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「早く起きる」という行為について

「(何らかのことを達成しやすい)方法」を知っているかどうかで、人生は結構、変わったりする。習慣をつくる、というのはほとんどの場合テクニックで、方法を知っているか否かで、未来が変わることのひとつだ。人というのは、その「方法」を他者に共有したがる生き物であるから、巷には「習慣のつくりかた」を説いた教材が溢れている。そうやって、人類は進化してきた。本来、方法の前に何かがくるはずなのだけど、それを時に忘れてしまうのもまた、人間っぽさだ。

『早く起きる』という習慣は、あらゆる観点から見て、最も究極の習慣である、と最近になって改めて思っている。それは「朝が苦手(母親に叩き起こされないと起きれない)」子供時代から始まった、自分の長きに渡った『vs 早起き』の経験に紐づいている。

これは、『早起きをすることで生産性が上がり、他者と差をつけられる!』的な、自己啓発セミナーかビジネス書みたいは話をしたいのではなくて、そもそも早起きって、みたいな話を、早朝に、書いてみたいと思う。


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なぜ早く起きるか

こんなことを言っておきながら、僕は結構、これまでの人生で早起きとの戦いに敗れまくってきた。「自分は夜型だ」という謎の確信を得ていた時期もある(今になっては全くそうではなかったが)。戦いが始まったのは、18歳の時に新潟県に移り住んで、一人暮らしを始めた時だった。朝目を覚ますと、外は静かで、自然があって、これはどうやら、早起きというのは気持ちがいいっぽいぞ、と気づき始めたからだ。2つ学校に同時に通っていた自分は結構勉強が忙しくて、「朝の時間」だけ好きな本が読めた。学校が始まる前に、数十分間本を読んでからいくと、何かこう、人よりも1日を有意義に過ごしているような気になって、特に努力もせずに、急に朝早く起きるようになっていた。高校生の時は、本当に、出発する15分前に死ぬほど重い体を叩き起こしていた男である。

学年が上がってくると、その分、より勉強が忙しくなった。国家試験の勉強はもちろん、テスト期間は同時に2つの学校のテスト期間であるため、僕の人生には「やらなければならないこと」が増えた。早起きができなくなったのは、そういう経緯だ。テスト期間は、11時から朝の3時-4時まで勉強をして、遅起きとまではいかなかったけど(学校があるから起きるしかなかった)、朝早く起きて本を読む、みたいなことは、どんどんしなくなっていった。

まず、今思うとこの時、僕は早起きに関してあることを学んでいた。

「人はやらなければならないことで時間がないときではなく、やりたいことで時間がないと、早起きをするようになる」

ということだ。これは当時、気がつかなかった。


時間と空間

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