SOL・英莉の目指したアイドル像
1.はじめに
先日、とあるアイドルグループの解散公演が行われた。
SOL(読み方:ソル)は2019年2月11日にデビューしたアイドルグループ。自らを「シネマティックエンターテイメントクルー」と称し、まるで映画を見ているかのような世界観のライブを、主に軽快なロック調の曲とキャッチーな振付に乗せて届けてきた。
2022年2月26日に行われた解散公演『ラストシーン』でも、品川インターシティホールに詰めかけた数百人の観客に見守られながら、約3年の集大成ともいえる熱のこもったパフォーマンスで、最後までアイドルとしての輝きを放った。
未だ世間を脅かす流行病の対策のため、観客は声を出せないなど数多くの制約の中で行われたが、この日のために作られたSOL最後の楽曲『ラストシーン』で幕を閉じた際の大きな拍手は、この世のどんな映画にも負けないほどに美しい"ラストシーン"であったことの証左であった。
そんなライブの様子は、きっと私よりも熱量のあるSOLのオタクによって色々な角度から語られているであろうから、ここではこれ以上語らないこととする。
2.英莉というアイドル
そんなSOLの解散時のメンバーは5人。
そこに至るまでに何度かのメンバーの脱退や加入があったが、こはる・ゆうりと共に初期メンバーとしてSOLを支え続けたグループ最年長の"英莉"が、私の推しメンであり、そして本稿で取り上げる"スーパーアイドル"である。
英莉は「えりち」というあだ名で呼ばれており、非常に多彩な武器を持ったアイドルだ。
中でも私は、まずもってその笑顔が大好きである。
私が初めてSOLを見たのは2020年の2月だが、その時は「最近SOLってよく評判聞くし他のグループのついでに一回見てみよ~」くらいの軽いノリで、前情報も何も持たずに見に行ったことを覚えている。
そんなオタクに強烈に印象を残したのは、えりちの壊れんばかりの笑顔であった。とにかく顔面全体で笑うのだ。
開始10秒くらいに、少し見にくいかもしれないが早速壊れそうな笑顔が映っている。
これまでも笑顔が爆発しているアイドルを推すことが多かったので、ある程度アイドルの笑顔に対する目は肥えていると自負しているが、この壊れんばかりの笑顔を見た時に、自分の中での笑顔の概念も壊されたのである。
自分の知る限りでは、SNSに載せている自撮り等ではここまでの笑顔を見たことはないので、きっとライブ中限定の笑顔だったのだろう。
しかしたとえ写真などに残されていなくても、自分の脳裏には鮮明に焼き付いているし、これからもずっと消えることはない。
直接見ることの出来なかった諸君には申し訳ないが、私の、そして同じくえりちを推していた人にとっての、譲れない大切な宝物の一つである。
そんな笑顔をはじめとして、えりちは自他共に認める表現力を持ったアイドルだ。
その上手さはもちろんのこと、少しこもり気味で深みのある歌声を活かして、SOLの中でも重要な歌割を担うことが少なくなかったし、先述の笑顔とは打って変わったダークな曲での役になりきったような表情も魅力的で、まさしくSOLをシネマティックエンターテイメントクルーとして成立させていた主演女優はえりちであったと思う。
笑顔も含めて言ってしまえば"大袈裟"なのだが、鑑賞ではなく共創が主であるところのアイドル現場においては、演者側の表現は大袈裟と言われるくらいが丁度よいバランスなのである。
そしてえりちは、表現力だけでなく「頭の良さ」もフル活用していたアイドルでもあった。
緊急事態宣言が発令され、ライブ活動が自粛になっていた折、えりちはTwitterにて「アイドル×心理学」シリーズの動画を立て続けに投稿した。
「推し変」のようなオタクに馴染みの深い概念(私自身は推し変などしたことが無いのでちょっと良く分かりませんが……)を「心理学」という学問の観点に結びつけて解説するといった内容で、その動画達は彼女のアイドル人生でも一番の"バズり"を起こした。
どうしても暗い話題の多かったアイドル界において、SNSを使って目新しいコンテンツを投げ込んでくれたえりちはまさしく希望の光のようであった。
また、留学経験を活かして、AKBグループのイベントで英語通訳を務めたこともあった。
このように、目に見える形でも頭の良さを存分に活かしていたえりちであったが、自分がえりちのことを「頭が良い」と思ったのは、決してその点だけではない。
えりちの頭の良さの真髄は、アイドルとしての在り方にあったと思う。
英莉というアイドルは、「誰よりも考えるアイドル」であった。
アイドルたるもの、誰しもが多かれ少なかれファンのことを考え、自分のキャラについて考え、グループとしての活動について悩み、将来の夢について考えているだろう。
しかしその中でも英莉は、「どうすればファンの人は喜んでくれるのか?」「そのためには何をすればよいのか?」「それを実行するために自分が頑張るべきことは何か?」を必死に考え、考え、考え抜いて、その結果を常に100点満点のアイドル像として返してくれる、そんなアイドルであったように思う。
結果として、えりちのオタクはこんなことを言われるまでになってしまった。
私もこうして十数年ぶりにネットの海に長文を書き残そうとしているあたり、その一人なわけだが、とにかくそれほどに英莉というアイドルは人を惹き付け、そして一度惹き付けたら絶対に離すことのない、それどころかますます近付いてくるようなアイドルであった。
そんな英莉は、もう「アイドル」ではなくなってしまった。
しかし、英莉が遺していったものは、絶対に無くならない。
きっとこれから先、英莉と関係の深かったアイドルにも、オタクにも、未来のアイドルやオタクにも、ひいてはそうでない人たちにまでも受け継がれていくものだ。
そしてそうである限り、英莉は"アイドル"であり続けるのである。
だから私のすべきことは、そんな英莉がどう考え、どのようなアイドルで在ろうとしたのか、それをひたすらに語り継いでいくことである。
決して英莉の全てを理解しているとは思わないが、私なりに感じた英莉のアイドルとしての矜持を、次章では書いていきたい。
3.英莉の目指したアイドル像
先に、英莉は「どうすればファンの人は喜んでくれるのか?」をとてもよく考えていたアイドルであった、と述べた。
ではそれを考え抜いた結果、はたして英莉はどのような答えにたどり着いたのだろうか。
英莉の目指してきたアイドル像とは、
「アイドルとファンという一対多の関係」ではなく、「ファン一人ひとりにとっての、その人だけの『理想のアイドル・英莉』が、ファンの人数だけ存在しているようなアイドル」だった、と私は思う。
もう少し控えめに言えば、英莉自身が当初意識して目指していたのは「ファン一人一人をとにかく大切にする、誰から見ても完璧なアイドル」であったのだろう。
しかしそれをあまりにも高いレベルで実現していた英莉は、オンリーワンの関係性を何十人、何百人との間にも築き上げてしまうほどのスーパーアイドルであり続けたのだ。
そのような英莉のファンに向き合う姿勢が色濃く現れているのは、解散の後に英莉が書き記したnoteだ。
いわば、英莉からの最後のメッセージである。
英莉というアイドルは、この言葉の通り、ファンのことを本当に一人ひとり特別に思い、そして接してきたアイドルであったと思う。
特典会での英莉は、まずそもそも人の名前を覚えるのが早かった。それだけでなく、相手に寄り添うのが本当に上手であった。
時には相手の話を傾聴し、時には相手が求めているであろう言葉を期待どおり、いやそれ以上の言葉で返してくれ、時には自己開示も交えながら、「自分と英莉との間でしか出来ない会話」を必ずと言っていいほどにしてくれた。
しかもそれを、一回数十秒という限られた時間の中で、さらに毎回のライブで数十人は来るであろうお客さん全員に対して、別け隔てなく、満面の笑顔で出迎えながら、話してくれるのである。
これについては、他のアイドルだってもちろんやっていることではあるし、その程度が実際のところどうであったのかを文字で伝えるのは難しいだろう。
しかし少なくとも私にとっては、誰よりも「考えていること」を話そうとしてくれたアイドルだったし、えりちと話しに行って一片でもマイナスな感情が生まれたことは無かった。
そして他のえりちのオタクにとっても、恐らくはそれぞれが「えりちとこんな話がしたい」「アイドルとはこう接したい」と思い描くコミュニケーションを、期待以上に取ってくれたアイドルであったと思う。
持ち前の考える力と言語化する能力、そして相手の感情に共感する力を活かして、えりちはいつでも「その人にとっての理想のアイドル」であろうとしてくれたのである。
そしてもう一つ、そんな英莉のアイドル像における象徴的なシーンが、解散の3週間前に行われた彼女の生誕祭におけるカバー曲。
ライブの1曲目として披露した、=LOVEの『「君と私の歌」』である。
本人が言っていたように、この曲には是非歌詞に目を向けてみてほしい。
この曲は、とあるアイドルをずっと応援しているオタク目線の曲だ。
そのアイドルが人気になったことに少し複雑な気持ち抱きつつも、それでもステージ上で誰よりも輝き、そしてたくさんのお客さんの中から自分を見つけ出してレスをくれる、そんな「君」がやっぱり世界で一番好きだ、という気持ちを歌っている。
英莉は、まさしくこの曲の歌詞のような「君と私」の関係を、全ての英莉推しとの間に作り上げようとしていた。
すなわち、特典会だけでなく、いやむしろこちらがメインというべきであろうが、ステージ上でも「その人だけのキラキラアイドル・英莉」であり続けたのである。
ステージからの英莉のレスは、とにかく意思が強かった。
アイドルが曲中に客席に向かってレスを送ることは日常茶飯事である[要出典]。
その目的は、新規のファンを"釣る"こと、既存の太ヲタへのファンサービス、単純にそういう振付だからやっている、など様々だろう。
その中でも英莉のレスは、とりわけ「私を応援してくれている"あなた"のこと、ちゃんと見えてますよ。いつもありがとう」という気持ちがグサグサと飛んでくるタイプのレスであった。
そもそもレスというのは、自分が貰ったかどうかすら不明瞭であることが多く、ましてやそのレスのニュアンスを見分けるのは並大抵のことではない。
しかしどういうわけだか、えりちのレスというのは「英莉を推してくれている"あなた"に届けています」というのが、まるでレーザーポインターと漫画の吹き出しがついているかのように分かりやすいのだ。
その背景にはまず、SOLの曲の振付はレスのタイミングが非常に多いことがあると思う。
SOLの曲は、サビはシンプルで真似しやすい振付を細かく繰り返すことが多い。
上に挙げた『夏の魔法』以外にも、『スターゲイザー』『いけないアップルパイ』『エキセントリックランデヴー』などが代表的である。
そこが指差しのような明確なものとは限らないが、とにかく何回もレスをおくるチャンスがあるのである。
それだけ潤沢なレスポイントがあるお陰で、英莉の目指す「一人ひとりに」順番にレスをおくっていく、かつそれでいて多くの英莉推しに一回のライブの間でレスをおくるということを可能としていたのではないか、と思う。
そして、英莉の表情も見逃せない。
これまたSOLの曲の特徴が良い方向に作用しているのだが、先述の通りサビの繰り返す振付でのレスポイントというのは、ユニゾンではなくソロ歌唱であるケースが少なくなく、すなわち自分の歌唱パート以外でのレスポイントが多いということになる。
結果として、歌唱や歌詞の内容に気を取られることなく、またマイクで口元が隠れることなく、レスを送ることができる。
そのような状況では、手先だけでなくえりちの「顔面全体で笑う」表情がレスを、そこに込められた感謝を語りかけてくるのである。
こうして届く英莉からのレスは、ライブ会場という「アイドル対ファン多数」という関係になりやすい場所において、「英莉と私」という一対一の関係を、一瞬だが確実に作り出していた。
英莉というアイドルはいつでも、「私"だけ"のキラキラアイドル」であったのだ。
このように、英莉はライブ中も、特典会においても、ファン一人ひとりから見て完璧なアイドルであり続けようとした。
その結果として、英莉は「ファン一人ひとりにとっての、その人だけの『理想のアイドル・英莉』が、ファンの人数だけ存在しているようなアイドル」という、本当に尊いアイドル像を実現していたと思う。
そしてきっと、英莉は"SOLの英莉"であったからこそ、そのアイドル像にたどり着くことができたのだろう。
これが、英莉のアイドルとしての誰にも負けない魅力であったし、私が英莉というアイドルを推す一番の理由であった。
そんな英莉だったから、ファンの心の中に強く焼き付いた「アイドル・英莉」が消えることは、これからも絶対に無い。
英莉は、最強のアイドルである。
4.私にとってのえりち
本当であれば、「なぜ英莉という人間はそのようなアイドルを目指したのか」についても、バックグラウンドを深堀りながら触れていくことで、英莉についての理解がますます深まるだろう。
しかしそれは本稿の目的ではないし、あまりにパーソナルな内容になりすぎる。
ここではあくまでも英莉という「アイドル」についてを語るに留めておこう。
もし英莉についてもっと知りたくなった方は、解散後に英莉が書いたnoteは是非読んでほしい。きっと、その心の温かさを感じることができるだろう。
また、解散ライブの様子がDVDになるので、こちらももしよければ購入してみてほしい。きっと、英莉のアイドル像が画面を突き抜けて届くだろう。
最後に記すのは、私からえりちへの個人的なメッセージである。
かなり個人的な話になるので、自分だけが振り返る日記のようなイメージで限定公開にさせていただきたい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
英莉というアイドルのことを心の片隅ででも覚えていてもらえれば、私としても本望です。
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