マガジンのカバー画像

蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に…
¥300 / 月
運営しているクリエイター

2020年3月の記事一覧

サッカーは、人に勇気を与え得るか

勉強をしない人間が勉強をする人間になるための『時間・空間・音・身体』

このマガジンは『他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する』というテーマで、アルゼンチンに住んでサッカーのことばかり考えている人間がサッカー以外のことを考えるときもサッカーに繋げてしまい、それゆえサッカーのことを考えていても他分野のことに繋げてしまう、という複雑な様を記録しているものです。 サッカーの話も、それ以外の話も出てきます。 最近は文章を書く時は『蹴球症候群』がほとんどなので、興味がある方はぜひ。

時間が進まないことに対する恐怖心

日本での一時帰国を終えて、アルゼンチンに帰ってきてから1ヶ月以上が経ち、2日前にアルゼンチン全土で外出禁止令が発令されました。

もしも東洋医学的発想でサッカーを理解する監督がいたとしたら…

前回の続きです。前編を読んでいない人はなんのこっちゃわからないと思うので、前編から読むことをお勧めします。 ・・・ 1883年に明治政府によって発令された「医師免許資格」において、医師になるための資格試験を西洋医学に定められたこと、また第二次世界大戦敗戦後、GHQによって「非科学的な医療」という理由で、禁止処置をとるよう日本政府に圧力がかけられたことなどによって、日本における「医学」はイコール「西洋医学」となりました。近年になって、東洋医学の治療効果を科学的に証明しようと

ユニフォームの役割のうち「絶対これは違うよね」という使い方

最近1番欲しいユニフォームは、これです。 そんなことはどうでもいいんですが、

東洋医学における日本の進化過程から考えるフットボールの未来

自分が専門的に学んだ学問であること、また西洋思想と東洋思想がわかりやすく異なる形で体系化されていること、を主な理由に僕はこれまで西洋医学と東洋医学をサッカーのフレームに当てはめて考えてきました。 そんなこともあり、これまで記事でその考え方に少し触れてみたり もしくは軽くTweetしたり(下のは2018年9月(!)に呟いたもので、このあとすぐ知人に紹介してもらったサッカーと東洋医学がわかる非常に優秀な方と出会うことができ、今でも良い関係でいさせてもらっています) 僕のサッ

母国語と外国語で、話せ。そして話せ。

ホリエモンがカルロス・ゴーン氏とレバノンで対談した動画と、僕の海外生活における経験から、考えたこと。 これまでの日本人が求められる力と、これからの日本人が求められる力は全く異なるものになっていくというのは、明白な事実ですが、その中でも「言語」について、今日は書きたいと思います。

結局ふざけていいのか?ダメなのか?——「勝利」を追求すればするほど必ず「楽しむ」に行き着く理由と根拠

サッカーという、ある種抽象的なスポーツの世界にいるからなのかもしれないが、時に「勝利」が邪険に扱われ、また時にそれに相対するようにして、「楽しい」や「幸せ」が邪険に扱われているのを目にすることが多い。そのような論争をみるたびに、僕はサッカーに従事する人間として、大きな危機感を覚える。 上記したように、「勝利」が邪険にされる代わりに「楽しい」が表に出て、逆に「楽しい」が邪険にされる代わりに「勝利」が表に出るような、そんなサッカーが日本で行われている限りは、僕は未来がないと思う

『スポーツやってるお前ら、イケてる雰囲気をつくるためなら、なんでもしろ。』

Instagramで少し話題になった、あるサッカークラブのクリエイティブの紹介と、またそれを見て考えられることを書きます。 それに加えて3月8日が『国際女性デー 』ということで、女性のサッカーカルチャーの最近の流れを解説したいと思います。 ▼河内一馬のInstagramはこちらから ・・・ 世界では、特にヨーロッパやアメリカでは、クリエティブな仕事をしている人たちが、クリエイティブなサッカークラブを作って(真剣に)遊んでいます。最近はロンドンで、女性のイケてるサッカー

サッカーにおいて『探す』と『確認する』は何が違うのか?首を振っている選手は何をしているのか?

上のTweetについて、 ①:どうすれば、サッカーにおいて選手が「探す」と「確認する」の違いを理解できるか(トレーニングで体感させることは可能か) ②:選手(チーム)が「探す」のではなく「確認する」ためには、何が必要なのか という観点から、もう少し詳しく解説をしたいと思います。 前提として、2つの日本語の違いはツイートした通りだと思っていただければと思います。選手が首を振った時に、「探して」いるのか、それとも「確認して」いるのかによって、大きな差が出ると僕は考えています

『サッカーしか知らない奴』にならないために、僕はここまでどういう戦略を持って生きてきたか——。

「サッカーしか知らない者は、サッカーすら知らないのだ」 僕はこの言葉を、本当に信じている。一番最初にこの言葉を見たのは確かまだ学生の時で、誰の名言として書かれていたのかは忘れたけれど、有名な監督が言った言葉として本に書いてあったのは覚えている。日本に一瞬だけ来たリージョも、同じように言っていた。 サッカー監督になると決めたのは20歳の時で、そこからこの言葉を常に意識してきた。理由は単純で、サッカーから外の世界に出てみたり、サッカーとは違う世界の本を読んだりすると、あること