっしり文字を詰め込めるのは日本のお家芸かもしれない。

 話題が逸れたけれど、今年の夏は読み終えていない本をひとつずつ消化していきたいと考えている。

 いま読んでいるのは、堀江敏幸さんの「灯台へ」で、ずっと以前に買っていたエッセイなのだけれど、まだ読み切れていなかった。

 (※最近になって読み終わりました。あと井戸川射子さんの「ここはとても速い川」も読み終えた。どちらも文体が面白くて、誰もまねができない書き方だった)

 僕が運営している「もの書き暮らし」のブログで公式Xアカウントを再開したこともあり、読了した本の感想を聞いてみたいと仰ってくれる方もいたので、情報発信のつもりでやっている。

 ほんとは作家さんが何年も掛けて書いた本を、たった140字の感想にまとめて「読み終わりました」なんて言うのはおこがましいというか、何となく申し訳ないなという気持ちがある。

 それで読み終わったって言っていいのか、まだ読んでないとこ、読めてないとこ、いっぱいあるんじゃないのか。

 でも、呟きがきっかけで本を手に取る人が増えればまた、それは書いた人にとっても喜ばしいことだと思うから、小さな発信は続けようと思う。
 
 この記事を書いているあいだに、アパートの入居審査の連絡が来て、通れば作業のための部屋を借りられそうだ。

 執筆のための部屋を借りることは、僕にとってはずいぶん長い間の夢だった。大学生が簡単に借りてしまうワンルームのたった一室を借りるために僕はかなり遠回りをした。

 唯一、誇らしかったことがある。不動産屋さんに渡された入居審査の紙には職業と職種を書く欄があった。

 僕は在宅のライターなので、職業の欄はライターでいいと思うんだけど、職種って言われるとすぐには思いつけなかった。

 職種の欄だけが埋まっていない入居申し込み書の前で、僕がうーんと唸っていると、担当の営業の人が手元のパソコンで検索を掛けてくれて「執筆業」って言うらしいですよと教えてくれた。

 「執筆業」なんて人生で一度も書いたことねえや、と僕は苦笑いをしながら、それでもサリンジャーが「シーモア──序章──」のなかで書いていたシーモア·グラスの言葉を思い出していた。

 ぼくが何を見て微笑していたかわかるかい? おまえが著述業と記入したからだ。いままでこんなに美しい婉曲な言い方を聞いたことがないと思ったのだ。ものを書くことがいったいいつおまえの職業だったことがあるのだい? それは今までおまえの宗教以外のなにものでもなかったはずだ。そうだとも。ぼくは今すこし興奮しすぎているようだ。ものを書くということがおまえの宗教である以上、おまえが死ぬとき、どんなことをたずねられるかわかるかい?

J・D・サリンジャー『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア──序章──』野崎孝・井上謙二訳
新潮文庫(平成十六年 改版)p.207より引用 

 いつか僕がいなくなるときは、たったひとつの小説を書いて、いなくなりたい。

 2024/08/12 

 kazuma

 (了)

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。