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芸術としてのサッカー論

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サッカーを"非"科学的視点から思考する
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#対談

【告知】 オンライン座談会|井筒陸也×河内一馬:『サッカーを「書く」』

初めて彼の文章を読んだとき、これは何か「普通のJリーガー」ではないなと、そう感じました。『敗北のスポーツ学』という哀愁の漂うタイトルをつける井筒陸也が書く文章からは、サッカーをプレーするということに対する大きな苦しみや、葛藤のようなものを感じ、それからしばらくして彼が『プロサッカー選手を辞める』とメディアで突然発表したとき、僕は「Jリーグが新しい領域に入ったな」と、なぜだかそう確信したのを覚えています。 その後運よく出会うことができた僕らはこれまで、サッカーというものを軸に

ある成熟した分野において「非正規的な思考態度」を取るということ

【対談:編集後記】 三倉克也さんとの対談を読んで、人がなんと言うのかは正直わからない。新しい発想の種になった人もいるかもしれないし、もしかすると全く意味のない対談に思えた人もいるのかもしれない。 ただ、他人の評価がどうでも良いと思うくらいに、私にとって大切な時間になったことは間違いなく、それを誰かに共有出来ればいいと、そう思っている。 *** 私は「サッカー監督」という職を求めながら、こうして文章を書いたり、写真を撮ったり、ブランドをつくったり、サッカーという「何か」

【対談:後編】 『サッカーにおける"抽象的思考"の重要性』  河内一馬×三倉克也

2019年1月上旬、『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』の著者である三倉克也さんと、私河内一馬が対談を行いました。『サッカーは「芸術」であり「表現」である』という2人の共通認識のもと、私はサッカーの専門家として、三倉さんは芸術分野の専門家として、様々な角度からサッカーを議論しています。 今回は【後編】です。ぜひお楽しみ下さい。 前編▼ —対談者プロフィール— 河内一馬(@ka_zumakawauchi) 1992年生まれ。26歳。サッカー指導者。アルゼン

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【対談:前編】『果たしてサッカーは"芸術"であり"表現"なのか?』  河内一馬×三倉克也

2019年1月上旬、『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』の著者である三倉克也さんと、私河内一馬が対談を行いました。『サッカーは「芸術」であり「表現」である』という2人の共通認識のもと、私はサッカーの専門家として、三倉さんは芸術分野の専門家として、様々な角度からサッカーを議論しています。 ぜひ、お楽しみ下さい。 —対談者プロフィール— 河内一馬(@ka_zumakawauchi) 1992年生まれ。26歳。サッカー指導者。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長

誰も知らないサッカーの本を読んだら…

—— 2018年3月9日、初めての記事が更新されている。あまり覚えていないけど、そうなのだろう。この『芸術としてのサッカー論』を始めたのは、それくらいの時なのだ。 その少し前、リリースをするにあたって同じ様な名前のコンテンツがあっては困ると思い、「芸術としてのサッカー論」と検索をした。すると、ある一冊の本がヒットした。 『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』 全く知らない本だった。 私は、本屋に行けば必ずサッカー本コーナーには足を運ぶし、情報も比較的敏感