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舞台「銀河鉄道の父」を観て、私の中に私の宮沢賢治像があることを知る

私の人生で最も影響を受けた作家が宮沢賢治。
語彙の豊かさ、イーハトーヴの自然とファンタジーの調和、抒情的な人の心理の描き方などなど。

私の空想の方向性……季節の移ろいの中でオノマトペをつけてしまったり、四季や果物の芳香を妄想してみたり。もう、それは宮沢賢治を意識しているという次元を越えて、私の癖になるまで昇華しています。

宮沢賢治がピークで好きだった10歳前後のころ、親にねだって、岩手県花巻市にある、羅須知人協会、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話館など、聖地巡礼の言葉もない時に、ゆかりの地を訪ねました。
ちょうど、生誕100周年で『宮澤賢治 その愛』という映画が公開されて、三上博さん主演、仲代達也さんが父親役の豪華なキャスティングの映画も親と見に行きました。今考えるとずいぶん色っぽい宮沢家……。
めちゃくちゃどうでもいいけど、『イーハトーヴォ物語』というマイナーなスーパーファミコンソフトも買ってもらってやってました。詳しくはwikiにて。
三つ子の魂百までとはこのことです。

宮沢賢治を感じながら成長し、折に触れては書物を読んだりしながら過ごすことおよそ25年。

ある日、銀河鉄道の父の舞台化をするにあたり、宮沢賢治役をふぉ〜ゆ〜の福田悠太さんが演じるという一報が。好きな人が好きな人を演じる??????

福田悠太さんのことを好きになった2020年夏くらいから、こそこそ舞台は行くようになり。
板の上の彼は、例えばLINEライブ(サービス終了)などをしている時よりも雄弁というか素直というか。普段がシャイな分、舞台に立っている時がめっぽう福田悠太然としているような気がしていて。

そんな福田さんの宮沢賢治はどうなるのかな、と非常に楽しみにしておりました。

で、初日9日と10日と2日連続で見て、的場浩司さんの演技の上手さに新鮮に驚いてしまい、目から出る感情がなんと魅力的だろうか。
座長としてこの座組みを引っ張っていってる感じがビンビン伝わってきて、頼もしい父であり、大空ゆうひさんの母は東北の奥ゆかしい母像そのもので美しい。
駒井蓮さん、訛りが上手だな、と思ったら、弘前の方でしたか! もちろん県によって方言は変わるけど、東北地方特有のニュアンス、抑揚なんかがなんの違和感もなく。トシはこんな娘であってほしいと思ってしまう。
清六を演じる三浦拓真さんが、1番東北の男らしいというか。東北の男の人って控えめなんだけど、好きな人には従順な人が多いような気がして。私の中の東北男子像を見事に具現化されていた。秋田在住の父の弟の雰囲気にめちゃくちゃ似てた。

福田さんはねぇ、なんかもうインバネスコート本当お似合いですね、腹黒弁天町以来じゃないですか……
じゃなくて、岩手にも行ったり、本を読んだりとかなり賢治という人に向き合っているーいつも役に向き合っている姿勢は真摯ですがーことを感じました。東北弁って近しい人に発話者がいないと、本気で何を言ってるかわからないし、東北弁の抑揚や、特徴的な“ん”の発音(相槌の「んだすな」とか)は東京に住んでいたら会得するのが難しいと思う。
そして、宮沢賢治のパブリックイメージを脱却するような役作りだったのではないかと。ちょっと小憎たらしい、けど憎めないみたいな。

でも舞台を見ながらそこかしこに感じる違和感。なんだろうなんだろう……。


以下ネタバレ含めて、綴ります。

まず「みんな元気だなぁ」と思ったこと。

私は東京生まれではあるものの、父が秋田の人で、秋田や北東北のなんとなくの県民性に、ぼんやりとした像があって。
寒い県の人って、表情が乏しいし、そんなに大きな声で話さない。諸説はあるけど、寒くて口を動かせないから、らしいのですが。

元気、というかすっごくエネルギッシュな宮沢家だな、と。
「雨ニモマケズ」のせいか、宮沢賢治って清貧なイメージがあるけれど、実は裕福というバックボーンがあって、そのアンタッチャブルさも宮沢賢治の魅力を作り上げる一つの要素なんですが。

商売は成功しているし、民生委員も務めるほどの人だから、私が思う東北のステレオタイプな人より100倍くらいエネルギッシュだったのかもしれない。
そして政次郎さんに呼応するように、エネルギッシュな家族になっていったのかな。もちろん舞台作品で大人しくしているわけにもいかないですしね。

政次郎さんの「バカこくでね!」は一瞬で父や死んだ祖父の顔が蘇るほど、東北の「バカこくでね!」でした。政次郎さんの東北弁、本当に素晴らしかった。

次の違和感は、宮沢賢治童貞だった説を暗に示さなくてもよかったんじゃないかな、と。
「童貞としての宮沢賢治」という新書が結構ヒットしてから、世間的にも宮沢賢治は童貞だったんじゃないか、ということが広まっていて、ほぼ確定みたいな流れになっているけども。

「お前は女を知っているのか?」と政次郎が賢治に問うて、「少なくとも子どもはいません」と明言は避けていたけれど、この舞台が賢治の作品性について掘り下げる作品だったら必要な要素かもしれないけれど、親子関係、政次郎の献身的な愛を主軸においた舞台で、女性関係があったことについてをあえて聞かなくてもよかったんじゃないかな、と悶々と考えてしまった。

この流れで、宮沢賢治は妹トシのことを妹としてではなく、女性として本当に好きだったのでは? だから童貞だったのではという説もある。
私はこの説にはNO!! を唱えていて、彼が妹を愛していたのは間違い無いけど、性愛的な感情は抱いていないと思う。それは私が死を取り扱った作品で、断トツに美しいと思っている「永訣の朝」という詩。

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/konitan/eiketsunoasa.htm

書き出しが美しすぎる。

永訣の朝、松の針、無声働実などを読んでいても、賢治の味方をしてくれていた唯一の肉親を失った悲しみはもちろんながら、誰もが認めるとても優秀で聡明な人物がたまたま妹・トシであり、その優秀な人が若くしてこの世からいなくなったことを深く深く嘆いているのではないかな、と私は解釈をしています。

永訣の朝の場面は、いろんなところからすすり泣く声があちらこちらから聞こえてきて、舞台でも賢治の人生にとっても多大なる影響を与えた妹の死。
その山場の演出を見て、そういう永訣の朝の詠み方もあるのか、と、ぽかんとしてしまって。

この時に「あ、私の中に私の宮沢賢治像がある!」と気がついたんですよね。宮沢賢治を知ってから、これまで、意識もしないレベルで宮沢賢治をなぞってきた私なので、知らない間に私の宮沢賢治像ができている。
違和感の正体はここか、と。

そこから、すごく面白くなってきて。
宮沢賢治は没後、父・政次郎と弟・清六の尽力はもちろん、詩人の草野心平がいなければこの世に知られることがなかった作家で。
写真は残れど、映像なんてあるわけないし、口伝伝承でしか賢治の人となりを窺い知ることができない。
その口伝も、いつしかニュアンスが変わってくるかもしれない。
宮沢賢治という作家は、受け取る人の解釈でいろんな宮沢賢治がいるんだというシンプルなことに気がつくのに、時間がかかりました。
私が思う永訣の朝と、今回の舞台の永訣の朝は違って当たり前なんだと。

個人的には法華経ハマりまくって政次郎とやりあうところと、羅須知人協会を設立したあたり〜死ぬまでをもう少し詳しく……と思いましたが、2時間程度で描ける人物ではないし、父・政次郎視点の話だし。

ラストは舞台らしい終わり方というか。魂の世界で交わる……というのは、生の舞台だからこその描き方で、見ている方も自然と受け入れられてしまうのが不思議。これが舞台の力なんですよね。

宮沢賢治という作家が世に知れ渡っていることを、宮沢賢治は知っているだろうか。知っててほしいし、知らなくてもいい気もする。


この舞台のおかげで、宮沢賢治についての新しい文献や論文を読みたいと思ったし、作品をもう一度じっくり読んでいこうと思った。

このnoteを記すにあたり、もう一度宮沢賢治について、おさらいをしたら、トシと私は同じ誕生日で、今年宮沢賢治が死んだ年齢と同じ年齢になっていた。なんだか笑ってしまった。


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