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自分の人生をメタ認知的視点で振り返ってみる③ おわり





そんなこんなで18歳で消防士になりました。

ここでまた、大きなターニングポイントがあります。
わたしはこの年、広島で消防士になって本当に良かったと思った。


それは、同期との出会い
延いては茜との出会いです。

本当に全力直球で表裏がなくて
ちょっと、いやかなり下品で
わけわからん存在

全てを信じられるって思えた
あの人は本当に何者だったのだろう。

わたしの人生の中で
一番の人格者だった。
茜みたいになりたいって思った。
きっとソウルメイトだった。


そんな茜が20代中盤で乳がんになった。
懸命に治療に励む中で、わたしはさらに色んなことを教わった。たくさんのことを感じた。

後悔しない選択をしなければならない。
自分で選んだ道に、責任を持たなければならない。


だからわたしは消防士を辞めた。
結婚したい人がいた。
後悔しないための決断だった。

(ここからハンドメイド作家になるまでの流れは過去の記事を読んでください!)


程なくして、まぁまぁとんでもないことが起きて結局婚約は無くなったし、わたしは無一文だし、がらんどうだと悲観したこともあった。

だから、ハンドメイドがバズったときは藁にもすがる気持ちだったし、これを絶対に手放してはならないって本能で思えたのでしょうね。
後悔したくない。諦めるのもひとつの選択だけれども、諦めたら次はない気がした。


どんどん売上が伸びているときにも、わたしは茜に報告した。同じ熱量で喜んでくれた。
消防辞めて良かったやん!って笑ってくれた。

それからわたしの物事を決める指標として、「後悔しない選択」を大切に、今日ここまで続けています。


茜に出会って、

選択できなくなった環境から
仕方なしにでも次に選択したことに対して
ここで巡り会えて良かった、
この選択をして良かったって
思えて良かった。

わたしは自分の人生を投げ出さなかった。



、、、それで、問題の実家との関係はというと

消防士になり18の秋頃には実家を出た、
ことがきっかけになったのかは正直分からない。でも確かにある程度の距離は必要だったのかも知れない。
その頃愛犬こころを家族に迎え、きょうだいもそれぞれ成長して巣立ち、今となっては愛鳥のぼんちゃんとせせりんを預けられるくらいには癒着できています。(笑)


時間が解決するかって言ったら半々かなぁ。
経験した事実、当時感じたことが上書きされることはない。けどわたしは今のところ全部ひっくるめても、選べなかった先でこれらを選んできて良かったって思えてるから一応大丈夫かな。と思います。

そうするために死ぬ気で頑張ったんですけどね!!!(笑)

それにやっぱり、ここまでの人生30年を思い返すと、恵まれてきた・恵まれていない時期が結果として今のスキルや考え方に繋がっているなとは強く自覚するんです。
多分、多才な方なんですよ(笑)我ながら(笑)


また、いろんな人と関わるようになって、あぁ、母親は持病もある中本当にいろんなことをがんばってくれていたんだなと実感もしました。
今では尊敬してる。ていうか今だからやっと尊敬できるようになった。って感じ。変わりなく、ちょっとずつ修復していくしかないんだと思う。




だから、自分で選んだそれに苦しめられてる人や悩んでる人を見た時、多分本当の意味ではその人の気持ちには寄り添えていないんだろうなって思います。
だって大人は逃げれば良いんだもん。
死ぬほど嫌なら辞めれば良いんだもん。
知恵と選択が人生を左右できるんです。

逃げたくても逃げ方を知らなかった未成年だったときに乗り越えてしまっているから。若くて無知だった20代前半で人の崩壊を経験したから。
あれで鬱にならなきゃこの先の人生いつなるんだよって思うほど。


自分で選択できることは、もう恵まれているってこと



⭐︎

いやメタ認知でもなんでもない!
ただの回顧録やん


今では全国に、最近では世界へも
多くの方に見守られて、ひとつのブランドとして好きになってくださる方々と出会えて、わたしはこの選択をして心から良かったなって思います。


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