見出し画像

2021.1.5 名前の話

さようなら、昭和天皇

昭和64年1月5日。
32年前の今日、私、斎藤和真は生まれました。
1月7日に昭和天皇が崩御されましたので、昭和64年は1週間しかありませんでした。
実はちょっとした激レアさんです。
両親はミーハーなもので、

昭和天皇にあやかって「和」を名前に入れよう!

と不謹慎に盛り上がったことが容易に想像がつきます。
不謹慎ついでに母は入院中のテレビがとても退屈だったようです。
タイミング悪くてごめんよ。

生徒たちの大反対

両親はどちらも数学の教師でして、はじめの名前候補は「和」のみだったそうです。

「和」と書いて「シグマ(Σ=総和の意)」と読ませよう!

なんでそんな数学イキりが出てしまったんでしょう。
そのままだったら、キラキラネームの走り的な存在になれていたかもしれません。

父は当時の担任していたクラスで「シグマ案」を伝えました。
お調子者なところがあるので、きっとドヤ顔で「うまいこと言ったったで〜〜」という具合で言ったのでしょう。
たぶん、その浮かれた態度も要因だった気もするのですが、生徒全員から「ドヤドヤシグマ案」が見事に否決されたそうです。
やあ、生徒のみなさま、ファインプレーです。
反対の一番の理由はロックマンのボスの同じ名前だからとのこと。

やあ、うん、シグマはちょっとね…

「私に感謝しなよ」

シグマ裁判から15年が経ち、私は中学3年生に。
当時の英語を受け持ってくれた斎藤優子先生、通称:優子やん。
小柄で前髪が揃ったクリス・タッカーみたいな勢いで話す英語の先生でした。

中3の1月頃、受験前なのでそれぞれ苦手なところを優子やんに聞ける自習みたいな時間でした。
僕もたぶん、何かを聞いたんだと思います。
そしたら、全然関係ない回答がきました。

和真は私に感謝しなよ、シグマはないと思ったわ

正確には覚えてないのですが、なんかそんなことを言われました。

優子やんは、父の教え子だったと不意に告げられました。
え、今?って感じでびっくり。
シグマ案を生徒に止められたという話は親から聞いていました。
でも、実はその後、「和◯大喜利」があったそうです。
和也、和樹、和子、和から始まる名前はたくさん挙がったことでしょう。
最後はみんなの多数決で「和真」に落ち着いたとのこと。
私の名前は生徒のみんながつけてくれた名前なんだと知りました。

PRIDE OF 「和真」

そんなこんなでついた「和真」という名前、とても気に入ってます。
自己紹介の時や電話に出る時に「和真です。」って言ってしまいます。
社会人として恥ずかしいことと知りながら、やりがちです。
「和真」って名前が好きなんで、名前で覚えてもらいたいという思いが強くあるみたい。
恥ずかしい。
でも名前って親がくれた最初の個性だもんね!
誇ってもいいよね!

両親、名前で遊んでくれた生徒のみなさま。
2021年1月5日、32歳、和真は元気です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?