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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に…
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2022年6月の記事一覧

ハロー、何もしない人

何もしないってのは、何かをするより、ずっと難しいのではないかと思って、それはどうしてなのだろうと、考えたりしている。昔々、僕がサッカーというゲームの世界に身を置くようになってから、勝ちと負けで人生が武装されるようになって、そうすると、他者との比較や、自己との対峙を通して、次第に「何もしない」ということが難しくなったのかもしれないなどと、思う。 勝ちと負けというのは、つまりフィードバックで、自分が「何かをしないと…」とまたさらに焦りを抱えて生きている(た)期間は何かと考えると

あと少しで、20代が終わる。

10代が終わって20代に入るときの記憶は、あまりない。大きなこととして捉えてはいなかったからだと思う。新潟にいた記憶はあって、何か節目だから腕時計でも買おうかな、とかなんとか思って、結局買わなかったし、なぜか、誕生日にカーナビを買った記憶がある。謎。

「問題」と一緒に生きるか「仮想問題」と一緒に生きるか

生きていると、あるいは仕事をしていると、「ここが問題だ」と気づくことがあると思います。例えば何か実現したいことがある時、あるいは現状に何らかの変化をもたらしたい時は、そのプロセスの中で、大なり小なり「問題」があることに気が付く瞬間があります。 それが常識的になりすぎていて、「問題である」ということに誰も気が付いていないパターンと、あるいは、みんな気が付いてはいるけれど、見ないふりをしているとか、「その問題は決して解決されないもの」として放置されている(問題があることが前提と

Necessity is the mother of invention|必要は発明の母

新しい戦術が生まれるとき、そこには必要性があります。アリゴ・サッキだって、ペップだって、クロップだって、誰だって、そこに必要性がなければ血眼になって戦い方を発明することなどなかったはずです。そうしなければ、ならなかった(勝てなかった、あるいはクラブが発展しなかった)。この必要性を無視してしまうと、つまり、戦術を生み出すことや、戦術を実行すること自体が先に来てしまうと、そこでエラーが発生してしまうのですが、私たちの世界ではそれを頻繁に起こしてしまいます。 スタイルが先行すること

私たちはどういうサッカープレイヤーを育てるべきか——。致命傷になり得る5つの能力

育成世代におけるメソッドのようなものは世に溢れていますし、欧州や南米で構築されたものをそのままコピーする(しているつもりになる)ことも多いと思います。 私が思うに、そのほとんどが、タクティカルな部分、テクニカルな部分、あるいはフィジカルな部分の習得に重きが置かれていると思うのですが、それだと具体度が高すぎます。〇〇メソッドと名が付けられているもののほとんどがそうです。 私の考えでは、あるひとつの哲学やスタイルを子供たちに習得させることによってではなく、"サッカーというゲー