見出し画像

右手の代償

リビングを出た左手にあるタンスを右ストレートでぶち抜いた。

怒りはそれでも収まらず、玄関先にある冷蔵庫に右ストレート、左ストレート、右ボディをかました瞬間に、俺の右手が悲鳴をあげた。

鈍い「ボキッ」という音とともに、なにやら右手の甲が盛り上がっている。沸騰したアドレナリンのためか痛みは全くない。

10秒くらいだろうか、自分の右手を見つめた。

そしてふと我に返る。

だが、アドレナリンはアウトバーンを350kmで走るフェラーリの如く、止まる気配はない。一方で冷静に状況を把握する自分がいた。

すぐさま看護師の姉を呼ぶ。

「姉ちゃん、ちょっとこっち来てや、俺の右て見てくれへん?おかしいやんこれ、どう見ても『イッテる』やん。はよ病院つれってや!イッテルやん!」

怒りの矛先を見失った俺は、当てつけのように姉にそう言った。

極めて父性的で冷静な姉もこの時ばかりは動揺したらしい。

「レントゲン取ってみるまで、わからん!」

強い口調でそう言い返された。

後に聴いた話だが、他の兄弟にこの時ばかりは救難信号を求めたそうだ。あまりの俺の怒り心頭具合に、姉もかなりテンパっていたそうだ。

それくらい俺は怒り狂っていた。そしてその怒りを鎮めることができずにいた。あの時の感覚と感情は忘れない。


ーーーーーーー

母親の運転で、某独立行政法人系列病院の救急外来へといった。幸い人数も少なく、すぐに診察が回ってくると思っていた。だが、待たされること約1時間。遅い、あまりに遅すぎる。収まりかけたアドレナリンが再度ふつふつと湧いてくる。そんな俺をいさめる母親。

ようやくレントゲン室へ。手際の悪い技師にイラつくも、さすがに大人げないと感じたのだろう、素直に指示に従う俺。徐々に冷静さを取り戻した。

レントゲンの後、更に30分以上も待たされた。

「こんだけ人も少ないのに、なぜ待たされるんだ?」

怒りの沸点が再度上昇する。理性を失いかけそうになった。

だが、待つしかない。待つことしばらくようやく診察室へ。

「右手の手首手前の付け根、薬指と小指の部分が完全に折れてますね。」

医師の診断が出た。だが、まだまだ怒りの収まらない俺は、その矛先を当直の医師に向けていた。

「で、今後どうなるんですか?帰省で戻ってきてるんですが、手術するならはよしてください。できないんですか?それはなぜですか?」

完全に面倒くさい患者だ。幸い、当直の医師が肚の座った人間だったため、こちらの感情をくみ取りつつもうまく諫めてくれた。

「帰省日程と手術室の予約具合を加味しても、(地元で)手術は難しいですね。紹介状を書いておきますので、関西に戻られた際に再度病院へいってください。」

こちらの感情を敏感に察知してくれながら、落ち着きを取り戻すまで誘導してくれたその当直の医師には今では感謝しかない。

右手にぐるぐると包帯がまかれる。コルセットも差し込まれた。

ハードパンチャー顔負けの複雑骨折だった。

そのまま自宅に戻った。それでもなぜこんな目に合わなければならないのか、何のために帰省したのか、その意義すら分からなくなっていた。

前日は松陰神社に行き、

「親思ふ 心にまさる親心 けふの音づれ 何ときくらん」

との短歌に感動したというのに…。

だが、翌日は意外とスッキリと目が覚めた。怒りなど残っていない。むしろ家族に迷惑をかけたことを開口一番で告げて回った。

「父さん、昨日はごめんね。」

「お、おお。それより右手は大丈夫なんか?」

「うん、痛みもそんなないし、平気平気。」

父は若干心配と動揺の様子を帯びていたが、普段の日常に戻った。


ーーーーーーー

関西に戻り、最寄りの総合病院へ。

「この部分を骨折するなんて、まずないんですけどね。」

貧乏ゆすりをしながら面倒くさそうに、こちらも見ないまま説明する医師に、「うるさい」と思いながら事情徴収される。要するに冷蔵庫をしばいただけなのだが、「それっぽい理由」をつけながら傷害事件ではない事を説明していく。あくまで「自損事故」だ。

「入院の上、手術が必要ですね。」

変わらず面倒くさそうに対応する医師をしり目に、こちらも無と化し事務的な手続きを終えた。2日後に入院することになった。

入院当日、病院の都合でなぜか一人部屋になった。パンパンに膨れ上がった右手は難儀だが、それでもパソコンのタイピングくらいはなんとかできた。少しでも仕事を進めなければと。

翌日、手術室へと運ばれていく。幸い家族に医療従事者が多いため、医師の診断を説明し、フィードバックをもらい懸念事項に備えていた。最も懸念していたことは鎖骨の間から神経に麻酔をかけるためのブロック注射だった。

「痛いぞ~(笑)」

と姉から冗談半分なのか本気なのか分からないLINEが届いていた。いざ注射という時、今までにないくらい緊張した。どれだけ壮絶な痛みなのだろうか…。初めて「好きです」と告白したくらい緊張した。

「はーい、リラックスしてくださいねー。」

余り心のこもっていない事が伝わってくる医師の声。いざ注射の瞬間。


「あれ、思ったよりも痛くないやん」


と思ったのもつかの間、全身の神経に激痛が走る。思わず声が出た。全身麻酔なら良かったのだが、右肩から右腕にかけての局所麻酔。意識がある。

手術時間を大幅に過ぎて手術はどうやら無事に終わったらしい。しかし意識のある状態での手術ってのはもう金輪際いやだ。なぜか。医療スタッフの声が丸聞こえだからだ。右手を切開して骨折箇所を確認すると、想像以上に骨が砕けていたそうだ。テンパる様子にこちらも心配になった。

やはり幕ノ内一歩顔負けのハードパンチャーなのか俺は、と思いながら病室に戻り夕食を食べた。右腕の感覚は全くない。痛みもない。なんだ、思ったよりも大したことなかったな、などと思いながら眠りについた。

がしかし、当然のように麻酔がきれてくる。右手を切開し、散らばった骨を寄せ集め、金属の針金4本で固定し、縫合したんだ。普通に考えて「痛い」はずだ。案の定、0時に目が覚め、その後は一睡もできず、これでもかと痛みに悶絶した。ナースコールを3回、そのたびに痛み止めを施してもらったのだが、全くといって言いほど効果がなかった。

翌朝、まどろんだ状態で目が覚めた。当日中、痛みが緩和されることはなかったためか、もう一日入院し、翌日退院することになった。

右手の使えない不自由な生活が約1か月半ほど続いた。


ーーーーーーー

なぜ、そんな事態になったのか。

僕をよく知る人物からすると、不思議に思うだろう。議論はしてもむやみにケンカなどしない。普段は冷静かつむしろ相手をなだめる役割の方が多い。多少腹立つことはあれど、そんなもんはすぐに忘れてしまう性分。そんな僕自身が怒り狂い、自ら右手の骨を砕いてしまう事なんて想像できないのではないだろうか。かくいう自分自身が一番驚いている。

なぜ、そんな事態になったのか。

一言でいえば単なる親子喧嘩だ。きっかけは些細な意見の食い違いから生まれた議論だ。

ご存じの通り、僕は「筋」の通らないことが嫌いだ。文脈は多少異なるが、「任侠」といっても良いかもしれない。そのバックボーンは誰から受け継いだのか。まぎれもなく父親からだ。

その父が全く「筋」の通らない論を展開してくる。反論すると「親」という事実を傘にマウントを取ろうとしてくる。そんな権威主義的な構造を僕は極めて好まない。論理的に考えて「筋」の通らない事があれば、社長であれ父親であれ、引けを取らずに真っ向勝負する。感情は二の次だ。それで損をしたこともある。プロジェクトを外されたこともある。

だが、皮肉なことに、父が心配していたのはまさにその点だった。

議論の発端はその事だった。ただ、父は父で口がうまいタイプではない(その点も父親譲りなのかもしれないが…)。だからつい、感情的に僕が反応してしまうであろう言葉を浴びせてきた。そこに反応してしまった自分自身を今では随分と反省している。

父にとって、何歳になろうが俺は子でしかない。子を心配しない親などいない。だからこそ、その気持ちを適切にくみ取れなかった俺に責任がある。


「親思ふ 心にまさる親心 けふの音づれ 何ときくらん」

画像1

吉田松陰が読んだ、この短歌の通りではないか。

その点に気が付かなかった俺自身の未熟さ。何歳になっても、父は父だ。親が子どもを思う気持ちは変わりないのだろう。

後遺症が残るかもしれないと言われた右手だが、全くの不便がない状態にまで回復した。それはそれでよかったのだが、後遺症が仮に残ったとしてもそれはあくまで自己責任だ。誰のせいでもない。


右手の代償は、親子の絆を更に強めてくれたことだ。


いつまでたっても親には適わないなと、なんだか笑けてくる。

今年は両親を連れて、祖国巡業の旅に出る。韓国籍でありながらまだ一度も祖国の地を踏んだことのない両親と、祖父の本籍地を訪れる予定だ。

せめてもの、初めての親孝行になればいいな。


おわり


追伸:
旅先でケンカしないよう十二分に留意したいと思います笑。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?