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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に…
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#本

ハロー、何もしない人

何もしないってのは、何かをするより、ずっと難しいのではないかと思って、それはどうしてなのだろうと、考えたりしている。昔々、僕がサッカーというゲームの世界に身を置くようになってから、勝ちと負けで人生が武装されるようになって、そうすると、他者との比較や、自己との対峙を通して、次第に「何もしない」ということが難しくなったのかもしれないなどと、思う。 勝ちと負けというのは、つまりフィードバックで、自分が「何かをしないと…」とまたさらに焦りを抱えて生きている(た)期間は何かと考えると

子供にはわからないようなことを子供の頃に触れるワケ

は、あるのだろうかと思ってきた。子供の頃に学校で触れるようなことの半分くらいは、その時の子供心にはわからないことが多いけど。でもいまは、いや、その意味はあったのだろうなと、そう思っている。 メタルギアソリッドを生んだ小島秀夫が、過去に触れた本や映画について書く(これが本当に逸材)『創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち』を読んでいると、中島敦の『山月記』が出てきた。 『山月記』は、詩人を志して挫折した男、李徴が虎になってしまう短編小説で、名前を聞いたことがあるひとは多いと

「欲望—手段・方法—目的」の崩壊

最近読んだ本たち、13冊。

『圧倒的にやばい本』

ああ、これは(本)すげえ…と思う本に出会うことがたまにありますが、『すげえ…』の中にも種類があります。先日一瞬で読破した分厚い本は、圧倒的に『すげえ…』んですが、「これは敵わない」「どれだけ時間と労力をかけて纏めたのか」「こんな本を私もいつか書きたい」と、何か憧れや羨望の感覚を覚えるものでした。

「アウトプットがオリジナル」か「インプットがオリジナル」か問題

手で書くことによる効能

頭で考えるのと、手で書くのだと、後者の方が圧倒的に面倒な作業なので、何かの答えを導きたいときや、あるいはそもそも何を問うているのかを明らかにしたいとき、私はめんどくさいけど手で書くようにしています。 私たちのようなサッカー畑出身の人は、ほとんどが少年時代に「サッカーノート」たるものを書いていて(あるいは書かされていて)、そこには確かに「手で書くことによる効能」があったなと、今になって思います。私の場合サッカーノートを書かなくなってから(=サッカーを辞めてから)、考える作業と

なぜ「コーチ」という仕事だったのか、なぜ人は仕事を選ぶのか——。

どうせなら今世のうちに2種類くらいの人生は歩んでみたいと思っている人間なので、10年後、20年後は何をしているかまったくわからない。でも、今は広く括ると「コーチ」という仕事に必死に食らい付いている。この仕事が持つ価値は何か、なぜ必要なのか、どんな仕事なのか、そういうことを問うていると、結局行き着くのは「自分とはどんな人間なのか」である。 この場合、「(このコーチという仕事を選んで、才能があろうがなかろうが、楽しいことがあろうが苦しいことがあろうが、とにかく良い仕事がしたいと

「ブランド」とはコンプレックスに向き合うことなのかもしれない

“「ブランド化する」ということは、企業にとってきわめて重要なことです。その企業の使命や価値を多くの人に知ってもらうことで、働き手は「見られている」ことを常に意識し、自分たちを高める努力を怠らず、「自分たちらしさ」をさらに追求していくようになります。こうなるとブランド価値はさらに高まる。まさに好循環を創りだすのです。これは個人も同じです。” 「ブランド」とは何か、「ブランディング(ブランド化する)」とは何か、を考えるようになって久しい。先日カメラマンの岡元くんがインタビューを

美しくも過激な理論

人がまだ解明していなかったことを明らかにした者の気分は、どんなものか。何かを発明した者の気分は、どんなものか。 史上もっとも偉大な科学革命の一つとされている「量子論」の確立へとつながる数学的構造の着想を得たのは、わずか二十三歳の若者ヴェルナー・ハイゼンブルグだった。 最初の項で[ボーアの規則に沿う]正しい結果が出たように見えたとたんに、わたしは興奮のあまり次から次へと計算間違いをし始めた。そのせいで、計算結果がすべて目の前に出そろったときには、午前三時を回っていた。すべて

『憧れはいつも旅先だった』 -旅にまつわる本10選-

「人生は旅であり、旅とは人生である」という言葉を最後に中田英寿が舞台から退いたとき、当時14歳の僕は多分、「旅」というものに猛烈に憧れたのだと思う。自由に生きられる歳になったら(無論ほんとはその時だって自由だったのだけど、子供の頃はサッカーや学校や場所や、とにかく色んなことに縛られている悲劇のヒーローだった)、中田英寿のように、長い時間をかけて、あるいは残りの人生の全部を使って、世界中を旅しよう。思えばずっとそう思っていた。 先日、何年ぶりかわからないくらい何年ぶりかに、試

ドイツのゲーム文化発展過程から学ぶ『フットボールの発展に必要な5つの要素』

ユーロゲームもしくはドイツゲームとは、1990年代中盤から現在までに発売され、世界的な人気を獲得した独特のテーブルゲーム群。 狭義にはドイツを中心とするユーロ圏で作られるボードゲームを指すが、2010年代以降その枠にはとどまらなくなりつつある。weblio辞書より ユーロゲームのデザインや文化、歴史、プレイについて書かれた『ユーロゲーム ——現在欧州ボードゲームにデザイン・文化・プレイ』には、「ゲーム」という点で言えば同じ分類に属し、また多くの類似性を持つ「フットボール」を

異邦人として生きること——。村上春樹と小坂井敏晶

外国に行く・暮らすということには、やはり意味がありそうである。なぜ、意味があるのか。あるいはなぜ意味を見出すことができるのか、その理由は人ぞれぞれなのだなと、当たり前のことに最近気がつく。というより、外国に行く・暮らすことの意味や、意義や、価値、なんでもいいけど、そのことに対して自分が自然に答としてもっていたものが、なんとなく変わってきているなと感じることも(最近になって)あるし、はたまた、他人に目を向けてみると、自分とは全然違う理由で外国に行く・暮らすことの意味を見出してい

「止まる」こととは——。はたから見ると「動いている」ように見える時

画家が筆をとめて、描いていた絵を少し離れて見ている時。料理人が出汁を口に含んで味をみている瞬間。会話の中でピッタリくる言葉を探して、話すのを止めている時。『自分をいかして生きる』西村佳哲より 「動く」ために必要なのは「止まる」こと。逆説的だけど。ほとんどのことに共通して、動くことより、「止まる」ことの方が難しいと思っている。難しいことには、価値がある。 30歳を手前に、最近はよく「止まる」ことの難しさについて考えている。加えて、実感している。歳を追うごとに、油断していると