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場面緘黙症について

場面緘黙症、というのをご存知でしょうか。

ふと日常を過ごす中で思い至り、自分にはこれを書くべき責務があるのではないか......と感じ始めていました。いい年齢にもなった上で、弱みを曝け出すことへの躊躇いを正直ながら感じつつ。その一方で、より広く明かしていくことで、自分以外の人たちにも何らかの価値を持たらすのではないかと思いました。自身のストーリーを軸に語っていきます。

場面緘黙症とは

平たく言えば、「特定の状況でまったく話せなくなる」症状です。あるグループ(家族やごく親しい一部の友人間)では話せるのに、他の場面では人が変わったかのように言葉を発さなくなる。ほぼ同じですが、日本場面緘黙研究会では以下のように定義されています。

「他の状況で話しているにもかかわらず、特定の社会的状況において、話すことが一貫してできない」

自分が最初に意識し出したのは、いつの頃だったでしょうか。
最も幼少期に遡ると、「幼稚園に転入生として来たこと」を思い出します。周りのみんなは既にグループで仲良く見えて、自分だけ外からやってきた、ただひとりのエイリアンのような感覚。その子らのグループと自分との間には、見えない壁があって、違う原理で空間が動いているような感じがした。自分はどう振る舞えばいいのかが分からず、ただ黙って立ち尽くしているしかなかった、という記憶。

明確な「始まり」がいつからなのかは、自分にも分かりません。ただ、それが小学生の頃も、続いた。登校で一緒になる子らとは、毎回固定された3人や4人のグループとなり、自分だけが唯一話せない。毎朝テレビの画面に映る「7:45(家を出なくてはならない時間)」になるまでの、胸が締め付けられるような重苦しい感覚。とにかく苦行だった登下校の日々の連続。

そんな週5日を、一年間、三年間、五年間と繰り替えすのに比例して、「自分はとにかく根本的に人と何かが違うのだ」という無意識の刻印が、根強く脳内に植え付けられていきました。

「なんで喋らないの?」

それでも、小学1~2年生のときはまだ喋っていた記憶があります。ただ、学校の担任の先生が厳しめな(よくある体育会系のような)4~5年生になるにつれて、萎縮と合わさり顕著になっていきました。

どんどん口数が減っていく。
疑問に思った周りの子らから、こう言われるようになりました。

なんで喋らないの?

同じことを聞かれる度に毎回、冷えた刀身のナイフが心臓を逆撫でるような感覚。

答えられない。どうしてかなんて、分からない。
それに対しての返答すらまともに出なくなる。「うん...。」とか「いや...。」とか最小限の返答しか出せず、それでいてちょっとでも人と話していたら

「あ、○○○くん(自分)が喋ってる!!」

希少動物か何かのように、めちゃくちゃ注目される。
これもあって、ますます「声を発する」という、「ヒト」にとってごく単純なたった一つの動作ですら、自分にとってはあまりにも恐ろしい「パンドラの箱」となっていきました。そのあまりにも高すぎるハードルは、24時間ただ生きて呼吸をしている限り、延々と課せられていきます。

自分が話す = おかしいこと

特に中学は、四年間(通っていた学校の仕組み上)丸々「緘黙」でした。

小学5年生になった途端からが一番酷かったため(特に体育会系の担任からのプレッシャーと、比較的仲の良かった友達らが全員いなくなったクラスメイトの入れ替えで)、転校をし。小中一貫のところに新しく環境を変えてみたはものの、やはり自分は「外から来たただひとりのエイリアン」であるかのような感覚から逃れられず。

あるとき、クラスメイトが自分の好きなビデオゲームについて、他の人と話していたとき。それを聞いて、自分も会話に加わりたいと強く感じました。しかしその欲求を全て「封印」する。表情にも言葉にも表さない。熱気を昇らせ始めた少年らしい、躍動した好奇心の塊を、凍ついたドブ池に自ら丸ごと投げ捨てるような感覚。なぜなら「自分が話す=おかしいこと」だからそれを貫き通さなくてはいけない...という強迫観念が、自分の中に出来上がっていたからです。

おそらく...。このときの感覚が、もしかしたら未だに後遺症として残っているかもしれません。自分になにか「話したい」という欲求が芽生えても、声に発するまでどこか一歩遅れるような感覚。その間に誰かがもう話し始めている。その人が話している間に満足そうなのを見て、別に自分はもう話さなくていっか...ていう冷ややかな気持ちになってしまうこと。他者を優先しすぎてしまう、悪いクセだと思うのですが、なかなか完全に治る気もしません。

回復はした?

一方で、小・中と10年間近く続いた緘黙症ですが、今は大幅に改善しました。正直今でも時折「これ緘黙症の名残かな」と感じる場面は度々ありはするのですが、概ねはだいたい人と話せます。

付け加えると、高校は三年間通いませんでした。入学はしたけれど諸事情あってすぐに辞めて(これは機会あればまた書きたいと思います)、丸々自宅や図書館、カフェでひとり勉強して過ごすような日々でした。

同級生もいない。先輩も後輩もいない。教師も担任もいない。
家族以外、いっさい人と会わない・話さないような日々を1,000日間以上続けました。正直「あれだけの過去を10年間過ごした上、こんな不登校生活を何年も送っている自分には、もうまともに人と話せるようには一生ならないだろうな」くらいに諦めているほどでした。

むしろ,喉に障害でも起きて、声を発せない体になってしまえばいいなくらいに思ってました。そうすれば、「なんで喋れないの?」と聞かれても、まともに相手が納得する形で答えられるから。「声は発せる状態なのに、喋らない」のが、相手にとって「わざと私を避けてるの?」と一番傷つけてるような感じがして、それが毎回辛かった。一生筆談しかできない体になったほうが、もう楽なんじゃないかと。

そんな中。声へのコンプレックスを克服するために、高校の代わりにボイストレーニングスクールに通い出したことで、少しずつ変化も起きました。発声練習やナレーションをしたりする中、学校外の大人と話す機会がたびたび生まれ、「適度な距離感がある」人間関係を知ったおかげで、話すことへの躊躇いも徐々に減っていきました。毎日顔を合わせなくていい、自分=話さない人間という周りからのレッテルに悩まされなくて済む、など。

そんな経験をした上で、大学に入ってからが大きかった。強く「行きたい」と目指していた志望校があり、試験勉強を続けた結果、そこに入学できたことから、緩やかに・かつ大きく変わっていく契機となりました。

「緘黙」を笑いにされることの不愉快さ

普通に人と話すのは何の問題もなくできるのですが、一方で「静かにいる」ことが多かったりもします。これまでの習慣上、そう突然外向的になれたりもせず。

それからか時折、「黙ってばっかりじゃん笑」「何も喋らんな笑」と。
意外に身近な知り合いや友人、世代を超えた方からも茶化し気味に言われることがあるのですが、率直に言ってめちゃくちゃ不愉快に感じてきました。

「黙らざるを得なかったこと」で、どれほど自分の人生がねじ曲がったと感じて生きてきたか。好きでそうしているわけじゃない。

この症状で、自分は著しく自尊心を損ねて生きてきました。「自分がまともに話せないのは、何か大きな欠陥があるからに違いない」とか「普通の人だったら当たり前にできることが自分にはできない」とか、あらゆる場面で悩まされ続け。

あの「自分がただひとり、エイリアンであるような感覚」。緘黙を続けていると、この感覚に陥ることがあるのですが、それが時折「人生を丸ごと諦めたくなるような」極度な倦怠さ・無力感を招いたりもします。

例えば、自分はこれまで生きてきて、一度もまともに異性と付き合ったことがありません。「どこかに根本的な欠陥がある」「普通ではない」「楽しくない人間」という、自身にすっかり根づいた諦念感が、「人と深い仲になろうとする」気持ちを、無意識に忌避させてきました。

「幸せ」のような感覚に対して、アレルギー反応を起こさせるもの。感情や内面の思いを十分に表出できないがために、フラストレーションの塊が延々と蓄積されていく感覚。それが自身の「これ」でした。

話している中では、その場の空気を壊すわけには行かないと感じ、濁してしまい言う機会が持てなかったのですが。でもこれは自分のためだけでなく、同様の症状で今まさに重い悩みを抱える人らのためにも、明確に言う必要があると感じ。

言葉を積極的に発せない人をからかうのは、本当に気分を害するので、やめてほしい」。

場面緘黙症の広まり

笑われたりするのは、場面緘黙症に伴う苦しみや、その重みがあまり知られていないのと、それ自体の認知度が広まっていないこともあるかなと思います。

その症状柄、確かに難しいかもしれないなと。自分の内面を打ち明けたり、声にしたりするのは、ハードルがとても高いと感じ。

「話している姿」を見られるのは、特に。正直自分ですら、小中時代の人らに今の普通に喋ってる姿を見せるのはめちゃくちゃ怖いと感じてます。一度たまたま中学時代のクラスメイトに自動車教習所だったかで出会い、思い切って普通に話してみたら、めっちゃ驚愕され...。(自分の完全な主観ですが)バケモノを見るような目で見られて、一言二言交わしたらすぐに避けられてしまいました。

それくらい、「ただ普通に話す」だけのことが、場面緘黙を抱えた自分にとって、あまりにも重いことでした。

そんな中、他にも打ち明けてる方達がいます。例えば、Abemaに出演されていた、自分とほぼ同世代の女性の方。

顔も公表し、インタビューを受けるだけでなくスタジオにまで出演されて、ものすごく勇気がいることだったと思いますが、こうした過程で少しずつ、同じ悩みを抱えた人たちにとって周囲の理解を得られつつ、「過ごしやすい」環境が育まれていけたらいいな、と感じます(特に学校や職場など)。

自分と同じようなことですごく悩んできたんだろうな、と感じて、見ている間に涙が出ていました...。彼女みたいな優しい子が、安心して過ごせる環境。「話さないといけない」とか「楽しくなきゃいけない」みたいなことを強要されず、かといって「話した」ことでやたらと騒ぎ立てられるのでもなく、ただ普通に存在しているだけで大丈夫、というような場。そんな風土づくりが進んでいったら...と感じつつ、自分もこのnoteを投稿してみます。

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