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「で、あなたは何がやりたいの?」

 前回の投稿から、もう3ヶ月以上経過していた。コロナ自粛を機に「物書き」を始めたものの、一度手が離れてしまうとなかなか公開ボタンを押せず、下書き保存に投稿していた。日々の鬱憤や自分を責める気持ちを勢いで書き記した形跡が残るも、それすら今になっては何のことか理解できない。

3ヶ月とはそういうことだ。noteが頭の片隅から消え、また戻ってきた。

当たり前の通勤、通学。当たり前の平日と休日。そんな世界観を取り戻しつつある。非現実的な過去から確からしい現在へ。


 ただ自分は何をしてきた?


 実験は上手くいかないけど、図や表を提示してなんかできてる風なスライドを準備し、研究報告した。メディアまたは、化学系研究職の就職ができる有名企業にESを提出した。最近免許を返納した祖父の代わりに運転ができるように教習所に通った。

 

 それらは、たとえ順調に進んでいたとしても、本当に望むものなのか?


特に就活。


 学校生活はレールそのものだった。あっという間に20歳を通過し、もう24歳になる。幼いころの自分から考えると、24という数字はもう大きすぎる。大きな大人である。立派な大人である。

しかし、実際はどうだろう。親に学費と生活費を出してもらっているのに、中途半端な研究成果しか上げられず、就活情報サイトから来るメールを頼りにESを書き、就活生のオープンチャットで他の就活生と自分の出来を比較する。帰宅後には、コンビニで買ったやげん軟骨とYouTubeをおかずに、白米を平らげる。

 「夢」とは何だったのか忘れてしまった。日常をそのまま継続するためにできるだけ「良い企業」に就職し、頂く給料の範囲内で生活する。それを「かりそめな夢」のように大学院後の人生計画に添えてしまっている。

違うってわかってるけど、違うとは言い切れない。

世の中ってそういうものなのか?24歳にもなる大人がいまさらになって焦りだす。


 承認欲求の塊だ。


 人に認められたい。自分の作ったもので評価されたい。その気持ちはずっとある。良い点数を取って、良い大学へ。良い人を演じて、良い企業へ。


でもこれからはモチベーションの時代だといわれる。


好きなことで生きていく。ってみんなができることなの?

努力は必ず報われる。ってみんなが平等に報われるの?


そんなんことあるはずがない。

才能と、そして運。


でも、自分が意識してできるのは「努力」しかない。類まれなる才能と豪運に秀でても、石橋をどうやって叩くのかを知らないとその先へは渡れない。


だから今、気持ちがモヤモヤしているときでもなにか行動し、努力をやめてはいけない。先に先に取り組んで失敗して、未来の自分のために石橋の数を減らしておく。


本気で取り組めた時間が、その人の振る舞いに現れる。


だから明日も書きにくる。それが今やりたいことだから。

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