ほんとはヤバい!日本の英語教育

安藤ひろし
https://www.youtube.com/watch?v=0zy2E-vw290

何のために明治時代の識者が外国語の用語を日本語にしたのか、現代人は全く理解できていない。 日本語で思考できることで、日本の学力は飛躍的に上がったのだ。 他国を見てみればいい。 多くの国では専門用語は、原語のまま使用せざるを得ない。だから英語などの外国語を「学ばざるを得ない」のである。 例えば、アウフヘーベンと聞いて即座に意味が理解できるだろうか。哲学科では「止揚」と訳されている(個人的にはこれでは多くの人は理解しにくいだろうが、それでも他学科でも専門用語は覚えなければならないから仕方がない)。 しかし、このアウフヘーベンという言葉、ドイツ人なら哲学関係者でなくてもすぐに理解できる。aufは「上に」、hebenは「置く」と解されるから、全体で「上位に置く(上に持ち上げる)」という意味にで理解できる。まさにAに対して非Aが現れ、そして「上位に置かれる」つまりアウフヘーベンではないか。 母国語で思考できるというころは非常に重要で、論理、理論は細部まで厳密に理解できる、ということだ。 小学生で英語習ってどうするのだろう。 「こんにちは」「さようなら」「私の名前は~です」という表現に毛が生えたような程度の日常会話を学ぶ意味があるのだろうか? この程度であれば、東南アジアやアフリカなどで高い教育を受けられなかった者達でさえ軽々とネイティブと話しをしている。もちろん食べていくために必死で覚えるからだ。日本の小学生にそんな動機はあるだろうか。 では、小学生はどんな動機を持たせて英語を学ばせようというのだろうか。多くの児童はそんなことは分からないだろう。日常的にも英語を話す機会は殆どないし、何と言っても日本語自体がまだまだ十分ではない。 「将来役に立つから習っておきなさい」と先生も親も言うかも知れないが、本当にそうか? 寧ろ、怪しげな日本語を話すような世代が急速に増えている現状、日本語さえまともに理解しているのだろうかと訝るしかない状況でさらに他言語を学ぶのだろうか。 学習要領であれもこれも学びなさいと強制されれば、結局虻蜂取らずになるだけだろう。 小学校で英語を学んだという諸君、アメリカ人と出会って難なく会話ができるだろうか。 もし假に仕事で必要になれば、その時に必死で学べば良い。会話はそれほど難しくはない。しかし、契約文書などどうだろうか。完全に理解してサインすることが出来る自信があるだろうか。勿論こういう場合は専門家に任せるしかないのだ。 愈々何のために英語を習うのだろうか、と疑問が湧いてこないだろうか。 他のSNSで何度も取り上げたから、今更耳にタコかもしれないが、TVのCMで大笑い(いや苦笑か)したフレーズがある。ある男性がプレゼンであろうか、色々英語を交ぜて行っているのだが、「御社のコア・コンピタンスは~」という所で指原莉乃演ずる社員がその意味が分からずテーブルの下で懸命に検索していたのだ。笑えるでしょう。プレゼンを行う方はなるべく意図したことを簡潔に理解しやすくするのが筋なのに、何に酔っているかは分からないが、こういった言葉を使いたがる。全く意味がない。「御社の最大の武器は~」といえば即座に理解できるではないか。 孔子に言わせれば、大馬鹿者と言われるだけだろうね。言葉というものは互いに理解し合えるように使わなければ全く意味がない。 「辞は達するのみ(言葉は相手に伝えるためにある)」 https://www.youtube.com/watch?v=kLWnbXByJAI
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