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強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか——。 "弱い"と"ダサい"の因果関係

※この記事内で使用する「かっこいい」や「クール」、「ダサい」または「センス」などの表現は、全て私の美的感覚に依存し、数字上には表れないものである。よって、私が「かっこいい」と表現するものが、一部には「ダサい」と映る可能性があり、文章で扱うには極めて相性が悪いテーマであるということを前提に読み進めていただきたい。

そしてこの記事が「センスのある人間が勝つ世界」を書いたものであるということも——。



■"弱い"と"ダサい"の因果関係

2016年、欧州を中心に15程度の国と地域を周り、各国のサッカーカルチャーをこの目で見た私は、このような仮説を立てた。

「全てのサッカークラブはブランド化する」

というよりも「しなければならない」と。

欧米各国のサッカーカルチャーに「かっこよさ」を感じた私だったが、それが「なぜ」なのか「なに」が違うのか、当時はその理由がわからなかった。ただそれと同時に、欧米に比べて「日本のサッカーがダサい」ということに猛烈な危機感を覚えたことは確かであり、「サッカーがダサい」ことが「サッカーが弱い」ということと、何かしらの因果関係があるのではないか?と疑いを持ち始めたこともまた確かである。

今ではその理由がわかる。なぜ欧米のサッカーは「クール」で、日本のサッカーは「クール」ではないのか。そこには無数の原因が絡み合っている。


■JUVENTUS

そして2017年1月16日、ユベントスがエンブレムを「ロゴ」に変更することを発表した時、「サッカークラブはブランド化する」という私の"勘"は、確信に変わったのである。

ユベントスの一連の動きは、これからのサッカーを思考するにあたって非常に大きな意味を持っていると私は考えている。日本人的な発想でいけば、彼らはただ「グッズをより多く売るため」ロゴを変更したと思われているかもしれない。しかし、ユベントスが"顔"を取り替えた理由は、短期的な数字ではない。

「クール」なのか、それとも「ダサい」のか。極めて曖昧な表現だが、これからの日本サッカーにとって非常に重要なファクターであることを、この記事を持って証明する。そして、日本人が最も毛嫌いする分野であり、無意識に避けていく分野であることも。


■ブランディング

「サッカークラブはブランド化しなければならない」という意識を持てないクラブ(チーム)は、衰退する運命にある。小さなクラブがビッククラブになることはなく、ビッククラブは小さなクラブへと落ちこぼれていくだろう。

ブランドの価値を高めるには、緻密な長期計画と実行による「ブランディング」が必要である。プロフェッショナル(Jリーグ)であれば「クラブ」、アマチュアレベルであれば「チーム」において「サッカーにおけるブランディング」とは一体何を指すのか?つまり「ブランド化」とは何をすることなのだろうか?それを理解する為には「ストリートカルチャー」から「人事」「ゲームモデル」に至るまで、多岐にわたって話をする必要がある。それらを構成する要素のうち「たった1つ」でも見逃してしまうと、価値のあるブランドは築けない。すなわち、衰退する。もしくは一向に成長しないか、そのどちらかである。


■矛盾

「サッカーにおけるブランディング」を構成する要素の話をする前に、以下の図を見て欲しい。

私は、サッカークラブ(チーム)にはこの4タイプしか存在しないと考えている。この4つの関係性は一体なんだろうか?この表を見ると、幾つかの「疑問」が生まれてくる。

1.「強いからクール」なのか?「クールだから強い」なのか?

2.「弱いからダサい」なのか?「ダサいから弱い」なのか?

3.「クールで弱いクラブ(チーム)」は存在しうるのか?

4.「ダサくて強いクラブ(チーム)」は存在しうるのか?

これらの問いかけは非常に重要な意味を持つ。記事を読み進めながら、この問いに対する答えを探して欲しい。


■92 F.C.

2017年3月、「サッカークラブはブランド化する」という自分の仮説を確かめる為に、そして上記した幾つかの疑問に対する答えを導くために『92 F.C.』というサッカーカルチャーブランドを立ち上げた。

この組織をブランディングする中で見えた景色は、サッカーを思考するにあたって、非常に大きなヒントを私にもたらしてくれた。


■サッカー監督とは

前提として私は『芸術としてのサッカー論 はじめに』でも書いたように、サッカー監督として仕事をしていきたい人間であり、それ以外には興味がない。そんな人間が、なぜこのような行動をしているのか。それには、ある考えがある。

「監督業とはブランディングである」

サッカー監督の仕事は、全て「ブランディング」という観点から説明することが可能であることに気が付いた。ピッチの上でサッカーを表現する為には、ピッチでは学べないことが多くある。サッカーの知識だけで勝てる時代はとうに終わっている。

監督という仕事が「サッカーにおけるブランディング」において、どの役割を担っているのか?それを理解していることが重要である。


■何をもって"かっこいい"と判断するのか

前置きが長くなったが、ここから「サッカーにおけるブランディング」を構成する要素を一つ一つ紐解いてく。つまりそれは、人間はなにを持って「クール=かっこいい」(もしくはダサい)と判断するのか、である。

私は全ての分野に共通して「3つの要素」があると考えている。

①視覚:ビジュアル(見た目)が重要であることには議論の余地がない。人は視覚から入る情報で、それが自分にとってかっこいいか、それともダサいのかを判断する。もっとも重要な要素であり、三角形の頂点に位置している。

②哲学:例えばあるファッションブランドの、物作りにかける「想い」を知った時に、見た目が「かっこよく見える」という経験をしたことはないだろうか?人は「哲学」に魅力を感じた時に、視覚的な情報に影響を与えられる。

③機能:例えばあるプロダクトの「機能」に魅力が高ければ、「クール」という印象を与えることが往々にしてある。見た目がかっこよくても、考え方がかっこよくても、機能が伴っていなければ「かっこいい」と思えないこともある。

サッカーにおいて「①視覚 ②哲学 ③機能」とはなんだろうか。これら全てをサッカークラブ(チーム)はブランディングしていく必要があり、何よりこの3つに「一貫性」がなければならない。この記事内ではこれを「ブランディング三角形」と呼ぶ。


■現代サッカーにある傾向

まずは「①視覚」に影響を与えている要素について説明をしていく。日本サッカーがもっとも苦手とする分野であり、ブランディングを構成する要素の頂点に位置するものだ。ブランディングにおいて"最も重要な要素"である上に"最も軽視される要素"である。

サッカーの「①視覚」を構成する要素は決して一つではない。「目に見えるもの全て」をコントロールする必要があるのだ。


1.広告の変化

サッカーという競技では、クラブしかり、代表チームしかり、シーズンごとに新しいユニフォームがリリースされる。毎シーズン行われるリリースにおける広告写真や方法論が、ここ1年で大きな変化を遂げていることに、気付いているだろうか。


■2014年W杯

これらは、2014年のW杯で使用されたユニフォームの広告写真と、その撮影風景である。数年前までユニフォームのリリース写真(その他広告)は「ピッチ」もしくは「スタジオ」での撮影が定番で、それ以上でもそれ以下でもなかった。


■2018年W杯(4年後)

次に、2018年ロシアW杯の広告を見ていく。ここ1年で「よく見られるようになった」傾向が顕著に表れた。


■スタジオからストリートへ

傾向①:広告写真がストリートで撮影されるようになった

見てわかるように、昨今における広告写真は「サッカーを彷彿させない」場所で撮影されることが多くなっている。ユニフォームに限らず、スパイクも同様だ。

なぜそのような現象が起きているのだろうか?それを知るためには「他の世界」を知らなければならない。


2.カルチャーとプロフェッショナルの「逆転」

サッカーというスポーツは、ここ1年で「プロフェッショナル」と「**それ以外」の垣根が消え、ボーダーレスな世界に突入した。

**ここでいう「それ以外」とは、ファッション、ストリートカルチャー、音楽、マガジンなど、プロサッカーとは異なる分野におけるサッカー文化のことを指し、この記事内では便宜上全てをまとめて「カルチャー」とする

傾向②:カルチャーがプロフェッショナルに影響を与える

「かっこいいサッカー = プロサッカー」という概念があったこれまでには、決して起こりえなかった現象である。現代サッカーにおける「①視覚」を先導しているのは「プロフェッショナル」ではなく「カルチャー」なのだ。

つまり、広告写真がストリートで撮られるようになった理由は「カルチャーの世界に影響を受けたから」である。


■ユニフォームのストリート写真

私が欧州を回っている時に気付いたことは「街でサッカーのユニフォームを着ている人が多い」ということだった。「サッカークラブはブランド化する」と仮説を立てた一つの要因でもある。

92 F.C.で上のようなストリート撮影をし始めたのが2017年始。当時は日本であまり行われていなかったものの、欧米、またはアジアで「ユニフォームのストリート撮影」がすでにカルチャーとして存在していた。サッカーがよりクールになっていくのは自然の流れだったのだ。

しかし当時はまだ、プロフェッショナルの世界でこのような撮影をするクラブや代表チームはなかったように記憶している。


■プロフェッショナルへの影響

そこから約1年の月日を経て「プロサッカー」の広告が、徐々にカルチャーに影響されていった。グラウンドで着るものだったユニフォームは、街中でで着れるクールなものへ進化し、それを「視覚化」させるための広告が増えたのだ。2014年W杯〜2018年W杯における広告写真の変化には、このような背景があった。

ユニフォームだけではない、それに伴って「スパイク」の広告も同じように変化を遂げてきた。各ブランドが手がける広告は、今では必ずと言っていいほど「ストリート」での写真撮影が行われている。92 F.C.にも、PUMAの新スパイクリのリリースの際に海外大手代理店からオファーがあり、以下のような撮影を行った。

この際の依頼条件は「ストリートで撮影すること」であったことは言うまでもない。

しかし、話はここで終わらない。


3.ファンションアイテムと化したサッカー

カルチャーの世界は、サッカーを猛烈なスピードでクールな存在に変えていった。ユニフォームやサッカーシューズを「ファンションアイテム」として認識するようになったのだ。SNS、またはマガジンを中心に、サッカーをファンションアイテムとして扱う媒体が猛烈なスピードで増えている。

傾向③:ユニフォームは必ずしもプロ選手が着るものではなくなった

過去のサッカーユニフォームが、視覚として「クール」になるためには、スター選手に着させる以外方法はなかった。しかし、ここ1年で状況は全く違うものになっている。


■カルチャー内での変化

当然「カルチャー内」においても、時を経て様々な変化が起きている。上にあげた写真の数々は、1年前後古いものだ。次にあげる写真が、比較的最近の写真。どのような変化が起こっているだろうか。

傾向④:意図的に世界観をつくり出すようになった

ユニフォームをファンションアイテムとして捉えるようになり、それをアートに落とし込み始めた当初は「日常感」こそが必要な要素だった。サッカーユニフォームにおいては、日常感こそが非日常的だったからだ。よって生活感のあるような写真が多い。

しかし現在は、そこから発展をし(というより差別化が必要になり)、レイヤード(重ね着)を行うなどして、より世界観をつくり込み「非日常感」を感じられるような作品が増えてきている。その集大成が、2018年W杯における「あの」アートだった。


4.ナイジェリア代表

その行き着く先が、このナイジェリア代表(NIKE)の一連の動きだった。究極に作り込んだ「非日常感」を演出したこの広告は、現代サッカーを象徴する非常に重要な1枚である。

このユニフォームは予約開始当初から爆発的に売れ、300万着の予約販売は完売し、在庫が枯渇したことは言うまでもない。ナイジェリアのみならず、各代表ユニフォームにおいて、ストリートでの写真(傾向①)、プロ選手を使用していない広告(傾向③)、世界観を作り込んだ広告(傾向④)がリリースされている。それは紛れもなくカルチャーが先導したムーブメントだった(傾向②)。


■視覚を先導するのは「Instagram」

ここで見逃してはいけないのは、これらが日本のメディアで話題になったのは開幕直前の6月前後で、「カルチャー側」にリリースが行われたのは4ヶ月前の2月前後だった。日本で話題になる数ヶ月も前に「カルチャー側」では大きな話題を呼んでいた。そのタイムラグは一体なんだろうか?

ここには、非常に大きなヒントが隠されている。

現段階で、サッカーのブランディングにおいて重要な役割を担っているSNSは ①Instagram ②Twitter ③YouTube の3つ。現代のサッカーでは、これらのSNSに細部まで気を配らなければ、サッカーのブランディングは成功しない。なぜなら、ファンはスタジアムで見るクラブよりも、SNSでクラブと接している時間の方が遥かに長いからだ。

大事なポイントは、カルチャー側とはつまり「Instagram」を差すという点であって、現代サッカーの「視覚」を先導しているのは、TwitterではなくInstagramだと言うことだ。日本サッカーの「プロフェッショナル側」は、非常にInstagram(カルチャー側)に弱い。それがタイムラグの原因だ。


■日本サッカーが陥る"罠"

ブランディングにおける「視覚」を先導しているInstagramに弱い(状況を把握していない)ということは、現代サッカーにおいて「視覚でクールを作り出せない=ブランディング三角形が作れない」ということを意味する。Jクラブしかり、日本サッカー全体がそういう状態であるため、日本サッカーは「クール」へ向かうことができない。そうなるとどうなるか。

ブランディング三角形の頂点に位置する「視覚」のブランディングができない組織は、必ず視覚的に「キャッチー」な方向へ進む。しかし、それは"罠"である。


■キャッチーとは

「キャッチー(Catchy)」という言葉の意味を調べると、以下のような言葉が並ぶ。

受けそうな、人の心を捉える、人気を呼びそうな、人をだます、惑わせる、ペテンの、発作的な、気まぐれな、すぐ覚えられる、覚えやすい、記憶しやすい…etc.

これらは、本来前向きに使われる用語だが、サッカーにおいては"罠"になることが多い。サッカーという競技(エンターテイメント)と「キャッチー」は相性が悪く、サッカーにおける「キャッチー」は「ダサい」と同義なのだ。通常「クール」なクラブが「キャッチー」をアクセントとして使うことは可能だが、常に「キャッチー」であるチームは「ダサい」という認識になる。


■キャッチーを求めるクラブの特徴

では、視覚的に「クール」を作り出せないクラブがなぜ「キャッチー」に走るのか。何が罠なのか。それを理解するには「①時間」「②難易度」、この2つの関係性を見ることで明らかになる。


①時間(短期的思考)

「クール」と「ダサい」の間には、圧倒的な差がある。それを実現するためにかかる「①時間」だ。

「クール」をつくるため(保つため)には、緻密かつ長期的な計画と実行によるブランディングが必要不可欠だが、当然「ダサい」ことに時間はかからない。

例えば「ダサくて強い」クラブをつくるのに時間は必要ない。良い選手をお金で集め、優秀な監督を招聘することで「短期的な強い」はすぐに実現出来る。しかし、長くは続かない。サッカークラブ(チーム)において「クールであるかないか」「長期的成功が出来るか否か」を決定づける重要なファクターだ。これは「隠れた真実」である。

戦時からの日本人の特徴の一つとして「短期的思考(短期決戦思考)」というものがある。目先の数字や結果を重視することで、長期的計画を立てられない。

つまり「短期的思考である日本サッカーがクールになれない」という現象は、非常に理にかなっている。「クール」には時間がかかり「ダサい(≒キャッチー)」には時間がかからない。


■マンチェスター・シティ

しかし、この「隠れた真実」を把握していないがために「短期的思考」で「ダサくて強いチーム」に止まったクラブは歴史上少なくない。そんな中、なぜマンチェスター・シティは中堅クラブからビッククラブへと変貌を遂げることが出来たのだろうか?その理由は「金」ではない。「金」を得たことによって「ブランディング」を行ったからである。

彼らは「クール」を求めて「ブランディング三角形」を構成する3つの要素全てに対してブランディングを行った。「視覚」と「哲学」と「機能」に一貫性を持たせ「クールで強いクラブ(ビッククラブ)」へと変貌を遂げた。この三角形が整っている彼らは、今後著しく衰退することはない。「ブランド化」に成功したのだ。


■ヴィッセル神戸

日本でいえば「ヴィッセル神戸」の今後の命運は「サッカーにおけるブランディング」が出来るかどうかにかかっている。イニエスタを獲得し、コーチをスペインに学びに行かせ「バルセロナ化」を図っていると言われてるが、彼らがもし「ブランディング三角形」における「哲学」や「機能」(この2つについて詳しくは後述)のみしか頭になければ、長期的な成功はない。

優秀な外国人を招いたという点では、監督によって面白いサッカーをしていると言われている「ジェフ千葉」や「東京ヴェルディ」も同様であるが、彼らは「隠れた真実」に明らかに気付いていない。よって、長期的な成功はない。これは抽象的な批判ではなく、真実である。例えば監督が変わった瞬間に、衰退する可能性を秘めている。


②難易度(難易度の低さ)

加えて、弱いチームをつくることは「難易度が低い」。一方強いチームを作るのは「難易度が高い」。これは当然である。ただ、必ずしも「時間がかかるか」と言われればそうではない。前述したように、金で「短期的に強いクラブ(チーム)」を作ることは可能だからだ。ここが重要な点である。


■時間と難易度の関係性

ダサくて弱い(青)= 時間がかからない / 難易度が低い
クールで強い(赤)= 時間がかかる / 難易度が高い

4つのタイプに「時間」と「難易度」を当てはめると、以上のような法則が表れる。両極端に位置する上にあげた2つに関しては、難しいことは一つもない。しかし、重要なのは残りの2つだ。


■予備軍

ダサくて強い = ダサくて弱い(予備軍)
クールで弱い = クールで強い(予備軍)

冒頭にあげたいくつかの「疑問」を思い出して欲しい。

3.「クールで弱いクラブ(チーム)」は存在しうるのか?

4.「ダサくて強いクラブ(チーム)」は存在しうるのか?

この2つの疑問に対する答えはYESでありNOである。これら2タイプは、時間の経過とともに必ずどちらか両極端に着地するからだ。

短期的思考でつくられた「ダサくて強いクラブ」は「ダサくて弱いクラブ」に着地し、長期的思考でつくられた「クールで弱いクラブ」は「クールで強いチーム」へと着地する

重要なのはこの点である。

ここに、題名にもある「ダサいと弱いの因果関係」が見える。時間の経過とともに「ダサいクラブは弱く」なり「クールなクラブは強く」なるのだ。

なぜ「ダサいクラブは次第に弱くなり、クールなクラブは次第に強くなる」のか?

これを理解しているクラブは「視覚」でクールを作り出し、ブランディング三角形を完成させる。これを理解していないチームは、最も重要な要素である「視覚」を軽視し、やがて衰退する。これについては次回の記事でゆっくり触れていこうと思う。


■Jクラブで起きる現象(例)

【1】アニメとのコラボレーション

グッズやPRに「美少女アニメ」等のコラボレーションを用いることは、キャッチーの"罠"に陥った典型的な例である。この行動に含まれる心理は主に以下の2つ。

・サッカーに関心がない層をサッカーファンにする(集客)

・グッズの売り上げ促進

日本において既に地位が確立されている「アニメ」というものの力を借りてサッカーに興味を持ってもらうことは、「時間がかからない」上に「難易度が低い」。そこには長期的プランが必要なく、すぐに短期的な数字を獲得できる(短期的思考)。グッズは売れるだろうし、スタジアムに足を運ぶ人が少しは増えるかもしれない。

しかしブランディングとは、その逆をすることである。


■客観的ではなく主観的

ブランディングとは「客観的」に受けそうなものを探すことではなく「主観的」にブランドの魅力を提案することである。つまり、受信側が「まだ気付いていない」魅力に気付かせることだ。過去の数字は参考にならない。究極に「主観」でなくてはならず、「これがクールだ」とブランドが受信側に主張する必要がある。世の中のクールなものは、時にそれが認知されるまでに時間がかかるが、それらは「人が気付いていないもの」であることがほとんどだからだ。

つまり、サッカーをより大きな存在にするために「日本人が親しいやすいものはなんだろうか?」と、受信側に歩み寄る行為自体が間違いなのだ。この姿勢を捨てない限りは、日本サッカーはクールにならない。クールにならないことが意味するものは、衰退である。


【2】水戸ホーリーホックの騒動から見えたもの

数ヶ月前、水戸ホーリーホックのエンブレムを批判したとして、ある人物のTwitterが炎上した。その人物が私と同じような発想でエンブレムに言及したとは思えないが、この騒動には2つの大事なポイントがある。

①エンブレムは重要だがグッズの為ではない:エンブレムはブランディング(サッカークラブのブランド化)をするために重要な要素の1つだ。クラブの「顔」だからである。しかしそれは「グッズをオシャレに作るため」という短絡的な理由ではない。この記事を読めばそれは明らかであるし、ユベントスの動きがそれを証明している。彼らは、ブランド再構築の合図としてエンブレムをロゴへ変更し「目に見えるもの全て」をブランディングし直したのだ。

②人は変化を嫌うがすぐに慣れる:その人物がエンブレムについて言及をした際、「私は水戸のエンブレムに誇りを持っている」「私は水戸のエンブレムをかっこいいと思う」というような発言が多く見られた。先述した通り、かっこいいかダサいかは主観である為、このような発言が出るのは当たり前である。よって、センスのある人間が勝つ世界だ。

しかし、クールをつくるには「時間がかかる」ということを忘れてはならない。ユベントスがエンブレムからロゴに変更を発表した際、Instagram(カルチャー側)では、大批判の嵐だった。肯定的な意見はほぼなかったと言っても過言ではない。しかし1年が経過した現在、このロゴは定着し、クールなユベントスの「顔」となった。仮に水戸がエンブレムを変更したとしても、それがクールであれば全く問題はない。人はすぐに慣れる。

私たちは「このエンブレムに思い入れがあるんだ!」と憤慨する人たちも、時を経て新しい「顔」に思い入れを持ち始める。


【3】サガン鳥栖の移籍リリース

現在進行形でわかりやすい例として、サガン鳥栖のフェルナンド・トーレス移籍を取り上げたい。

短期的思考のJクラブが陥りやすい例として、「キャッチー」に手を出すということは前述した。フェルナンド・トーレスという「視覚」でクールを演出するには最高の選手のブランディングを、同チームは失敗している。キャッチーなフレーズを作り、キャッチーなグッズを製作し、クールな一面は見せられなかった。サッカーのブランディングにおいてキャッチーはダサいと「≒」だ。これは、必ず今後に影響を与える。

少なくともこれだけの選手が移籍をする際は、世界中で注目を受けるがゆえに、クラブはそこに至るまでのストーリーを「クール」に演出する必要があった。サガン鳥栖の一連の動きを見ると、同チームは「隠れた真実」に気付いていないことが明確であり、ブランディング三角形の頂点に位置する「視覚」を軽視している。フェルナンド・トーレス加入による「短期的な強さ」を手にすることが出来たとして、ビッククラブに変貌を遂げる可能性は極めて低いだろう。


■明らかになっていない疑問

「全てのサッカークラブはブランド化する」

この記事の最初に書いたこの仮説を証明するには、まだまだ明らかにしなければならない疑問が多くある。

なぜダサいクラブは弱くなり、クールなクラブは強くなるのか?「ブランディング三角形」のうち、サッカーにおける「視覚」とは具体的に何を指すのか?「哲学」とは?「機能」とは?Jクラブで「クール」はつくれるのか?その方法は?そもそも「サッカーにおけるブランディング」とは誰が行うものなのか?

この記事は、これから始まる「隠れた真実」を明らかにする旅の、序章に過ぎない。


vol.2▼


追記(9月1日):クラウドファンディング実施中!


著者:河内一馬

92年生まれ(25歳)/ サッカー監督 / アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」在籍。サッカーを非科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』を執筆中。

Twitter:@ka_zumakawauchi

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