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混沌の落胤は水とともに地に満ちて(4)

『狩人』はカンテラを手に、少女へ向かって翳す。蒼い炎はただ揺らめき、心拍のように収縮するだけだった。

「"子孫送り"か」

『狩人』は呟いた。

「水に浸かってたら、こう──なった」
「気休めにしかならんが、自我を保てている分まだマシだ」

  少女の喉がきゅる─っと鳴る。『狩人』は剣を取る。騎士と打ち合ったせいか刃こぼれが目立つそれを背負い、立ち上がる。少女は目で追いかけるだけで、微動だにしない。

「君が、おれを?」
「"避難所"に流れ着いてきたんだよ、アナタ。怪しい格好で、そんな武器持ってるからすぐ"ハンツマン"って判った」
「──『狩人』を知っているのか」
「去年、バケモノから守ってくれたんだ」



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渋谷川から氾濫した海流と、時を同じくして跋扈する『獣』により崩壊したビル群は、いびつに接合し、マンションの廊下とビジネスホテル、複合商業施設の通路が繋がり、ダンジョンの様相を呈している。

『狩人』は少女を伴い──尤も、ただ『狩人』のあとを少女が着いてきているだけだが──黄色い粘菌と、鈍色の黴と、赤褐色の錆が彩りを添え、以前は別々の構造体だったであろう断裂を繋ぎ止める、肌色の肉肉しい鎹が痙攣する回廊を歩く。

雑菌や負の感情を含んだ空気と、割れた窓から入るむせ返るほどの潮の香りが混ざり、灰色の空間にさらなる陰を落としていた。長靴の音と、石畳に張り付いては離れる裸足の肉音が、先の見えない闇に向かっては戻ってくる。潮汐のごとく。

「三年前のハロウィン、何があったか覚えているか?」

少女は首を横に降る。肉厚の触手が震えた。

「わたし、あのときは渋谷に居なかったの。友達がハロウィンに行ってて、それで……さがさなきゃ──って」


「スマホ、ライン……使っていたのは覚えてるけど、もう、使い方がわからないの。お父さん、お母さん、どうしてるんだろう──。どこに居るんだろう……」



『狩人』が焼き印と共に受けた"知識"曰く──。

『うみ』が満ちると、人々は招かれたかのようにそこに集う。

冠水し、『獣』や『魔狩りの騎士』がうろつき、文明のよすがすら死に絶えようとする渋谷の住人は、今やハロウィンの日に肉親や友人を喪い、招かれた者ばかりだ。

ある者は少女のように『うみ』の祝福を受けて、『子孫送り』を施され異形のモノに変貌するか。或いは、人の形を保ちながら何処かに引きこもり、『獣』に狩られるか、餓えに狩られるか──。




暫く歩くと、開けた空間にたどり着いた。元はフードコートだったのか、カラフルな椅子や、黒ずんだスポンジとバネがはみ出た蛍光色の長椅子、ひび割れたカウンターに黴や汚れでかすれ、最早写真も文字も読めない品書きが散乱している。

椅子や壁際に、少女と同じく薄汚れた襤褸や統一感のない、身体を隠すことのみに重きを置いた衣服を纏う人々がいた。

一際目立つのは、部屋の中心にそびえる支柱の麓で横になる『何か』だ。

『子孫送り』になった"それ"は、男女の区別をつけることすら難しい。右手は身長に匹敵するほど延長し、先には蹄が黒々と輝く。

右足は外骨格に覆われ瑠璃色の粘膜が彩る。左手は甲殻類のような鋏が喘ぐように痙攣していた。

臀部は退化し、虫のような腹部が延びており、顔は馬の特徴を備え、知性の輝きなど失せて混沌に濁る双侔は真横に移動していた。

鼻や口は延びきり、嘴と化し、半開きな口からは涎と、蛙のような長い舌と、琥珀色の第二小顎が飛び出していた。


「見ろ、『子孫送り』が酷いとああなる」
「『子孫送り』って、何なの?」

少女の問いには、嫌悪も恐怖もなく、ただ白痴のごとき響きのみが伴う。

『狩人』は割れた窓を顎で指した。水で腐食した土と、磯の匂いが混じり合い、手招きする死神のごとく建物に入り込む。

「きみは、『うみ』について何処まで知っている?」
「──『海』は、しょっぱい水。魚がいて、波があって、それから……怖い」
「……今の渋谷を充たす『うみ』は、『膿み』であって『海』じゃない」

地球を囲うように充ちた『うみ』。

地球とは、かつて宇宙を支配していた『あの存在』の死体であり──『うみ』はその死体から染み出た膿みに他ならない。

『うみ』は生命の情報を収集する端末であり、『あの存在』の後継たる生命を育むための揺り篭でもある。

人を拐って、情報を抜き取り、情報を植え付け、地上に還す──。水死体が膨れているのは、植え付けられた情報に耐えられず、肉体が壊死するからだ。

稀に、植え付けられた情報と肉体が融和して、異なる生命の特徴が顕れた人間もいる。

「──だから『子孫送り』なんだ。先祖返りではなく、無理矢理異なる種を後継へと変質させる」

少女の喉がキュル──と鳴った。石畳に張り付いては離れる裸足の音と、都市の構造物を浚って打ち返す潮汐の音が混じり合う。

少女の金色の瞳は、曇天と朽ちて行く摩天楼、錆びたバニラ高収入のトラックが水に呑まれる様と、その上を飛んで進む『魔狩りの騎士』を見つめていた。

【つづく】

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