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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に…
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#哲学

結局ふざけていいのか?ダメなのか?——「勝利」を追求すればするほど必ず「楽しむ」に行き着く理由と根拠

サッカーという、ある種抽象的なスポーツの世界にいるからなのかもしれないが、時に「勝利」が邪険に扱われ、また時にそれに相対するようにして、「楽しい」や「幸せ」が邪険に扱われているのを目にすることが多い。そのような論争をみるたびに、僕はサッカーに従事する人間として、大きな危機感を覚える。 上記したように、「勝利」が邪険にされる代わりに「楽しい」が表に出て、逆に「楽しい」が邪険にされる代わりに「勝利」が表に出るような、そんなサッカーが日本で行われている限りは、僕は未来がないと思う

毎日「でたらめ」を並べる必要性について

非常に興味深かった本と、その本を買った本屋の紹介も兼ねて、「でたらめ」について。

なぜサッカーには『解説』よりも『批評』が必要なのか——。 サッカーにおける「価値」の定義

先日Tweetした内容を、もう少し詳しく書いていきます。私がまず「価値」について考え始めたのは、アルゼンチン国内における「サッカーの価値」と、日本国内における「サッカーの価値」との間に、雲泥の差があることを目撃した時からでした。「サッカーの価値の大きさが全く違う…」という言葉が思わず口から漏れてしまうわけですが、ではその「価値」の正体が一体何者なのかを整理しなければ、私たち日本人が「サッカーの価値」を日本にもたらすことは出来ないのではないかと、そう思ったのです。 価値と評価

「話す言葉」と「書く言葉」は何が違うのか?

2018年と2019年は、とにかくパソコンに向かって文章を書く量や、日記に文章を書く量が圧倒的に過去を上回りました。もちろんそれは外国に暮らすことで、またWEBを使って活動をしていくことによって、です。一方で、ご想像の通りアルゼンチンで日本語を「話す」機会は圧倒的に少なく、電話で友達とたまに話をしたり、仕事関係でMTGをしたり、本当にその程度です。 そんな中日本に一時帰国をしてから数日が経ちましたが、日本語で「書く」ことは減り、日本語で「話す」ことが急激に増えました。 そ

#1 哲学書はなぜ必要か?

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