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ヘミングウェイのハードボイルドスタイル

ヘミングウェイの小説はハードボイルドスタイルと呼ばれている。ハードボイルドスタイルは装飾を排除した簡素な文体で構成され、多くは犯罪・暴力・ミステリー・推理の要素で構成される娯楽小説で用いられる手法だ。ヘミングウェイがハードボイルドスタイルと聞くと意外に感じるかもしれないが、ヘミングウェイは現代のハードボイルド小説の文体に確実に影響を与えた作家の一人だ。

ヘミングウェイの文体は短文・簡潔・感情表現の欠如が特徴である。登場人物が『どう感じた』とか『どう思った』という表現は殆どない。出来事が淡々と一人称(三人称の場合もある)で語られる。その描写によって読者は作品に引き込まれ、想像力を掻き立てられる。

ハードボイルド小説において読者の想像力は必要不可欠の要素だ。ストーリーを進めるのに登場人物がこう思ったとか考えたといった描写は排除される。例えば登場人物が殴られるシーンがあったとする。そこには「痛い」「苦しい」などという表現は用いられず、「拳がめりこむ」「息ができない」といった物理的な表現から、殴られている状況を読者は想像する。そういった読者の想像によって構築されるのがハードボイルド小説の特徴の一つだ。
ヘミングウェイの小説では登場人物の行動が淡々と語られる作品が多い。そこから読者は状況を自分なりに想像して物語を追っていく。彼の描写には必ず読者の想像力を掻き立てるものがある。

ヘミングウェイの短編小説【二つの心臓の大きな川(原題:Big Two-hearted river 】がある。個人的にはこの作品はハードボイルドスタイルの傑作だと思っている。この作品は主人公ニック・アダムスが釣りをする様子を淡々と語っている。
この作品には色々な考察がある。そのどれも優れた描写の作品だと褒め称えている。またこの作品は作者ヘミングウェイが戦争によって抱えたトラウマを克服していく過程を描いた作品とも言われている。確かにそれを匂わせる描写があるのだが、ヘミングウェイの生い立ちを知らない読者が読んでもそれに気がつく者はいない。
私はこの作品を初めて読んだ時、ヘミングウェイの一連の短編作品で登場するニック・アダムスについて何も知らなかった。本格的にヘミングウェイ作品を読み始めてからニック・アダムスについて知る事になるのだが、最初この作品を読んだ時はまだこの青年について何も知らなかった。
しかし【この二つの心臓の大きな川】で淡々と語られる、釣りを通したニック・アダムスの行動のひとつひとつが、社会生活のひとつひとつに置き換えられているように感じた。やはり魂の再生を描いていたのだ。釣りをする描写からそれを読み取るのを可能としているのはヘミングウェイのハードボイルドスタイルによる賜物だと思う。

ハードボイルドスタイルは必ずしもエンターテイメントだけの物ではない。純文学においても重要な表現技法だと思う。主人公の行動を通して、その心に入り込み、自分と同化する。作品に引き込まれるとは正にこのことをいうのだろう。作品を通して作者の心の内を理解する事はできない。他人の心のうちを理解など絶対にできない。しかし登場人物を通して作者と同じ舞台に立ち、己を見つめ直す事ができる。
やはりヘミングウェイは天才だと思う。

最後に余談だが、この邦題には違和感がある。私はプロの翻訳家相手に講釈垂れるつもりはないが、この邦題は好きではない。直訳のまんまと言った印象が強い。しかしここにはハードボイルドスタイルの要素、簡素に表現すると言った側面からつけられた題名なのかもしれない。そうであればやはり正解なのかもしれない(それでも心臓との表現はやはり好きではないが)。

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