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28年目の「満月の夕」

阪神・淡路大震災から28年となった1月17日の夜。

友人から、ある動画が送られてきた。

それは、震災から1年後の1996年1月、神戸で歌われた「満月の夕」のライブ動画だった。「満月の夕」とは、ヒートウェイヴの山口洋さんと、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんが阪神大震災での経験をもとに作った楽曲。

動画は、神戸の長田神社で行われた「つづら折りの宴」というイベントを映したものだった。

山口さんやリクオさん、友部正人さん、ソウル・フラワーの奥野真哉さんらが演奏していた。彼らはとても丁寧に、心を込めて、歌い、奏でていることが伝わってくる。

会場の様子も時折、映る。曲に合わせて体を揺らす人、いっしょに口ずさむ人、手拍子を送っている人、時に下を向き、涙を浮かべているように見える人……。

動画を見て、友人とメールでやりとりしているうちに、ふと思い出した。

「そういえば、このイベントを立ち上げた人から話を聴いたことがあった!」と。

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2000年のことだったと思う。「人はなぜ、ボランティアをするのか」をテーマに、10代から80代まで54人の声を集めたインタビュー集で、ソウル・フラワーの「ヒデ坊」こと、伊丹英子さんに「つづら折りの宴」のことを聴いたのだ。

ソウル・フラワーのメンバーは、震災直後から音楽で被災者を励まそうと、避難所や仮設住宅で出前ライブを続けていた。その活動の中心だったのが、ヒデ坊だった。「私ら、せっかく唄歌えんねんから、行かへんか」と呼びかけたという。

「つづら折りの宴」は、震災前からお年寄りが楽しめるライブとしてやっていた。それを震災から1年後、長田神社で開いた理由を、彼女はこう語った。

「それまで長田にはいい共同体があったのに、みんな仮設住宅にバラバラに入れられてた。お年寄りにとって、コミュニティを失うことは、ほんと魂が抜かれるようなものだし、在日の人らはふるさとを2回もとられたことになるわけでしょ。長田神社は地元の人から『長田さん』ってずっと親しまれていた場所やったから、そこでみんなが再会できればいいなあと。

最初は小さい規模で考えててん。ところが、商店街からなにからどんどん巻き込んでって。テキ屋さんもばあっと入れて、むちゃくちゃ派手な祭りにしよう、いう話になって。

このイベントのために私が貯めてたお金は3万しかなかったんやけど(笑)、照明もPAもみんな、ギャラなしでやってくれて。ミュージシャンも手弁当で10組以上出てくれた。ファンの子らにも、当日のボランティア頼むって、うちの機関誌で知らせたら、東京とかからいっぱい来てくれた。ボランティアだけでも300人ぐらいになったんちゃうかな。

結局、1万2000人が長田神社に集まって、えらい盛りあがった。でも、いちばんうれしかったのは、『あんた、どこにいたんや。久しぶりやなあ』って、地元の人らの話し声が聞こえてきたことだった」(森口秀志編『これがボランティアだ!』晶文社、2001年

震災後、音楽を通して人々を支え続けたソウル・フラワー。活動を続けるには、決して無理はせず、自分たちのペースを保ったという。フットワークの軽さとともに、冷静さと視野の広さを感じた。ボランティアというけれど、実はギブ・アンド・テイクであって、学ばせてもらったのは私たちだったとも。

「自分なんて大した存在じゃないけど、だから逆にできることもある」

ヒデ坊のこの言葉を反芻したい。

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