レールから外れる選択

背景

私の経歴を簡単に言うと、幼稚園から高校までインテ→大学卒業→高等部専攻科なのでイメージとしては、大学まで行ってまた高校に戻ったような感覚。教員免許を取るために大学に専攻科を設置してるところはあるが、そこではなくろう学校に設置してある専攻科。それも母校ではなく教育実習先のだ。
人生初のろう学校に生徒として通える、、、?
前代未聞の選択だ。
自分だからこそ決断できた選択かもしれない。

怒涛の1年間の記録

大学4年生の時、何があったのか記していきたい。
怒涛の1年間だった。
大学四年生の私にとって重いものがいくつも同時進行で動く。教職課程、卒論、教育実習、就活、全日本ろう学生懇談会で会員の集い実行委員。同時進行苦手な自分。それなのに色々首突っ込みがちなのは衝動性ゆえなのか😅

3月1日。
就活解禁の鐘がなる🔔

教採?就活?院?と揺れてた私は出遅れた。その時期に考えることではないのは百も承知ですが😅
先の見通しをつけるのが苦手だという特性もあり、どうすればいいか分からず方向性が定まらないまま4年生にあがったのだ。

就活開始

4月半ば、紆余曲折あり、就活すっか〜とようやく方向性を決めたものの、これといった軸がないまま就活を始めることに。中2からずっと聾学校の先生になりたいと思っていた。でも先生になるのはまだ無理だなと思い先生になる前に別の仕事をしようかなと決めたものの先生以外の仕事に興味が持てなかった。
そんな時に、全コンでお世話になった先輩から働いている会社の話をきいているうちに、自分もその会社に行きたいと思い、履歴書添削受けながら書き始めた。焦りもあったし慌てていた部分もあり、書類選考で落とされた。
準備不足だし落ち着いてエントリーしろと過去の自分をビンタしたい。他に行きたい会社を探さなければならないが、なかなか見つからない。
そんなことをしていると、教育実習前になった。

卒論と教育実習①

卒論を共同執筆することになった。同じ専攻ということもあり、お互いに教育実習があるのだ。教育実習の期間、ちょうど入れ違いになる。
私が教育実習に行っている間、彼が作業を進める。
帰ってきたら、彼が進めた作業を引き継ぎ作業を進める形だ。が、超絶苦手なことだった。案の定、予定通りに進まずあああああああああああああ無理ぽ🤪🙃🥶😱
教育実習は2週間ろう学校幼稚部でやった(免許は中高だけど特支実習だから免許がない幼稚部にいけた)
社会人としてのマナーとか云々🤔やらかして実習の単位ギリギリだった。

試験期間と体調不良

実習から帰ってきた6月中旬から8月にかけて怒涛の課題、テストラッシュ。
教職課程の課題のひとつに履修カルテと呼ばれるものがあった。指定されたテーマレポート+読書課題レポート10冊分を4年生の夏までに終わらなければ免許取得がダメになるものだった。周りは計画的に進めていたが、先延ばししてたツケが回ってきた。
履修カルテは何としてでも終わらなければこれまでの3年間が無駄になるというプレッシャーに加え、講義の試験に向けて勉強やレポートも同時にやらなければならない状況で落ち落ち寝ていられなくなった。極度のストレスで喘息の発作が再発。眩暈、耳鳴りも起きた。休日や時間外(夜)に体調崩して病院に何回かお世話になり病院代が飛びまくった。身体に悪いところはないのでストレスから起こるものでしょうと言われる。必死こいて締切日に滑り込みで出し解放された翌日、悩まされていた症状は綺麗さっぱり消え去った。

就活②

先輩が働いている会社以外に興味を持てる会社がなかなか見つからなかった。そんな時(7月頃)苦手な事務仕事ではあるけど障害への配慮が整っていて働きやすそうな特例子会社を見つけた。採用の過程で実習(2週間だったかな)があって、合格基準が社会人として働けるかどうか。つまり、社会人としてできて当たり前ができるかを見られる(障害の部分は考慮されるけど)例えば朝起きて通勤できるか?体調管理できるか?敬語が使えるか?とか🤔
それでつまづいて落ちた。
9月のことだった。
社会人失格の烙印押されちゃった。ほんでまた振り出しに戻った。そもそも興味をもてる会社がなかった。なんで向いてないのに会社勤めにこだわってたんだろう?福祉選べば良かったじゃん🤔って今となっては思うけれど、あの時は福祉はいつからでもできるから会社勤めを経験してみたいという安易な考えを持っていた。

教育実習②

10月末から11月中旬くらいまで3週間前期とは別の学校で教育実習を控えていた。
共同執筆でペアだった彼もまた実習を控えていた。
まず先に私が実習に行った。
この実習でも初っ端からやらかす。忘れもしない実習3日目。ハロウィンの日だった。
とうとう職員室で実習担当の先生に絞られた。
学校に出す書類で時間なくて焦ってボールペン書きしないまま出してしまってて指摘されて後で訂正しようと思ってたとほざくクズ学生だった。案の定、バチくそにキレられる。職員室出た後、トイレにこもって号泣した。自分が悪いとわかってるのに。
発達特性があることを実習先に伝えてなかったけど、何とかなるやろと思っていた。
なるわけがなかった。
あえて伝えてなかったのではない。自分では、伝えているつもりだったし伝えてないことを忘れてたのだ。
この件をきっかけに、言わないまま実習期間乗り越えられる気がしなくて後出しで伝えた。後出し良くない😅
この後も、提出期限守れないとか研究授業でも印刷漏れに直前になって気づくとか失言とか諸々やらかしを重ねていた。わざとではない。本当に。ああ、社会に出るのは無理や(絶望感)と悟った。

そして、実習中、専攻科の授業(社会)とHR(朝の会、帰りの会)を受け持つことになった。インテ出身だけど、ろう学校に転校した幼なじみが専攻科の子と付き合ってたこともあって高校生の時から専攻科の存在は知っていたけど、専攻科に社会あるの?そもそも専攻科って何?と詳しくは知らなかった。
実習で、実際に専攻科の子と関わり専攻科の様子もみた。
そこで、専攻科は年齢関係ないことを知った。18歳で入る子が多いのは確かだけども、社会人になって会社やめて学び直すために入るパターンもあることに気づいた。
専攻科は本科(高等部1〜3年)とは異なり、社会人になるための一歩手前であり、技術だけではなく社会人として働くために挨拶やマナーに厳しい印象があった。また、生徒だけで考え物事を決めて進めていく自主性を育む場面も多くあった。

実習期間は3週間あった。
自分の進路が決まっていない現実と卒論やべぇし就活休止しなきゃということに焦っていた自分、何を血迷ったか選択肢の中に専攻科に行くを加えるのはありか🤔と思い始めた。何故なら、社会に出るのはまだ早い。手話がある環境で学び直し、社会人としてのマナーを身につけるのも悪くないのではと思った。
でも、「今先生の立場で来ていて入るとすると半年後実習で関わった生徒が先輩、同級生、後輩になる。それは教育的に良いのか?まずいよな😅」と思い、高校時代から関わりがあった進路担当の先生に相談してみた。
「今進路が決まっていない状況で、特例子会社の実習で社会人としてのマナーが身に付いてないことで落とされたんですよね。まだ社会に出るのは早いと思っていて、実習で専攻科をみて手話がある環境で社会人としてのマナーを身につけるために進路の選択肢に加えたいと思っていますが、今教える立場で来ていて半年後には生徒と同じ立場になってしまうのは教育的に大丈夫なのでしょうか?」というようなことを聞いた記憶がある。遊びで来るなら反対だけど学びたい気持ちがあるならその選択もありなのではないかと助言をいただいた。結論、大学の先生や親とも相談してみますということになった。

相談した後のこと。
自立活動の授業で自分の障害を聴者にどうやって伝えるかをやった。そこで、高3の子に進路をきいた。進路を聞きながら心は専攻科に思いを馳せていた自分。実習中だしまだ考えるの早いわと頭では分かっていたが、頭から専攻科に行くという選択肢が離れなかった。前代未聞の選択になるだろうし、実習大失敗したところに行くってメンタル強すぎるわと今は思うけど、あの時はなりふり構っていられなかった。すがりたかった。
そうでもしないと心が保てなかった。専攻科進学の選択肢は当時の自分にとって希望の光だった。

実習後〜卒論提出まで

※この時期のことは複雑に絡み合ってるので1つひとつ整理して書き連ねるとする。
11月中旬に実習が終わった。実習が終わった後は事後処理(レポート、お礼状など)+卒論+11月末〜12月頭にリハ合宿(全日本ろう学生懇談会の会員の集い実行委員、企画担当で現地宮崎に行ってリハ合宿行なった)を控えていた。トリプルパンチの状態だ。同時に重いものがいくつも同時に続いていく。
同時進行が苦手やのに。
そしてマルチタスクも苦手。複数のことを同時にこなさないといけない状況になったが、思い通りに進まないことにパニックになった。

実習事後処理
実習日誌のなかに実習終えた後に書く手書きレポートみたいなものがあった。それを完成させて11月末に提出。
同時に、パソコンでも実習レポートが課されていた。あと、実習先にお礼状も書く必要があった。
私はレポート類が大の苦手。正解がないから何を書いていいのかわからず途方に暮れるのがいつものパターン。テストは正解があるから好きだ。覚えるのは得意だった。でも、考えを述べなさいなど思考を問う問題は苦手。つまり、自分の考えをまとめて文章にするのが難しかった。ということもあり、実習事後処理に苦戦した。なかなか進まないのに、迫り来る締め切り。何とかギリギリで完成し滑り込みセーフ。
卒業できるのか?
卒論必修で書かないと卒業が出来ない。11月中旬、実習から帰ってきた後直面した卒業の危機。卒論が1ミリも書けなくて共同執筆のペアに大迷惑をかけた。ペアを解消されたら卒業できない確定なのでどうしようもなく土下座するしか方法はなかった。ペア執筆したいと懇願し続けてもらえることになった。
テーマは、『発達障害学生への支援の現状〜大学のHP調査より〜』
卒論、一章を私。二章〜四章をペアの子が書くことになった。ゼミの規定でペア執筆の場合、1人あたり9000字以上だった。お前、研究してないじゃんとツッコミが入りそう。そうなんです。どうしようもなさすぎて、助け船として一章で研究の前の根拠を9つ述べること(1000×9)を課された。発達障害の定義やら発達障害学生に関わる法律やら書いてた。大量の文献と格闘しつつも、ギリギリ定められた字数を満たせた。 
集い実行委員
全日本ろう学生懇談会と呼ばれるろう学生(聞こえない、聞こえにくい学生)が活動する団体に所属していた。
毎年、2月〜3月頃の春休みに全日本ろう学生懇談会、会員の集いが開かれる。2018年度会員の集い、主管支部は九州支部だった。私は東海支部の会員だったが、人員不足により九州出身の自分も派遣という形で実行委員に加わった。企画担当になった。
毎月、会議や実習などで帰省していていつもどこにいるのかわからないと言われるくらいだった。
最初は良かったが、実習や卒論などと両立ができなくなった。11月末から12月頭にかけてリハ合宿が行われたが、パワポができず列車の中でカタカタ打ってた。ひどい企画担当←
集い当日は周りのサポートのおかげで何とかなった(?)
専攻科試験
なんと集い最終日の翌日が専攻科試験だった。集い会場は宮崎だ。
集い終わって本来ならお疲れ様食事会に後泊が待ってるはずだった。
専攻科試験会場に翌日朝9時には着いてないといけない。泣く泣くお疲れ様食事会に後泊をあきらめて終電で帰った。終電でかえって翌日朝9時には試験会場に向かうのだからハードだ。今思うと体力よく持ったなとおもう。
試験会場につくと、ずらっと実習でお世話になった先生方が並んでいた。私が最後だったようで教室まで案内してもらった。教室に入ると実習で関わった子たちがいて静かに驚いていた様子。
翌日、ろう学校中の生徒に○○先生(実習の時の生徒からみて)がおったとうわさが広まったのは誤算だった。
後日、合格発表があり無事合格した。3月半ばに卒業後の進路が決まった。
こんな感じで幕を閉じたが、大変な1年間だった。ろう重複障害学生がもがいた記録だ。あの1年間があったから今の自分がいる。たくさんの人に迷惑かけたが、支えてくれた人もたくさんいた。
ありがとうございました。

おまけ。さまざまなSNSに当時を振り返っての想いを載せていたので集めたメモ。
時系列はめちゃくちゃですが、当時の気持ちが載っているので参考までに。
【大学4年の振り返り】
※時系列めちゃくちゃ
なんで発達障害あるんだろう。この1年間悔しくて悔しくてしかたなかった。
就活、実習、会員の集いと集団で動くたびに知らない自分を発見する。これも課題だ!みたいな感じ。ある意味孤独な戦い。自分との戦い。劣等感が強まった。周りに自信持っていいんだよって言われたけど、自信はどこから来るねん。

実習も卒論もCで自業自得なんだけど上手くできなかったことに悔いが残る。
この1年間は挫折の年で実習、卒論、就活と迷惑かけっぱなし。卒業旅行中、地味に落ち込んでたけど、思い返せば3年の夏、色々きつくて教職やめようか悩んでたけど周りの後押しで続けることにしたんだ。実習いけないかもだし特支の免許を取得できないかもしれないけどいいの?って言われたけど。
確かに、特支の免許は取れなかったけど実習に行くことができたんだし中高の免許を取得できたから自分なりによく頑張ったと思っとく。
ゼミのみんなは、ほとんど四月から講師や教員。
そんなみんなが眩しくて眩しくて仕方がない。いつかは自分も。

今だから言えるけど、特例子会社に落ちた時、採用基準的に社会人として無理と烙印押されたようなもんだったし実習でも社会人としてのマナーが出来てないと注意されすぎて結構落ち込んだよねw
友達からも働く姿想像できないって言われるしな。
いや、自分でも働く姿は想像できないし働くの向いてなさすぎw

某特例子会社の実習で落ちたのが1年前の今頃。
ろう学校交流事業の日にお祈りメールだからなぁ。
キツかったわ。でも、あのまま受かっていたとしても多分耐えきれずに辞めてただろうから落ちて良かったのかもと専攻科進学の今思ふ。

去年の四月中旬、今が1番楽しいと投稿してたけどそのあと地獄を見ることになったんだったなぁ。
5月末から6月頭の実習、7月、8月の履修カルテ・テスト地獄、10月末から11月中旬までの実習、11月中旬から月末にかけて実習事後処理、卒論発表準備、リハ合宿に向けての準備のトリプルパンチ、12月卒論地獄
1月の卒論発表、リハ合宿
2月直前準備、3月本番、試験。しんどすぎて去年の記憶がぶっ飛んでる。
今日久々に就活の時に受けた差別を思い出したのであった。去年の1年間で自分がどういう人間なのか嫌というほど思い知らされた。
あんなに嫌な部分と向き合ったことがなかったしある意味良い経験になった

去年の11月、実習生だった頃の自分は最悪だった、手の施しようがないくらいねっていまだに言われるワイ、申し訳なさと恥ずかしさで胸がいっぱいになる。発達障害である事実に甘えててしょうがないじゃんって開き直ってたよねって心当たりがありすぎるぞ?就活、卒論、実習、実行委員どれもだ←

胃が大荒れ。ストレス性の何かだろうし胃薬飲みますかね。去年の悪夢を思い出す。夜中や休日に喘息で病院行くとか目眩がするとか。夏休みに綺麗さっぱり消え去ったからあれはストレス。そのあと実習で復活したんだけどね。あの時も胃が大荒れだった。給食しんどかったなぁ。

分からないことがあったらどこがわからないとか何がわからないとか説明できなくてもいいからとりあえずわからないってことだけは伝えないといけないってこの1年間で学びました🙄
できないことは諦める前に調べてみるとか聞くとかする努力も必要だよねってことも。卒論と実習と集いで学んだこと。

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