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混沌の落胤は水とともに地に満ちて(2)

『魔狩りの騎士』は男の問いに答える様子も無く、男の剣を握る手と、騎士の四肢に強張りが生じ始める。

腐肉と獣のおぞましい血で汚れた水面は凪ぎ、風化し、まるで虫に食い荒らされた臓器のように至るところを穴だらけにした建造物を冷ややかな空気が通過し、微睡む白痴の呆けた唸りのような音を響かせる。

心臓が脈打つように、水面がうねりはじめた。

騎士は水没した遺骸の脊椎を拾い上げ、逆袈裟の軌跡に薙いだ。男は避ける。黄ばみ、苔でぬかるむ脊椎は水を断ち、アスファルトに傷痕を残し空を斬る。軌道が変化し、男の顔面を捉えんと猛追する脊椎。男は自らの長剣で受けて、刃を滑らせ騎士との間合いを詰める。

騎士は、男が踏みつけていた得物の柄を蹴り上げ、男と自らの間に割り込ませる。刃と刃が重なる瞬間、得物を掴み、鍔迫り合いの姿勢へと転じる。

即席の二刀流──聖ランスロットの修道会を源流とする『魔狩りの騎士』は、得物を選ぶことなく使いこなす。木の枝であろうと騎士からすれば剣として振るい、肉を裂き骨を断つことは難しくない。

 騎士が手にした脊椎はしなり、ビュウ──と風を切りながら男の左顔面目掛け唸る。男はランタンで受ける。青白い炎は微動だにしない。騎士の剣と男の剣は擦れあい、金切り音を響かせる。2人は互いに間合いを取り、次いで、剣擊の応酬が始まる。

乱舞、乱舞、乱舞──。銀の軌跡が飛び交い、絡み合い、火花が水面に幾度も咲いては散る。触れれば魂散る死の舞踏は、騎士の剣が男の腹を貫いて終わった。

鮮血が剣を伝い、汚水に新たな彩りを添える。

騎士は男を捉えたまま、脊椎の即席剣で首を跳ねんと振りかぶる。

ランタンの火が膨張し、獣の遠吠えのように燃え盛る。

刹那──。

騎士の剣が折れた。男の腹に刺さる刃先は瑞々しく濡れた臓物の触手が絡み付き、それがへし折ったのだ。バランスを崩しながらも、横薙の一撃を放つ騎士。男は膂力を増して、蝿を叩き落とすかのようにそれを払う。

脊椎は砕け、それを保持する腕に力が伝わり、肉が裂けて、骨が千切れ、引き絞られた弓の如く彼方の建造物まで飛び、コンクリートの染みになった。

男は剣を支えに、水面に膝をつきそうになるのを堪えた。

死体を撹拌するような不快な音を立てて、傷口から剣の残骸を吐き出した触手は、熱を伴い膨張し、傷をふさいで出血を防ぐ。男が『狩人(ハンツマン)』として為ったゆえに背負う代償の一つだ。

『魔狩りの騎士』は、僅かな肉片がこびりつきむき出しになった骨を気にすること無く、折れた剣を正眼に構える。

男──『狩人』は未だ剣を杖代わりにしながら、瞳は騎士を捉えて離さない。

潮の満ち干きのように水面は揺れる。

寄せては返し──寄せては返し──寄せて、寄せて、寄せて………。



『狩人』と騎士が違和感に気づくと同時に、ビルが積もった灰の如くなだらかに崩れ、隙間から鉄砲水が、飢えた狼のように迫る。

街灯を、錆びてフジツボや触手が絡み付く車を、眼窩の隙間から蟹を生やす髑髏を喰らうように呑み込みながら、二人に迫る。

地震のごとき揺れに堪えきれず膝をつく『狩人』、そして意に介することなく、水面から瓦礫へ、瓦礫から分断された高架橋へと跳躍する騎士。

『狩人』は騎士を追おうとして、敢えなく水に呑まれる。

天地が流転し、左右が撹拌され、光と闇とが乱反射する水中で、『狩人』は踠き、そして水圧の暴力に曝され、猛スピードで渋谷の廃墟を通過してゆく。

目に写るのは、かつて人々を受け入れていた施設の残骸。富裕層で賑わったはずの、今は浮浪が隅々まで寄生したホテルの残骸。過日のハロウィン、自らの将来に無責任なまでの希望を抱き、蒙昧に明日が来ることを信じきっていた人々の残骸。

スクランブル交差点。砕かれ、巻き上げられ、とぐろを巻く蛇のように空に漂う109ビル。

川を経由し、冠水を通じて渋谷の中心に流れ込む『うみ』。

そして天地の狭間、渋谷の中心に巻き上げられ、固まる水を吸い上げ、空と汚水と理性と空想のヴェールの彼方で蠢く、肉と触手と鱗と羽に包まれた『存在』。




『狩人』の意識は、そこで途切れる──。

【つづく】

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