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正社員を辞め、ライブから離れ、職を捨て、それでも歌い続けて得たいものは「自由」

そもそも何故音楽をやろうと思ったのか。

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私は音楽は趣味でいいなんて思ったことは一度もありません。
初めてギターを手にした中学生の時も、友達と進学校に馴染めなかった高校生の時も、音楽を仕事にしたら嫌いになるからやめたほうがいいと言われた大学生の時も。

だけど音楽で生きていく覚悟も無く、大学4年になってもふわついた状態で、長男だし親のこともあって就職の道を選んだ時は、私は音楽だけでなく自分の人生すべてを捨てました。

ああ、このまま40年働き続け、人生が終わっていくんだなと本気で思いました。あんなに好きだった長髪も腹括ってバッサリ切ったことを今でも覚えています。

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就職時代は2年でした。いや、正確には2年しか持ちませんでした。
理由は自分を殺して生きていくことがどうしてもできなかったからです。

人づてではありますが、私はたぶん性格とかキャラクターはわりと濃いほうだと思います。こんなんが就職なんてできるわけがないって感じでしょうか。

話は通じない。社会には馴染めない。学校ではいじめられる。20数年肌感覚で経験して失敗してきたので、否が応でもわかります。

では何故そこで音楽なのか。
私にとって音楽だけが、自分という存在を真正面から受け入れてもらえるものだったからです。

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そこで27歳の時、一人で本格的にライブ活動を始めました。音楽が唯一、稲田一馬という人間を認めてもらえる場所だと信じて。

しかし、社会に比べたらまだ受け入れてもらえたものの、ライブ空間でも浮いていたみたいで、なかなか適応できませんでした。

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今だからわかります。

ライブでいきなり「Бесконечная лояльность、Россия」や「仏像第一楽章」歌い出してもなんのこっちゃわかりません(今は仏像第三楽章まである)。
私でもわかんないです。さっぱりわからん。わかんないことがわかります。

音楽はやりたい。だけどライブ空間でも合わない。何故だ。何故ライブ空間は音楽なのに合わないのか。

答えは「自由」ですね。
私は音楽がやりたかったんじゃない。自由を得たかったんです。音楽はあくまで手段。一番自分が自由となれるもの。

音楽はあるけど、ライブでは自由になれなかった。あるとすればワンマンライブぐらい。共演者が集うブッキングライブには、どうしても馴染めなかった。

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そして現在。流しは本当におもしろいです。まさに自由。
それは自分だけじゃなくて、お客さんが自由でいてくれるのが本当に最高です。

私なりに、何年も何十年も自由が得られなかった苦しみを知っているから、せめて私の流しだったりワンマンライブなどの空間だけでも自由でいてほしいと強く思います。

歌いたかったら歌えばいい。昼から飲みたかったら飲めばいい。好きなことを好きなように好きな時間で過ごしてほしい。本当にそう思います。

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もし現在窮屈な環境に身を置いている方がいらっしゃいましたら、ぜひ一緒に歌いましょう。そして語りましょう。
今日の昼流しもそうでしたが、歌わずお話させて頂くこともけっこうあります。これがまたありがたくて。


さあ私は今から、1日1曲の曲覚えに入ります。

250曲以上もあるリクエスト(宿題)。こちらはつまり、来て下さった方々との約束なんです。
またいつか会えるように。いつお会いしても歌えるように。そして一人でも多く自由へとつながるように。

今日もまた、練習するのであります。

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これからもぶっ飛ばします。良かったらぜひ!