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【短編小説】ガードマンのおじさん

僕は毎日、朝から歌の練習をしている。

昔は家で練習していたが、さすがに大声を出すわけにもいかず、
数ヶ月前から近くの空き部屋で歌うことにした。
空き部屋は1回500円で貸してもらっていた。

歌の練習は毎日だ。
土曜も日曜も祝日もない。
僕は歌が苦手だから、とにかく歌がうまくなりたいのだ。

いつものように練習で空き部屋へ行った。
すると部屋の管理人さんからこんなことを言われた。

「毎日毎日使ってくれてありがとう。だけど、突然だけど明日から1ヶ月ほど休業することになったんだ。」

僕は戸惑った。
でも何かのご事情があるのだろう。
僕は頭を縦に振って、空き部屋を後にした。


次の日。
天気は晴れ。気持ちいいほど清々しい空。

いつものように早起きして、
いつものように少しボーッとして、
いつものようにお風呂に入る。

歌の練習の時間だ。
だけど今日から1ヶ月間、空き部屋は空いていない。
空き部屋なのに空いていない。

僕は歌がうまくなりたい。
だけど家では練習ができない。
隣の人に迷惑をかけてはいけない。

どこか大声で歌の練習ができる場所がないだろうか。
僕はギターを抱え、自転車に乗って探し求めた。


なかなか見つからない。
改めて考えても、あの空き部屋はすごくよかった。
とても快適で、どれだけ大声で歌っても何も問題はなかった。
とりあえず僕は、近くの川沿いで歌うことにした。

近所迷惑だけは避けたい。
だけどここの川の上は、電車がよく通っている。

そうか、高架下!
ここなら逆に、大声で歌っても電車の音で多少はかき消されるだろう。
そして念のため、川のほうを向いて歌おう。


いつものように練習を始めた。
少し寒いけど、贅沢は言ってられない。
明日からはもう少し着込んで来ることにしよう。

1時間ほど歌って、そろそろ帰ろうかと思ったその時。
知らないおじさんがこっちに近づいてきた。

やはりうるさかったのかな。
僕は少し怖くなって、謝ってすぐにでも帰ろうと思った。
するとおじさんが何かを渡してきた。

「はい、飲みな。」

缶コーヒーだった。
僕は一瞬戸惑ったが、ありがとうございます!とお礼を伝え、
缶コーヒーを受け取った。

「そこで弁当食べてたけど、歌声が聞こえてきたから来てみた。」

その後、おじさんは話を続けた。

「今日、会社休んじゃってさ。精神的に本当に辛くって。ガードマンやってるんだけど、全然おもしろくないし。給料安いし。休みも日曜日だけ。」

笑いも交えつつ、疲れたような表情がそこにはあった。

「上司に怒られるだろうなあ。もしかしたらクビになるかもしれない。だけどクビになってもいいかなと思ってる。ハハハ。」

おじさんはグイッと、缶コーヒーを飲んだ。

僕にはどうしたらいいかわからない。
会社に戻ってとも言えないし、会社が悪いとも言えない。
だけどこの時に強く思ったのは、
おじさんを絶対に否定してはいけないってことだ。

『大丈夫だよおじさん。人生いろんなことあると思うよ。今日はいい天気だし、晴れ渡る大空の下で過ごせば気持ちも前向きになってくると思うよ。』

僕は続けた。

『僕は普段、歌を歌っているんだ。おじさんの好きな歌があったら、僕歌うよ。』

おじさんは少し考えて、こう答えた。

「ええと、フンフンフーン...なんだっけな。ビートルズの曲なんだけど。」

『フンフンフーン、あ、"Yellow Submarine"かな。こんな感じの曲?』

「ちょっと違うな。あれ、なんだっけな。」

『じゃあこれかな。”Let it Be”。こんな歌だけど。』

「おお、それだそれ!」

『オッケー!じゃあ、今から歌うね。』

辿々しい英語ながらも、僕は一生懸命、”Let it Be”を歌った。
おじさんは笑顔になった。

「ありがとう。ごめんね練習してるのに来ちゃって。行くわ。」

『全然平気だよ。おじさんも元気でね。』

おじさんは遠くへ歩いていった。


正直、昨日まで僕は落ち込んでいた。
僕はこのまま歌を続けられるのか。
そもそも僕なんかの歌を聞いてくれる人がいるのだろうか。

だけど、おじさんに会って、すごくすごく力をもらった。
僕なんかの歌でも、
ほんのわずかかもしれないけど、
心の支えになれたのかもしれない。


明日もまた来よう。
練習できる場所が今はここしかないけど、
僕は僕で、今を一生懸命生きよう。

きっとおじさんも、
自分自身を見つめ直して一生懸命生きているはずだから。


今日はとてもいい天気だった。
気持ちいいほど清々しい空。


おしまい


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これからもぶっ飛ばします。良かったらぜひ!