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『カオスエンジニアリングとフットボール』 意図的にバグを発生させる

サッカーとは、つまりカオスである。あらゆる現象の原因が1つであることなど過去にも先にもあり得ず、理論と観察結果を一致させることは極めて難しい。事実には「一時的に」という言葉がついてまわり、変化しない事物など存在せず、ピッチの中と外で、ありとあらゆる要素が流転している。

サッカーというゲームをプレーするに当たって、まずやらなければならないことは、このカオスを受け入れることである。カオスを受け入れないままサッカーに取り組めば、一人残らず、サッカーをすることによって不幸になるだろう。

さてカオスを受け入れるとは、一体どういうことなのか。


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「サッカーとはカオスである」ということを受け入れるためには、以下の4つの法則から理解をしていくべきである。

①全体は部分の総和以上のものである
②現象の原因は1つではない
③全ての事実は一時的である
④人間が行うものである


①全体は部分の総和以上のものである

何かの部分をどれだけ詳しく調べても、全体については何もわからない時がある。ボールの蹴り方を研究してもサッカーの全体はわからないし、ドリブルを極めてもサッカーのゲームで勝つことはできない。

これが、サッカーにおいて「部分を取り除いたトレーニング」が時として批判される原因である。小さな要素に分解して理解しようとするデカルト的な考え方では、サッカー(全体)を理解することは出来ない。一つ一つの細胞を詳しく調べても、いくつもの細胞が協調して出来上がる人間の体(全体)を知ることは出来ない。そして後者を理解する方が、難易度が高いことは明らかである。

日本で、ドリブル専門、キック専門、などのスクールが生まれ賑わうのは、この①の法則を理解していないことを指しているのかもしれないし、高校サッカーで「走る」という部分だけを取り除いてトレーニングが行われるのも、これが原因かもしれない。

※私はボールを用いないトレーニングを全否定するわけではない。むしろ現代においてはフィジカル要素が科学的データとして取り出せる時代であるから、純粋にフィジカル要素を向上させるためにボールは邪魔であることが多い。要は、目的が何であり、それを達成するために適切な方法論をとっているかが問題である。言わずもがな「精神を鍛えるために走る」は論外である


現象の原因は1つではない

“あたかも原因がたった一つであるかのように示す”能力が、ときに監督に必要なのは、逆説的だが「現象の原因は1つではない」からである。多くあるうちのどの「原因」にフォーカスしなければならないのかを設定しなければ、人間は一度に多くのことに取り組むことが出来ないからだ。改善のためのトリガーポイントは一つである。

日本では、戦術が大事か?精神が大事か?という議論がされることがある。何億回でも言うが、両方である。少なくともアルゼンチンでその類の議論がされているのを聞いたことは一度もない。精神的なことしか言及できない指導者、戦術的なことしか言及できない指導者は、その時点で二流と言える。

サッカーの世界では、常に現象に対して考えられるいくつもの原因を探り、決して一つであると思い込むことはせず、様々な可能性を考慮しなければならない。


③全ての事実は一時的である

今現在正しいとされているトレーニング理論は、一時的に「正しい」だけであり、時間の制限がある。いわゆる「科学的に証明されている」という物であっても、それは同じである。全ての事実は、一時的だ。これは戦術論であろうが、メディカル分野であろうが、変わらない。

これを受け入れない指導者は、常に勉強する姿勢を持つことができない。「私のやり方」に縛られ、たった1人の人間の経験によってしか、サッカーを考えることが出来ない。5年経っても、10年経っても「私のやり方」を変えることができないのだ。少なくともサッカーの世界では一切通用しないが、日本にはこういった指導者が多く存在している。

今ある事実は、全て一時的なものである。サッカーの世界にいる者たちはこれを受け入れ、あらゆることを常に疑い、学びを止めることがあってはならない。


④人間が行うものである

最も重要な点であるが、説明を行う必要はないだろう。サッカーの世界で機械を使うのは、人間を知るためである。それ以上でも以下でもない。

例えば、サッカーは意思によって行われるが、機械は意思を持つことができない。だから機械にサッカーをプレーすることはできない。人間の意思は、事実に基づいた「情報」と「感情」によって定まる。人間Aと人間Bが見る情報は、同じであって同じではない。伴っている感情が異なる場合があるからだ。それを受け入れなければならない。

これはつまり、人間が人間であることを捨ててしまえば(意思をもたなければ)サッカーにはならないということ意味する。いくら機械のように情報を認知しようが、感情がなければ意思を持つことはできず、ゆえにサッカーではない。

人間には、余白がある。無駄がある。そして、人間は決して合理的ではない。


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『カオスエンジニアリング』とフットボール

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