Self Introduction History(自己紹介)
おはようございます こんにちは こんばんは
川岡キングジュニアでございます🤴
表紙の写真は個人的に結構イケメンに写っていると自意識過剰気味に気に入っているお風呂ショットです(笑)
毎週土曜日に更新している「Book Knowledge」は今回はお休みをして、改めて自己紹介をしてみますね
Twitterのフォロワーが500を超えたら、自己紹介をしたいと思っていたのですよ
「見かけどおりの人生送ってんな」と思われる方が多いのかもしれませんが、ぜひ川岡という人間を今よりさらに知ってもらい、Twitterや ONE DOOR、保健師LIVE等々で交流を持っていただけるとより嬉しい!!
おおよそ30年を生きてきたわけでありまして、1回では綴ることができない歴史があります。だからシリーズになると思いますので、よければお付き合いくださいね〜
それではいってみよーう!
かずや爆誕
おおよそ30年前の春頃にこの地球に生命を宿しました
なんとかわいいことでしょうっ!!!!
(母親の髪型に昭和を感じるのはわたしだけでしょうか?笑)
妊娠中のいつ頃からわかっていたのかは知らないけど、先天性心疾患の「総肺静脈環流異常症」という当時は、いまでも?珍しい病気と共に生まれました
コウノトリという素晴らしいドラマにも取り上げられた病気ですよ
シリーズ3がやらないかなぁと期待しています(笑)
自分が親になってわかる、子どもが何かしらの病気を持って生まれてくることの不安・悩み・葛藤が両親にはあったのだと思います
(我が子は特にいまのところ病気はありません)
そして、嘘か本当か?
わたしの心臓にあった病気は型?が中国地方で初の症例だったと伝え聞いていて、当時は本当に珍しい病気だったらしい・・・
(よく生きていたなというレベル)
そして、この病気には奇形を伴うことがあるらしく、わたしにも奇形があります
たぶん1番パッと見てわかりにくい奇形ですが、耳たぶの麓にイボみたいなものがピョコっと生えています
生まれてからの川岡は、もちろん家に帰ることはなく、1歳頃に迎える手術のためにNICUの保育器の中で育ちました
泣いてしまうと心臓に負荷がかかってしまうということもあり、泣きそうになったら、薬にて眠らされていたと聞いています
そして、周りの子どたちが裸でいるなかで、なぜか川岡だけ服を着ていたらしく、看護師さんからは特別扱いされ、チヤホヤされていたらしい(笑)
そして、当時呼ばれていた名前が「王子さま」(笑)
ここにまさかのキング・ジュニアの所以があったのです
(だから、「キングジュニアなんてクソダサい名前名乗ってるのか」って思ったらいけませんよ 笑)
母親より「保育器に入っている間はあまり抱っこもさしてもらえずに、お乳を上げることもできなかった」と聞いていて、いまとなってわかる親としてのもどかしさを両親はずっと抱えていたのだと思います
そんなこんなで千羽鶴の願いとともに、約1歳を過ぎた際に地元の赤十字病院で手術し、無事に手術は成功
数ヶ月後に退院をして初めて、家に帰ったらしいです
川岡には1つ上の姉がいます(よく女兄妹がいそうと言われます 笑)
たぶん、川岡に付きっきりの両親とひとりで過ごす時間の多かった姉
いま思うと寂しい思いもたくさんしたんだろうなと思ったりもします
きっと、いまでも、当時でも、そんな簡単な手術ではなかったはずです
いま思うと、自分の命が続いていることは両親や家族、そして多くの医療従事者のおかけだと本当に感謝ですよね
そんな感謝とともに、その感謝を地元に還元したいと看護職を志し、行政保健師として日々活動をしています(まあ、これは現時点から振り返った美談的な話ですが・・・笑)
後々わかる話・・・
当時には対処しきれなかった血管が残っていたんですよね
この話は大人になってから出てきます
幼少期はそこそこにヤンチャボーイ
そんなこんなで、無事に手術が成功したおかげで周りの子どもと変わらない生活をしても良いという医学的判断のもと、ふつうに家の近くの保育園に通園をしていました
別にキリスト教を信仰しているわけではないですが、保育園はキリスト教系の保育園でごはんを食べる前にはみんなで長い感謝の言葉を捧げ、最後に「アーメン」と言っていた朧げな記憶があります
もちろん、保育園の建物のトップには十字架が掲げられていました
そんな子どもから見たら、大聖堂的な保育園ですくすくと成長していきます
保育園での川岡はチョースーパー自由人
特にハマっていたのは泥団子づくりでしょうか?
いまどきの子どもたちは泥団子をつくるんだろうか?
朝、保育園に行ってから帰るまでただひたすらに、職人のように泥団子をつくり、それを家に持って帰っては磨いていました(笑)
基本的には目立ちたがり屋なので(笑)、いろんな場面で1番前を好みます
そして、マセガキだったのでしょうか?
当時好きだった女の子に近づいては保育士から注意を受けていました(笑)
極めつけはお昼寝のときに、その女の子の布団に潜り込むということをやっていました(笑)
朧げな記憶のなかに、「ヒャホーイ」って潜り込んだら、別の男が居たという記憶があるんですよね。たぶん、その女の子はモテていたんでしょう。
(いま考えると、けっこう危ない男の子ですよね。児相に連れて行かれなくてよかった 笑)
あと、キリスト教系の保育園なので、キリストを題材とした寸劇をみんなでするんですよ
とても嬉しかったことにその好きな女の子がイエスさま、川岡がキリストを演じて、みんなから喝采をもらった記憶があります
そのほかにも基本的には多動系男児だったので、すべり台から落ちて頭を縫ったり、車の扉に挟まれたり、木から落ちたりと頭にはキッポ(方言?)がたくさんあります(笑)
たぶん、親からしたら心配の尽きない子どもだったと思います(笑)
基本的に辛い記憶はないけど、ひとつあげるならプールの時間
開胸手術の後が胸にあるんですよね。隠しても隠しきれないほどの
それを友だちからは「それなに〜?」「どうしたの?」「変なの〜」と言われました
それが本当に嫌だったなぁ。いま思えば、どうってことない話でも当時の川岡は言われるたびに、自分は周りと違うのかとセルフマイノリティ感を強めていきました
だから、あんまりプールは好きじゃないんですよね(カナヅチの原因 笑)
そんなこんなで、プール以外は多動!活発!泥団子!女の子好き!って感じの明るい楽しい幼少期を過ごしていきました
少し川岡という人間が読み始める前よりも身近に感じていただいたでしょうか?笑
今回はここまでとして、また次回をお楽しみに〜
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