LGBTQ問題、一体何をしたいというのだろうかね?

人の様々な行動や思考、思想、趣味等で基本的人権が侵されるというのは問題である(もちろん内心の自由はあるが、それを行動に移したときに法に抵触するものは定められた法律によって処罰されるのも当然である)。 基本的人権は最大限保証されなければ民主主義など成立しない。 例えば、特定の思想信条(それに伴う行動が触法であれば別だが)によって部屋は借りられない、銀行に口座は持てない、公共サービスは制限される等があろう。 これはこのLGBTQ問題のみだけではない。 従って、彼/彼女達が、このような状況にあるのであれば、それは改善されなければならない。
しかし、である。
彼/彼女達の「行動」が常識から相当逸脱しているのであれば、それを是とする訳にはいかない。女装や男装なら問題はない(嫌がる人も居るかも知れないが、許容範囲だろう。実際、ロリコン女装のおじさんがテレビ等で取り上げられたが、奇異に見えてもそれは趣味の範囲)。
しかし、「トイレを男女共用にしろ」だとか「浴場にも自認する性で認めろ」、「結婚も自認する性によって自由にさせろ」などと主張するのであれば、これは通常の生物(正常者、敢えてこう述べる)から逸脱した「行動」である。これは受け入れることは出来ない。正常者はそれ(男女混淆)を嫌うからである。当然性に関しては多数者である正常者にとって不都合なことは避けなければならない。それは当然なことで多数の正常者がいなければ、人類はとうの昔に滅亡している。当然LGBTQも存在することはない。社会の基盤なのだ。それを崩すような主張は決して認める訳には行かない。正常者は多数優先の原理を絶対に主張するのである。
「同性婚」について
互いに愛し合っているのであれば、何故「結婚」という形式に拘るのだろうか。周りからも認められたい、のか? しかし、好き者同士であれば、駆け落ちしてまで一緒になるカップルもいるではないか。それとは反対に、徹底的に両親から反対され、泣く泣く結婚を諦めるカップルも存在する。これをみれば、必ずしも同性同士だから反対であるとも言い切れないのである(単に相手が気に入らないのかも知れないからだ。同性同士が最大の反対原因だと思い込むのは、それは少し傲慢ではなかろうか)。
主唱するにしても、「『同性婚』であっても、通常婚と同じような権利が欲しい」と主張すればまだ調整は可能かも知れないではないか。実際養子縁組に関する法律を使えば、かなりの問題は解決できそうに思うが、それでも足りないのか?(であれば、その法律を正常者の支障のない範囲で改訂を求める、というのならまだ話しは分かる、のだが)。
以上から、LGBTQに関する問題は、基本的人権は守るということを原則として、横暴な要求はこれを多数決の原理を以て否定させて頂く。

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