「漁港の肉子ちゃん」怪文書ー「望まれて生きる者の見る景色」は健康にいい(一部対象外あり)ー

ご挨拶

#みんな望まれて生まれてきたんやで 」というコピーに対し,
望みって呪いなんやで,,そんな早々から呪ってやらなくたってええやん,と返す.

そんな社会不適合の落第生がこの映画を楽しむまでのいきさつを,作文の練習代わりにNOTEで書き散らそうかと思う.駄長文失礼.

端的に言えば「摂取しやすくなるよう意匠が込められており名作,とはいえ所詮は幸せ者の見る世界真にしんどい人には受け入れがたいのでは」的なこと.

広告に出る範囲の内容には具体的に触れるかも.それでは行きます.

第一印象は「うかつな地雷」

最初に述べたとおり,この映画を語るうえで欠かせないキャッチコピー「#みんな望まれて生まれてきたんやで」.

キッツイ.これだけ見れば,とはいえ.見た後ガラリと印象が変わる,と分かった今でも少しキツイな.呆れていったん生えた草が枯れて荒野が完成するレベルのド・直球

当然ながらあまたのツイッタラーから辛辣な言葉をいただく羽目になる(参考元)が,かくいう俺もそれらツイッター論客様の言説に首を縦に振るタイプの人間であった.

不特定多数,それもツイッターのようなユーザー環境に放つにはあまりに「明るい」!「明るい」文言の中でもテンプレ中のテンプレ,ド定番.

勝手なお世話や!そもそもそんなわけないやろ.ま,よくある「お涙ついでにヒット稼ぎ」かな,ただ見もせずに文句言うのも品がないし傍観安定かな...

広告を見た時の発想といえばこんなものであったし,後述する通りの数多くの好意的な感想がなければここで止まっていた.


相次ぐ「名作だ」の声

前述の通りの感想でいったん済ませていたものの,ふとした時に気になりもう一度検索した際の評判は想像を超えたもので,「泣ける」「感動した」などのよくある感想,制作に大きく関わった明石家さんまを信仰するような声はさておき,俺の目を引いたものは「「#みんな望まれて生まれてきたんやで」に反感を抱いた人こそ見るべき」という声だった.

俺のことか.それじゃぁ気になっちゃってもしょうがない.

多少明石家カルトのにおいも感じざる負えないとはいえ,具体的な悪評が全くと言っていいほど立たないのも興味深く感じた.

カルトの力で評価を上げようとする映画にも,必ずどこかでちゃんと見たうえで正当な評価を下す人がツイッターにはいるもので,キンコン西野や細田守がいくら舌先三寸や見栄えのいい背景などで映画の評価を嵩増ししたとしても,必ずどこかで「世界観がつぎはぎ」「親子/女性観がグロい」と結局は中身で評価される.そういう話も出てくる様子がない.

もしかしたら,確かに名作なのかもしれないし,そうだとすればこのまま見ない場合,自分の価値観の改良という大きな機会を損失しかねない.そう思った.


作品に対する感想


足りない脳をこき使って駄文をしたためるうちにそろそろばててきたし,いろいろなシーンにそれぞれ思うところがあったので,この箇所は箇条書きで失礼しようと思う.ちなみに公式によるあらすじはこのページに記載されている通り.ここに書いてある箇所には具体的に描くかもしれない故,先にこちらを読むことをお勧めする.
(参照元:https://29kochanmovie.com/introduction/#story)


・年端もいかない子供を連れまわして一時惚れただけの甲斐性のない男を追いかけまわすのはどうなんだ,肉子.ただこれはこんな状況でも喜久子を手放さないのと同列の「肉子の善性,本性の尊さの発露」によるものと解釈したので,これ以上突っ込まない.
・サッサン,いくら身寄りのない親子を匿って優しさを見せたとしても,飯屋がそれを言っちゃあみんなパァじゃないのか.自分の提供するもので腹を痛めないように心がけるのも飯屋の仕事だろう.
・女子グループのギスギスの,小学生らしい純粋かつ無慈悲な縄張り意識がとってもリアルで小坊の頃の生きづらさを鮮明に思い出した.いやーきついっす
・二宮の生き方,考え方にあたる部分には個人的にうらやましさ尊さを感じた.「しれっとキク子と仲良くなっちゃって,かぁーうらやましい!」とかそういうことではなく,もっと根本的な部分で.自分に対していい塩梅に肩の力が抜けているというか,少なくとも俺はこう正しい姿勢で生きてこられなかったな,と思うというか.
・ここまで重箱の隅をつつくような,逆張りじみたたことを書いてきたが,これもすべてこの作品の持つテーマを補強する形でかかわってくると個人的に解釈したからだ.こういう逆張り厨の心にこそ,最後にこの作品が示すものは深々と突き刺さる.
・CMなどでたびたび,黄色い背景で肉子が目を輝かせて笑顔を作るシーンを見かけた諸氏も多いと思うが,あれを本編の流れでみるとかなりクる.自分ですら胸が苦しくなり嘆息が漏れそうになるところをなんとかこらえたところだった.

これ以上あれこれ書きたいところだが,ネタバレは避けたい(すでに避け切れていないのではという懸念はある)ので言及はあえて避ける.機会を見つけて観てくれ.俺は勢い余ってパンフと原作を鑑賞直後に買った.それくらい素晴らしいと感じた作品であった.

「一部対象外」(途中で話が大幅にそれる,飛ばしていただいて結構)

ここで俺が題名に「一部対象外」と記したことが気になる諸氏もいるかと思う.そんなにいい作品ならみんな見りゃいいじゃない.みんなハッピー!ラブアンドピース!…とは,俺は思わない.

この作品の主人公,キク子の歩む美しいストーリーにおいて,キク子のよくできた容姿や周囲の人間の善性によって良い方向に進む展開は少なくない.身も蓋もないことを言ってしまえば,要するにこの筋書きは「望まれて生きる者の素質がすでにある」ものの進路なのである.

こういうものを敏感に感じ取ってしまい,その上トラウマとなっており,冷静に見切れない人にとって,この作品はしんどいと俺は考える.

というか,そういう人はそもそも人間ドラマは全般的に得意になれないのではないだろうか.そういう人々の場合,仮想母親理解のある彼君ぬくもりある人肌よりむしろ,冷たく乾いた殺意の棘意味不明の展開が醸成する意味不明な笑いの方が癒しとして機能するのではないかと,俺は経験則で考える.

そもそも人間で疲れているときに人間で癒そうとするのがお門違いとすら俺は考える.発想が二日酔いに迎え酒で応じるアル中ではないか.いうなれば「人間ドラマ厨」といったところか.(ここから無駄話,しかも長ったらしい)

例えば,アメリカ映画のようにしっちゃかめっちゃかに人死にが起こるようなものは痛快だし,インド映画で大規模ミュージカルやサプライズのプロポーズよろしく大人数で踊り散らかすさまも愉快だ.

もし血をまき散らして萎びた死肉が無気力に捕食者の咀嚼に応じるようなリアルなグロさをご所望であれば俺にいいアイデアが一つある.「新世紀エヴァンゲリオン」を見ろ.あくまでも「新世紀」「ネオン・ジェネシス」の方だ.こっちの方が明らかに生々しくてサイコーにサイコである.キモチエエ‼

例えば,対サキエル戦において無残にも頭部を貫かれた初号機からヤケクソのような血圧で血しぶきが飛び出したのを見て俺はぶったまげ,恥じらいを覚えた.それはまるで女の裸を見たうら若き少年のような,自分がその魅力におぼれてしまうと悟った時の取り繕いとしての恥じらいであった.初号機はその後,自らの本能を開花させ,サキエルに対して凌辱的なまでの圧倒的暴力を浴びせかける.雄たけびを上げた初号機が画面に向かって大きく跳躍し一回転しながら飛びかかる様は,青紫色の人型に押し込められた恐怖が,人間の手の届く範囲から大きく外れた存在が,今この時を以て覚醒したのだという確信をもって俺の心をとらえた.サキエル自身の肋骨を以てしてウルトラマンタクヤのバキバキ腹筋よろしくそのコアをボコボコに殴りつける初号機に対し,万策尽きた様で自爆を敢行する第3の使徒に対し「逃げるなァァァァ‼」と頭を抱えたのが懐かしい.
(実はここまでであればyoutubeで無償で実際に見ることができる.自分の目で実際に確認してほしい.参照元: https://www.youtube.com/watch?v=imGBVWHM_Bs&t=1039s)

例えば,対ゼルエル戦における真の見どころは捕食シーンであると俺は考えた.覚醒した初号機のディテールに人間のような歯と表情を発さない真円の眼球を採用した制作側に,俺は可能な限り最大級の賛辞を贈りたい,勝手な話ではあるが.人間の科学の粋を,怯えるさなぎの繭のように幾重にも被せたジオフロント,それを無慈悲にも焼きつくし切り裂いた最強の使徒を,それですらあっさりと屠り去り捕食するーリリスの子らも,アダムの子らですらも,その「絶対」の往く道を阻むことは遠く叶わないーそれだけの絶対的な力を帯びて新生した神の姿はあれでこそ説得力を持つというものだ.

例えば,プレハブ小屋を思わせる真っ白な巨躯,対照的に原色の赤で塗りこめられた唇,下卑ただみ声のエヴァ量産型は,従来より人間に近い体形でそれらと刃を交える弐号機の,いつになく鈍重で肉が揺れるようなもたついた動きは,そのあとの絶望的で無機質,人間たちの一派が成功を望むだけの作戦のためにやすやすと実行される処刑を予感させるようで,鎮魂歌のそれに近い安らぎすらも感じさせるようであった.

.........無駄話が過ぎたので,このあたりで〆にかかるとする.


要するに

序盤でねちっこくいじくりまわしたキャッチコピーについてであるが,「肉子ちゃん」のようにしっかりと愛情について力強く具体的に描かれた作品だからこそ,「みんな望まれて生まれてきたんやで」という言葉は,確かな輝きを帯びて観る者の前に立ち現れるのだろう.

しかし,原作の「肉子ちゃん」を知らずにいる者は少ないわけではない.その相違がタグをめぐってちょっとしたボヤ騒ぎを起こしたのではないだろうか.

もう一つ何か書くとするのであれば,広報側が明石家さんまをごり押しし過ぎである.さんま自身だって,自分が面白いと考えたものを勧めたい一心で転がし始めたプロジェクトだろうに,自分の名前ばかりで宣伝なんてされたら気まずくなるのではないか.

繰り返しにはなるがこれは名作であった.機会を見つけてぜひ見ていただきたい,とだめ押しの布教を以てこの怪文書の幕引きとさせていただく.

#映画

#感想

#漁港の肉子ちゃん

乞食でいうところの空き缶故,裕福な酔狂向け