「東京のワクワクする未来を考える」で考えてみる

2020年9月24日から2021年5月13日に渡って、シティラボ東京の連続トークイベント「東京のワクワクする未来を考える」が開催された。アメリカ在住の建築家である重松健さん、日本在住の都市計画家である饗庭伸さんをデュアルコーディネーターに多様な分野から豪華なゲストを迎えて行われた全10回に渡るシリーズ。
 各回に多様な視点やキーワードが挙げられており、とても簡単に整理できるものではない(だから聞いていて「ワクワク」したとも言えるし、もう一度考えなおしたらまた新しいものが出てきそうなのだが)、まずは部分的な理解にせよ、自分なりに第1次の整理をしてみようと思う。

※個人的意見も入れた整理であり、シティラボ東京としてのまとめではありません(論理が破綻している箇所があれば、筆者の責任です)
※実施レポートは下記URLご参照下さい(最終回+各回へのリンク)、また、シティラボ東京の会員になるとアーカイブでオリジナルの録画を視聴できます(宣伝)
 https://citylabtokyo.jp/2021/05/24/210513-eventreport-aiba-shigematsu/
 https://citylabtokyo.jp/clt-membership/

■なぜ、東京に「ワクワク」が必要なのか?

 一つには、東京を越えたレベルの社会的な急変化により、社会的ストレスが溜まっているのではないかということがある。地球レベルでは持続可能性というヘビーな課題が明確になり、経済や社会も含めた変革が求められる。日本では人口減少問題が、高齢化や少子化による社会保障の負担、労働人口の減少などの課題を引き起こしている(散々言われている話なので割愛)。さらに、2020年初頭頃からはCOVID-19の脅威が世界中を襲い、就業や商売、過程での居住など生活様式に急激な変化が降り掛かってきた。どれも待ったなしの課題で、グリーンビジネスやニューノーマルなどポジティブな側面もなくはないのだが、エッセンシャルワーカーや「○○警察」など、変化に対応しやすい層とそうでない層の社会的分断も発生し、急激な変化に対する反作用も現れる。

 もう一つ、世界レベルでの東京の魅力や将来性への不安感がある。都市ランキングでは、日本は相変わらず上位を保っているように見えるが、人材や教育など将来性に関わる要素に弱みを抱える。また、巨大都市ゆえに人口問題やダイバーシティなど日本が抱える課題も大規模になる。発展した公共交通、独自の文化や安全性、清潔制などの長所も持っているのだが、その良さが見えなくなっているのではないか。

 さらに、人口や経済規模で見れば国のレベルまで巨大化を遂げた東京(圏)は、都心から郊外まで多様な顔を持つ「都市」の集合体であるとともに、日本を支える「インフラ」としての機能も併せ持つ。生活者や事業者にとって「手に負えなさ」を感じさせるとも言える。

 これらを言い換えれば、「抑圧感・自己喪失・無力感」といったところだろうか。更に言うなら「ウツウツ」とも表現できる。一方、先のように、社会の変化は新しい生活やビジネスのチャンスでもあるし、東京が持つポテンシャルは決して低くない。GDPやスクラップビルド、大量消費といった高度成長期の価値観を引きずらなければポジティブな未来像を描けるはずだ。色々と難しい課題はあるが、それらを梃子として「ウツウツ」を「ワクワク」に変えていく。そんな議論をしていきたい。

■東京を考える視点(前提)

 一口に東京と言ってもかなり広い。本シリーズでは、重松さんは現在暮らしているニューヨークでの経験もふまえながら主に都心の視点、饗庭さんは研究対象であり居住地でもある郊外の視点からアプローチした。もちろん、東京にも多様な都心や郊外(山間部も島しょ部も)あるので一概には言えないが、人口や面積の大部分を占めるこれら地域をまずはスタートとして考えてみようということだ。
 都心では、色々と課題は抱えつつも日本最大の経済活動が行われ、交通をはじめ高密度なインフラが整備されている。とはいえ、中小ビルの空き室化なども進んでいる、また、水辺のように重工業時代の産業インフラが人々の生活と自然を分断している箇所も多い。一方、郊外では既に人口減少や高齢化が深刻な問題となっている自治体も多く、空き家・空地といった都市空間の低密度化が進んでいくことが予想される。とはいえ、交通インフラの整備レベルは世界的に見れば高い。

 これらの「東京」に対して、25年先をひとつの目処として考えてみる。振り返ってみると、25年前(1995年)は日本にとって大きな節目だ。なにしろ、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そして日本におけるインターネット元年が重なっている。世界都市博の中止により、イベントで都市開発を促進するという高度成長期のモデルが崩れたのもこの頃だ。そこから25年前は新都市計画法制定(1968年)、オイルショック(1972年、73年)と、高度成長に向けた法制度整備と世界的な歪みが出始めた時期。さらに25年前(1945年)は当然ながら終戦、戦後復興期のスタート。日本の都市を考える時に、不思議と25年スパンは考えやすい。
 各ゲストの言葉を借りれば、2020年からの25年目は「超都市(大容量の通信網と巨大データセンターによって成り立つ)」「市民参加4.0(NPOからシェアリングエコノミーへ)」「近代化2.9999(戦後からのリセットなき76年目(の始まり))」などと表現される。
 25年目を軸に東京の変化を考えると、例えば、都心部では交通や産業の変化によるインフラの変化が予想される。実際、道路空間の歩行者への開放は既に始まっており新型コロナで加速している。奇しくも2020年、国土交通省は「歩行者利便増進道路」(通称:ほこみち)制度を創設、東京高速道路(KK線)は2030〜2040年代を目処にTokyo Sky Corridorとしての再生に向けた検討を表明した。河川・運河や鉄道などインフラレベルでの変化をどう活用していくかが問われる。一方、郊外では、人口・世帯数の減少が進んでいく中、一定の時点で、低密度化を前提としつつ、安定して豊かな定常化市街地としてをつくっていくことが課題となる。

 このような前提で、「東京のワクワク」した状態、それを実現するための方向性や地域に応じた方策、課題などを挙げてみる。

■目指すべき「ワクワク」とはどんな状態なのか?

①異質性との出会い〜個人の違いを許容する多様性ある社会

 異なる価値観との出会い、新しい発見が「ワクワク」の源泉となることは間違いないであろう。インバウンドといった国際的な出会いに限らない、日常での新しい発見もあるし、たとえ一人の人間でも仕事と趣味などモードの違いもある。
 そう考えると、実はワクワクの種は至るところに散らばっている。新型コロナでは、海外との行き来や飲み会といった出会いの機会は減ったが、生活圏内で再発見があった人も多いのではないか。

②余白を持った空間〜自由な活動を支える柔軟な空間

 多様な出会いのステージとなる都市には、ある種の曖昧さや自由度をもつ空間が必要になる。アクティブに交流する(動)だけでなく、立ち止まってぼーっとする時間(静)も必要であろう。
 プレイス・メイキングやエリアマネジメントなど公共空間の活用も進んではいるが、まだ都心商業業務地など経済的に成立する限られた場所が中心だ。路地空間や水辺といったマネジメントされていない空間、私的空間だが尖ったテーマに開かれている空間など、多様な「余白」が考えられる。そもそも日本には、路上の神輿や水辺の盛り場、神社での祭りなど、公園や商業施設とは異なる豊かなパブリックライフの伝統があり、これらもヒントになる。

③社会への「手触り感」〜多様なプレイヤーが関われるしくみ

 閉塞感の一つの要因は「どうせ自分が頑張ってもなにもかわらない」という諦めであろう。日本でも戦後の生活環境改善、高度成長期の公害問題、1980年頃の住民自治、2000年頃のNPOなど様々な市民参加はあった。ただし、これらが一部の当事者や「意識高い系」の人に限られていたことも事実であろう。巨大化した東京の物理的な「手に負えなさ」も手伝っている。
 コロナ禍により、人々が生活スケールを見直すという効果はあった。ただし、単純に過去の集落や自治会型のコミュニティに戻ることは考えづらい。普通の人が自然と地域に参加するためには、空間に限定されないテーマコミュニティやオンラインコミュニティが有効ということもあろう。空間スケールの再発見と必ずしも空間に縛られない参加の機会、現在はバラバラな両者が組み合わさった時に、皆が東京が少し「手に負える」感覚を持つのではいか。

■「ワクワク」する「東京」の未来をつくるための論点

①ソフトとハードの関係をどうつなげるか 〜 プロセス

 当たり前だが、開発や整備(ハード/モノ)を行うにあたっては、用途や運営(ソフト/コト)が不可欠である。従来型の現状分析型のマーケティングによる、日本各地で同じテナントの駅前開発、トレンドが終わると廃墟化する郊外ショッピングセンターでは、多様化していくユーザーのニーズは捉えられない。ソフトが先行してハードに反映されていく方向性が重要なのは間違いない。実験・実証を繰り返しながら、ステークホルダーとの対話、社会的なバックアップなどを醸成して行く、コミュニケーション重視型の計画プロセスが重要となる。
 問題は、ステークホルダーの範囲実験/合意のプログラム進行だろう。ステークホルダーにも、仕掛ける側と受け入れる側の2種類がある。変化を感じさせるスピード感、関係者がアレルギーを起こさないスケール感…。「分断」ではなく「多様性」としてポジティブな意味合いを持つ状況をつくっていく必要がある。

②将来を見通した有休施設・インフラへの着目 〜 リノベーション

 とはいえ、従来のスクラップ&ビルド型の開発では、実際にはそんな悠長な計画プロセスをとれなかったという事情もあろう。しかし、既に開発が進んだ東京では、幸か不幸か、既存の「モノ」が溢れている。これらの「モノ」に着目し、「コト」を起こしながら新しい「モノ」をつくりあげていくことで、既存の「モノ」が持つストーリーと、新たな「コト」が起こすストーリーを併せ持つことができる。単純な「コト→モノ」ではなく、「モノ→コト→モノ」という新たな意味の付与、白紙からの開発ではむしろ難しいことだ。
 都心と郊外では具体の「モノ」には違いがありそうだ。例えば、都心であれば、交通の変化に伴う道路空間、物流の変化に伴う水辺の倉庫など産業構造の変化に関わるインフラの役割変化、開発に伴う中小ビルの空き室化などが考えられる。郊外であれば低密度化に伴う空き家や空地の増加が挙げられる、従来は住宅機能が主体であった中に、食・住・遊・学といった新しい機能を入れるチャンスとして捉えたい。既に専門家からも地域からも挙げられているが、法制度など用途転換の行いやすい環境づくりも加速する必要がある。

③「境界」の再定義 〜 ライフスタイル

 新型コロナによって働き方や住まい方の多様化は加速した。オフィスが不要になることはないとしても、毎日通う場所ではなくなるだろう。子育てとの両立などを考えると、働く場所の横で子どもが遊んでいる様な生活・就業スタイルも考えられる。クラウドサービスやオンライン会議といった執務環境のオンライン化がこれらを支える。ワークライフバランスも、従来の分離的・空間的な思考から融合的・時間的な思考に変化していくだろう(もちろん、それが時間やノルマに追われる感覚にならないよう気をつけないといけないが)。
 都心では、オフィスが作業の場所から交流の場所になっていくという話ははよく語られる。働き方の多様化を考慮すれば、より多様な用途がきめ細かく複合していくのではないか。例えば、敷地・建物内に複合的な用途を組み合わせる複合開発から、同じフロアにオフィスと保育所とオープンスペースがある。更にそれらが夜はコミュニティスペースになる…といった複合開発。都心で老朽化した中小ビルや郊外の住宅では空き家問題が深刻となるが(地方だと閉鎖された百貨店などもあるかもしれない)、これらにコミュニティ機能や商業機能が入ることで、活動の密度や種類はむしろ上がっていくイメージを実現していく。そんな東京での暮らし方は、縦・横・時間の関係を複合的に操る21世紀型の「百姓」(百の姓=職業)と言えるものになるのかもしれない。

④多様性を持つ地域とそのネットワーク 〜 ストラクチャー

 都心や郊外の各々のエリアで、異質性との出会いや静と動のコントラストなど、豊かな都市の体験を生み出すためには、(大きく)移動しなくても多様なアクティビティ・体験が得られる単位空間が求められる。新型コロナによる移動の変化、交通による環境負荷の軽減などとの相性もよい。世界でもパリやメルボルンなど、様々な都市で「15分〜20分都市」の試みが始まっている。生活圏の基本単位としての徒歩・自転車圏はもう一度見直されなければいけない。
 一方、都市構造として見ると、都心と郊外ではイメージは少し異なりそうだ。都心では既に高密度に整備された市街地とインフラがある。個々のエリア内ではバランスをとるよりもむしろ個性化を進めて「尖らせ」ながら、インフラと周辺を変えることで重なっていく「プラスチックチェーンの玩具(昭和の子どもしかわからない?)」の様な構造が考えられる。一方、郊外では、全体的な低密度化と、空き家・空地への新機能導入やテレワークの進展などにより、自然や農地などの「海」の中に、一定の多機能性を持つ「島」ができて鉄道や主要道路でつながる「アーキペラゴ(群島)」構造がイメージされる。

⑤経済の新しい循環 〜 サーキュレーション

 経済は未だによくわからない世界なのだが、現在の形が画一的かつ略奪的であるという違和感はずっと拭えない。都市の開発で言えば、容積率に代表される「量」の価値観であり(デベロッパー内でも悩んでいる人は居る)、社会的な流動性を阻むまでに偏ってしまった過剰な富の「集中」などであろう。GDPに代表される様な量ではなく「質」を重視する、定常社会に向けた経済体系が(少なくともオルタナティブとして)定着してほしいものだ。
 本シリーズの最終回では「豊かなネットワークがない人にはお金が大事」という言葉があった。また、経過ではクラウドファンディングにより再生したハイラインの事例、シェアリングエコノミーをテーマとした回もあった。場所はまだ限定的だがエリアマネジメントの様に地域での収益を維持管理に還元する仕組みも進みつつある。これらの延長線上にヒントがあるように思える。

おまけ:都心・郊外の都市構造イメージ
(ちょっとつくる時間がなく借り物で近そうなものを…)

画像1

都心のイメージ「プラスチックチェーンの玩具」、
ここに各エリア(リング)をつなぐインフラが入ってくる感じか

(https://media-01.creema.net/user/158534/exhibits/4097660/2_1170b3b1591929e526cb5502f959d4b5_583x585.jpg)

スクリーンショット 2021-05-30 14.28.48

郊外のイメージ「アーキペラゴ(群島)」、
各々の「島」はさらに水路(インフラ)で結ばれる

(https://www.planning.vic.gov.au/policy-and-strategy/planning-for-melbourne/plan-melbourne/20-minute-neighbourhoods)

■誰が「ワクワク」するのか/をつくるのか?

 もう一度ふりかえり、このような論点がクリアされた先に本当に「ワクワク」は待っているのだろうか。
 建築家や都市プランナーなど、従来型の専門家の役割はどう変わるのか。これらの動きの先にある都市のビジョンを描けるのか、その実現に向けた制度設計を、定常化する社会や脱成長型の経済もふまえて描けるのか。規制や事業レベルでの変化が進むほど、根幹となる法制度、とりわけ成長期の都市形成を支えてきたゾーニング制度(用途・容積)といった本丸も考えざるを得ない。都市計画法50年・100年の節目であった2018〜2019年、少なくとも法レベルで抜本的な変化は起きなかった。2025年(まで)にはどう変わっていくのだろうか。
 一方、ニューヨークのハイライン、空き家・空室のリノベーション、里山の再生など、プロジェクトベースでは個々の先導的な取り組みは実現されている。また、最近20〜30代からは都市を「ハック」するという言い回しをよく聞く(既存の枠組みを変革するのではなく、隙間をうまく活用しながら、自分の趣味嗜好で都市を使い倒す、そんなニュアンスだろうか)。行政の方でも、各種の特区、規制のサンドボックス制度など規制緩和に向けた各種の取り組みが始まっている。都市のユーザーやプレイヤー、行政も前に進んでいることは間違いないだろう。この様な動きの積み重ねが都市を変えていく力になるのではないか。これを、都市プランナーや都市を楽しむ生活者に続く、第三の意味での「アーバニスト」(活動を通して都市を変えていくプレイヤー)として捉えたい。彼らの動きが都市計画の専門家を突き動かす時、大きな動きが生まれるハズだ。その時に「ワクワク」は東京中に広がるだろう。そのために小さな「ワクワク」を見つけ、創り、大事に育てていこう。

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