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父の死

今年5月6日、父が亡くなりました。
63歳でした。

先日四十九日が済み、時が経ってきましたが、未だによくわかっていないという感覚です。

しかし、このことを覚えておきたい。忘れたくない。そんな思いで、ここに記しておきたいと思います。


2年前の3月、初めて病院から呼ばれました。
肺の病気で手術を受けるということで、その説明でした。
その手術は無事に成功しました。

その後、定期的に通院している中で、肺に小さな癌が見つかりました。それを僕が知ったのは亡くなる2ヶ月程前でした。

その小さな癌は、定期的な通院や入院による治療で問題なく回復していました。

それが、この3月の定期的な入院の際の検査で肝臓に転移していることが認められたのです。

病院に呼ばれて、その状況を聞きました。
まだそこまで深刻ではありませんでしたが、十分に死につながる危険性のある状態だということでした。

それから、3週間。
再び病院から呼ばれました。
今度は、弟と2人で。

その時点で、状況が悪くなっていることを想像するのは難しくありませんでした。

僕は弟と日程を合わせ、病院に行きました。
病院に着く直前、父からのLINE。
「本日点滴が入ったので、動けなくなりました。」

病院に着き、弟と会いました。
弟と会うのは久しぶりでした。
病院に行ったら、辛い現実を目の当たりにする。そんな思いで、本当に病室に向かうのが億劫でした。

病棟に上がり、父に会う前に主治医と我々2人で話をしました。

「抗がん剤での治療をしてきたが、癌を止めることができなかった。」

「持ってあと1ヶ月です。」

詳しくは覚えていませんが、要するにそういった話でした。

想像していた以上の悪い報告に、僕たちは言葉を失いました。

その説明を30分ほど聞いた後、車椅子に乗った父がやってきました。

ほとんどいつも通りの父でした。
その姿に溢れそうになる涙を堪えて、「しんどそうやな。大丈夫か。」と言うのが精一杯でした。

遠くに住んでいますが、可愛がってくれている孫の近況などを伝えて、少しでも元気を出してもらおうと思いましたが、言おうとすると、言葉ではなく涙が出そうになり、言えませんでした。

いくらか話をし、「お大事に」と言って、部屋を離れました。
弟と話をし、妻に電話で報告しました。

帰りの車。2時間の道のり。
いろいろなことを思い出したり考えたりして、涙が溢れました。

それから、病院とやり取りをし、病院に何度か行って看護師さんと打ち合わせをしました。
弟とも連絡を取り、まだ健在である父の両親への告知のことや、今後のことを話し合いました。

特に頭を悩ませたのが、父本人に余命のことを伝えるか否かということでした。

ある程度察してはいたでしょうが、包み隠さず伝えてしまうと、生きる気力を失ってしまうのではないか。
かと言って、隠していたら、亡くなるまでにしたいことをできず後悔を残してしまうのではないか。

弟と電話やLINEで本当に悩んで相談した結果、弟が同じ病気で家族を失った知り合いの方からの助言をいただき、「1ヶ月ぐらいで亡くなる可能性もある」という言い方で伝えてもらうことにしました。

その後、父から僕たちに伝えたいことがあるということで病院に行きました。

病院に行っても、父がしんどくて会いたくないというときもありました。また、それに辛い現実に直面しなくて良いとどこか安堵している僕たちもいました。

父に会えた頃には、既に意識も遠のきつつあり、言葉もほとんど聞き取れない状態になっていました。

何かを伝えたかった様子はわかりましたが、内容まで伝わることはありませんでした。

亡くなる4日前。コロナで僕1人しか病室に入れないので、孫たちとテレビ電話を繋ぎました。意識もかなり薄れているはずでしたが、父はタブレットに孫の顔が映ったのを認識して、力いっぱい手を振りました。
おそらく、残された僅かな力を振り絞ったんでしょう。その姿に、僕は驚き、孫たちは本当に喜んでいました。

亡くなる日の前日。
朝の6時半に病院から電話がありました。
「血圧が下がり、危険な状態になっています。すぐに来てください。」

ゴールデンウィークの最後の日でした。
子どもたちを妻に任せて、病院に急ぎました。

病院に着くと、祖母が親戚に連れてきてもらい先に会ってきたとロビーに座っていました。
子どもが亡くなるときの母の気持ちとはどのようなものなのでしょう。しかしそのときの僕にはそんなことを考える余裕はありませんでした。
看護師さんと相談し、僕と弟だけなら病室に入ってもらうことは可能である。祖母もいいが、長丁場にもなり得るので、帰ってもらった方がいいのでは。ということで、祖母には帰ってもらい、しばらくして到着した弟と共に父の病室に最期のそのときまで一緒に過ごすことを決めました。

父の状態は、呼吸をするので精一杯といった様子で、呼吸を口でするため、大きな音が出ていました。
それは、父が寝ているときにいつも通りのいびきをかいているようでした。
目を開けている時に呼びかけると、こちらを見て、口をモゴモゴ動かしました。
言葉はもうでませんが、僕たちに何かを伝えようとしているように感じました。

僕たちは、父と3人の病室で、父の思い出話をしました。
小学生の頃サッカーの送り迎えで、どんなところにも連れて行ってくれたこと。
自分はもともと好きだったわけではないのに、僕たちを何度もJリーグを見に連れて行ってくれたこと。
いろいろな話をしました。
夜も交互に仮眠を取りながら、看護師さんが下の世話や、口の掃除に来てくれながら、3人でゆっくりとした時間を過ごしました。

僕たちは思い思いに父に感謝の言葉を伝えました。
父は本当に頑張りました。
僕たちは父に、「もう頑張らんでええよ。」と伝えました。
少しずつ状態は悪化し、僕たちが病室に来ておよそ24時間が経った、5月6日10時49分息を引き取りました。

最後は静かに眠りに就くように、息を引き取りました。

亡くなるまでの最後の1日を弟と3人で過ごせたこの時間を僕は決して忘れません。

天国で好きなことをして、ゆっくりと過ごしてください。
今まで本当にありがとう。
あなたからもらった愛を、自分の子どもや周りの人たちに与えていきたいと思います。

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