"note"こそ現代のメモ置き場

“浮気を知った時の、あの怒るタイプのエネルギー感ってヤバい。
源泉って何なんだ…?色んなもの混ざるけど、感覚としては何が一番なんだろう?”

↑ は、ふと頭に浮かんで、ちょっと前にスマホに書き留めたこと。(実際はもっと簡略的)
こんな感じで、気がかりなことはふとメモしがちです。
ま、あえて言うほどでもなく、僕以外も多くの人にある習慣ですね。

何が言いたいかって、
僕にとってはそうしたメモの延長線に、ここ ”note” があるってことです。

突然ですが、何か問題にぶつかった時、どうやって解決しようとしますか?

"問題に直面したら、本を探して読めばいい。答えが載っているはず。
そこに載ってなかったら、自分の問題と合っていない本を手に取っただけ。どこか別の本には答えがあるはず。"

長い間僕はそう思っていました。

中学生くらいからですかね、

・好きになったあの子は170cm近くなのに、俺160cmないってマズイ、釣り合わない。。背伸ばすってどうすりゃいいんだ?

・リレーのスタートになったけど、他クラスのメンツヤバすぎ、このままじゃ本番で無様だ。スタートダッシュに何か秘訣ってないのかな?

・試合で全然勝てない…。あ、プロと同じようにやればいいんじゃないか。それで、プロって実際どんな練習してるんだ?

こんな感じで、近所の本屋に(家から最も近い店が本屋で、行きやすかったってのもありますが)答えが載ってそうな本をちょくちょく探しに行ってました。
そして、その頃に抱く問題の大半には、それなりの答えを本が教えてくれたんです。

少し学年が上がり、ガラケーを手にしてからは、ネットにも答えを探しにいくようになります。

当時(今も?)ガラケーには “画面メモ” なんていう、WEBページを100件くらいまで登録できる機能があって、そこに後で見返したいページをキャパの限界まで残すようにしてました。
次なる残したいページに出会った時、惜しくも場外に追いやることになったものは、その内容をメールの下書きとして書き残すようにしました。

そういった "書き残し" こそ、僕にとってメモの始まり。
それはたぶん、貧乏性から始まったメモ習慣で、

"消しちゃった画面メモのページは二度と見つけられないかもしれない"

そう思ったから、メモとして残すようになったんですね。
それだけに、”スクリーンショット機能” なんかと出会った時は、青天の霹靂でした。
なんて革命的な機能なんだ、無限に画面メモが出来るじゃないかと。笑

なにはともあれ、
ネットで手に入れた情報を書き残しておく、
その頃のメモはただ単に ”情報の複製場所” でした。

その後、20歳前後くらいには、人生でそれなりの壁にぶち当たる実感が出てきて、今までのように本やネットに答えを探しに行くんだけど、
”これだ!!”っていう答えなんか、そこに載っていないことが多くなってきました。

"解決するには自分で考えて試行錯誤するしかない"
問題として大きいものほど、そう感じようになって
それから僕は、 ”情報の複製場所” としてメモするのではなく、
考えや試行錯誤の過程を "書き出す場所" "書き留めておく場所" として
ノートを使うようになっていきます。

大学4年くらいまで、そうした習慣の媒体は紙がメインでした。
実際、実家にある当時のメモノートを発掘してみましたが、
よく紙にこれだけ書いてたなーって、当時を振り返ります。
学校の授業なんかよりも、はるかにインクを消費してましたね(笑)

その後、スマホとの連動性を重視し出した僕は、データとして基本パソコンに書き出すようになります。
紙メインを止めると、こんなコンパクトになりました。笑

とまあ、このように、

ガラケーでの下書きメール
⇒紙ノート
⇒パソコンでのデータ&スマホ

として、僕のメモ習慣は歩んできました。
そこでふと考えます。
"僕のメモに、次のステップがあるとしたら一体なんだ…?"

その答えは、今やっているまさにこれ、"WEB上へのメモ" だなと。

かつてのメモ習慣は全て、自分一人で完結させたものでした。

けどもしかしたら、中学生の僕がガラケーでネット上を探し回ったように、今の中学生なんかが僕のメモと出会って、そこに何かしら示唆を見い出すことがあるかもしれない。

こんな想像をめぐらすと、WEB上にメモすることってアリかもな。

そう思えてきます。

というわけで、実際に書き出しているあたり、どうやらここ "note" という場所は僕にとって次なるメモ場所となっていきそうです。


ちなみに僕は現在システム会社でオープンソースソフトウェア(無料でみんなが自由に使えるシステム)の開発、運用周りをやっています。

元々、新卒時代にSEを目指していたのですが、結果的に新入社員研修中に退社。

その後色々ある中、とあるご縁で今の会社の代表からお声がかかり、今はPHPというシステム言語を学びつつ、"言語化" というものと "システム" というものと、何か面白い掛け算ができたらいいなと、この道の先で何か起こせることを楽しみに生きています。


"言語化" × "システム" の一例としては、文章や画像、コーディングまで
個人的にワンストップでこんなWEBページを作り、勝負所に援護射撃していったりしてます。
(画像押すと見れるので、リンク先ぜひ見てみてください。これ反響めちゃめちゃ良かったページです。)

こういったページの作り方としては、
・本人が発信してきたWEB上のアーカイブを編集し、たたき台を作成。
・その後2時間ちょっとのインタビューで内容を補完し文章を完成。
・あとは読み手の認識の流れを後押しするようにWEBコーディング。
といった形で作ったりします。

反響は良かったものの、正直、システム面での仕掛けは当時これで限界。
(それも、結構あれこれ試行錯誤の上でやっとこさの実現)
自分に出来ることの狭さ、力不足を痛感しました。
今後どれだけやれるかは未知ですが、
"言語化" × "システム"
を念頭に置いた活動に、もっと精進していきます。

ちなみに、僕は自らの活動を
"gestalt editing"
と定義しています。
この定義は、今さっき紹介したような製作過程なども包括しますし、
システム会社での活動なんかも概念として包括しているものです。

また、自分自身に対する定義は
"gestalt editor"
というものです。

※この定義は自分で創ったものなのでググっても出てきません。

"gestalt" ってなんだ?という感じかもしれません。
正直、この場で詳しく話を展開することは、
僕にとって今の言語化レベルでは厳しいです。
でも、この概念で世界を捉える感覚こそ、人間に本来備わった能力を活かす道で、AIが台頭してくる世の中で人間らしく生き抜いていく為のキー概念、
そうなってくる確信があります。

またいずれ、少しづつでもかみ砕いてご紹介できたらなと思います。

とまあ、あれこれ話は飛びましたが、
ここ "note" には、日々のメモから派生した雑多なあれこれを

"読み心地良い" × "何か示唆が生まれる(かも)"

という意識で編集し直したものを投稿していきます。
ぜひぜひ見てもらえたら嬉しいです。
では、また何かの記事でお会いしましょう!

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