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屋久島で生を紡いだ詩人 ~山尾三省『アニミズムという希望』から

緊急事態宣言の間に読み始めて、胸に刻まれた本がある。

一冊は、カミュ『ペスト』(新潮文庫)。
この時期に手にした人も多いだろう。

そして、もう一冊は、山尾三省『アニミズムという希望』(野草社)
三省さんは、1970年代に東京から屋久島へ家族で移住し、農を営み、詩を紡ぎ、思索を続けた人である。

海を見に行くとき

三省さんの本は、それまでいくつか読んできた。
その文章は、素朴で、余分なものが付いてない。
生きるうえで大切なことは、火であり、水であり、人とのつながりなのだ…といった、実にシンプルなことなのだと教えてくれる。

たとえば、こんな一節。

「僕は海が好きである。心の底から。海と恋とは同じものであり、海と愛とは同じものである。海と自由とは同じものであり、海と神とは同じものである。海と詩とは同じものであり、海と悲しみとは同じものであり、海と苦しみともまた同じものである」(『新版 狭い道~家族と仕事と愛すること』野草社)

私も無性に、海を見に行きたくなるときが、しばしばある。
風に吹かれ、波をただただ見つめ、水平線の向こうに思いをはせる。
ただ、それだけの時間が、いかに心地よいか。

いま改めて、三省さんのこの文章を読んで、海をこんなふうに「鏡」として感じることもできるのかもしれない、と思った。

「アニミズムという希望」

コロナ禍にあって、私は自分を落ち着かせるべく、ランニングを再開したり、プチ断食をしたりしていた。
余分なものを削ぎ落としたい。
そんな気持ちもあった。

三省さんのこの本を手にしたのも、その一つだった。

「五分、十分、わずか五分、十分の短い間でも月を眺める。森の中で月を、そして形を変えていく雲の姿を見ていれば、その五分なり十分なりの短い時間の中に、月と雲という慰めと喜びがあります。それを与えてくれる月なり雲の姿というのがカミなんだと思うんですよね」
「自分の生死を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。楽しくなります。困った時にはその木に会いに行けばいいし、遠すぎる時にはイメージすることも出来るんですよね」

ページを開いて、ちょっと見返しただけでも、こんなフレーズが飛び込んでくる。
そして、その文は、心を落ち着かせてくれる。

1999年夏に琉球大学で行われた5日間の集中講義を活字にまとめたもので、400ページ近い本だが、実に読みやすい。

三省さんの講義を毎日、聴くように、日々、少しずつ読むのがいいと思う。少しずつ安堵し、穏やかな心持ちになっていく気がする。

*追記
三省さんのこの本と出会えたのは、お気に入りの本屋「Title」の辻山さんのおかげである。今年2月、三省さんの詩集や生原稿、写真などの展覧会が、Titleで開かれた。その折、辻山さんは、以下のツイートをしていた。

「開催中の「詩人・山尾三省展」ですが、著作の中でも私が好きなのはこれ。『アニミズムという希望』(野草社)。「アニミズム」という言葉は、様々な場面で語られますが、それを自らの実感から体系立てて語った本はほとんど見たことがない。土と交わり、自分のわかることをわかる言葉で書いた晩年の傑作」(2020年2月21日)

#山尾三省 #アニミズム #Title #詩 #屋久島 #野草社

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