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混沌の落胤は水とともに地に満ちて(5)

瓦礫、電柱、倒れた看板、瓦礫、朽ちた軽自動車、電柱──道なき道を、『魔狩りの騎士』は跳躍する。

水で満たされた道玄坂の対面にある廃墟ビルには、別の『魔狩りの騎士』が朽ちた柱を縫うように進む。崩れた壁から跳躍し、今や雑菌や苔の住み処と化したバスに着地した。

2騎の眼前には、道路を満たす水に囚われることなく疾駆する『獣』。粘液に覆われた触手や、枯れ枝のような腕がたてがみのようにうねり、そこから鹿の角のごとき曲がりくねって、しなやかな堅さを思わせる四肢が生えていた。

騎士らは手にした鐘を鳴らす。澄んだ音色ではなく、板金を金槌で叩くかのような雑音が、伽藍と化した渋谷に響く。

祝福された隕鉄にルーン紋様を刻んだ鐘の音は、異形の『獣』に対して効果がある。いずこかにあるだろう脳幹に、管を刺して焼けた鉄を溶かし込むような痛みや圧迫感に教われた『獣』は、頭部であろう部位をグネグネと振り回し、黄身を帯びた涎を撒き散らし、苔むした腐りかけの街路樹や、塗装が剥げて赤錆にまみれた標識にぶつかり、破壊しながら猛然と道を行く。

 騎士らは抜剣し、剣に刻まれたルーンを起動させる。『猟犬』と『飛燕』を意味するルーンは鮮やかな緑に発光し、抑えきれぬ殺意を顕すように震え、鍔をガチャガチャと鳴らし始めた。

弩のように真っ直ぐ投擲された剣二振りは、『獣』に追従し、物理法則に捉らわれることなく、空中で直角の軌跡を描き、『獣』の脇腹と背中に突き刺さる。

まるで聖歌隊のごとき多重の悲鳴を撒き散らし、その圧で古びた構造物を粉砕しながらも、『獣』は足を止めることはなかった。剣は尚も身を震わせ、『獣』の体幹へ突き進まんと、獣の柔い肉を少しずつ削いでいく──が、絡み合う肉厚の触手と腕により阻まれ、致命の一撃とはなりえなかった。

騎士は激しく鐘を振るい、より耳障りな祝福の音色を『獣』へと施す。獣は身を震わせ、膨張と収縮を繰り返し、なお暴走を続ける。

そして──

朽ちた光なき摩天楼の隙間から、銀と輝く緑の軌跡が飛来し、『獣』と地面を縫い止め、追従するかのように空気を引き裂く轟音と、うねる大気の衝撃がアスファルトを砕き、汚水を弾き、亀裂と飛沫の華を咲かせた。

巻き上げられた水に濡れておぞましく照り返す『獣』の体には、全長の半分を穂先とした大槍が突き刺さっており、禍々しいルーンが緑に光っていた。痛みと槍から逃れようと、『獣』はやたらに踠き、触手と腕がうぞうぞと水面を打ち付けている。

騎士らは『獣』に注視しつつ、大槍を投擲したであろう人物の為に、場を保守していた。

跳躍と着地の音を響かせ、大槍の主がふたりのまえへ現れる。『魔狩りの騎士』の甲冑──しかし刻まれた精緻な紋様は金で染め上げられている──を纏う『魔狩りの騎士長』は鐘を鳴らし、ルーンを起動させた。

緑の炎が迸り『獣』の血液を燃料とし、内側から焼いてゆく。体を覆う粘液は沸騰し、水を含んだ肉体は異臭と蒸気を撒き散らしグネグネともがく。

角笛の音を幾重に束ねたような悲鳴を上げて、やがて『獣』はその命脈を断たれ、肉は燻る灰と化して水に溶けて行く。

「騎士長」

騎士の一人が恭しき響きを以て呼ぶ。

「──代々木が陥落した」

騎士長の一言で騎士らの兜から息をのむ音が聞こえた。

「早すぎる……」
「前の"降臨"よりも『獣』や『子孫送り』も増えています。よもや──」

騎士長と、騎士らは渋谷の中心地──瓦礫と汚水を巻き上げて、揺籃としている『あの存在』を睨み付けた。

「今回こそ、復活するかもしれん」

灰と混じりあい暗く濁る水面から、二振りの剣が騎士らの手元に戻る。握る手に力が入る。騎士長の呟いた復活──かつて、この地を支配していた恐るべき『旧き支配者』が黄泉還らんとしている事実に、恐怖と怒りが込み上げている。

『魔狩りの騎士』の本懐、いずれ来るであろう邪悪なる者の復活と凱旋を防ぐべく、闇よりその兆候を絶つ──。しかし今回は渋谷の惨劇から今に至るまで悉く後手に回っていた。

『騎士長』は『獣』と『子孫送り』の増加に懸念を抱いている。かつて世界を幾度も襲った災害──デヴカリオンの洪水から始まり、アトランチスの沈没やモヘンジョ・ダロの核爆発、歴史に刻まれた大地震、ツングースカ大爆発、関東大震災、スマトラ沖地震──その度に『獣』や『子孫送り』が見つかり、『魔狩りの騎士』の掃討や、いまいましい『狩人』らの暗躍を経て、闇に葬られ、やがて地域の伝承で語られる怪物や幻獣として記憶されながらも、悪しき『旧き支配者』の復活に至らずに済んでいた。本来なら、事態を収拾できる程度の数しかそれらは発生しなかったのだ。

しかし今回は明らかに手に余るほどの『獣』と『子孫送り』が発生している。まるで、何らかの意思を以て生み出されているかのように──。

「……騎士長?」

その一言で、物思いから引き戻された『騎士長』。山背のように、崩れたビルの隙間から腐臭や黴臭さを含んだ冷たい風が外套をはためかせる。

「あの『獣』、何処かに向かっていたようですが……」
「──検討はつく」

槍を引き抜いた『騎士長』は、穂先で彼方を指した。

「ビルを飛び回っている最中、進路上に見つけた。……"獣溜まり"をな」




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『騎士長』らは、確認された"獣溜まり"に向かって行軍する。途中、千駄ヶ谷に派遣した一個小隊が合流した。千駄ヶ谷も汚水に沈み、生存者の存在も絶望的であることが分隊長より語られる。

電力の供給もなく、墓標のような廃墟が立ち並ぶ渋谷区は暗く、しかし、穢れを懲りかためたような空には星が煌々と輝き、水面がそれを照り返し、まるで奈落の道行きのように陰鬱な青白さで行軍を照らしていた。

暗黒の空に瞬く星々は、邪悪なる暗黒の眷属らの魂であり、自らの遺骸たる地球へと舞い戻ることを夢見て、夜空を駆け巡る。『うみ』に潮の満ち引きが起きるのも、分かたれた魂と肉体とが互いに引き合うが故──。

そして、その一部は三年前、渋谷ハロウィンの日に最も肉薄し、渋谷区の中心地で蠢いている。

だが、すでに死した肉体に魂が戻るのは不可能だ。これは神ですら逆らえない、この次元に属する存在全てに定められた軛だ。

では、『あの存在』は渋谷区で何を?

『騎士長』の中で、現在の渋谷区と『あの存在』の目的をつなぐ糸が繋がりそうになった、その刹那──。

「騎士長!」
「!」

皆が歩を止めた。


交差点のビルの合間を塞ぐように、『獣』らが互いの体を触手や四肢で繋ぎ止め、体を覆う粘液が完全に乾き、硬質化し、歪なハニカム構造を整える。濁った琥珀色の壁の中には『子孫送り』にされた人間らが、標本の如くひしめきあい、もはや知性のよすがすら完全に残されていない、濁った眼は反射的に蠢き、騎士らを捉えながらも、生存を示すかのように時折瞬きをし、蠢いていた。

完全に硬質化していない触手がうねうねと蠢く壁の一部は、水飴のように粘り、とろけ、ちょうど『獣』が内部に通れるよう、孔が空いていた。

『騎士長』らは得物を構えつつ、四人一組で内部へと侵入する。割れた卵のように天井には穴が空き、星が内部を照らしていた。

"獣溜まり"を構成する『獣』と『子孫送り』らは、ただ白痴の視線を送るだけだった。ただ、見ている。どこまでも、どこまでも──。

最奥の壁には、一組の『子孫送り』らが繭のように体を組み合わせていた。蝙蝠を思わせる羽根や、蜻蛉のような薄い羽根、蛸足や虫の脚、蟷螂の鎌や、甲殻類の鋏……ありとあらゆる生命の痕跡が粘液を膠とし、玉虫色の輝きを以て何かを守護するように包んでいた。

騎士らは抜剣し、互いの背中を守るよう四方を向く。外の騎士らは鐘を鳴らして、『獣』らを抑えるよう働く。

『騎士長』の槍が繭の隙間へと入る。ブチュリ──と、繭から透明な粘液が溢れだした。穂先で切り裂いて行く。

琥珀の外皮と様々な部位が撒き散らされ、中身が顕になる。

「──ッッ!」

明らかな狼狽と恐怖が、割れ蓋の隙間から飛び出る空気のように喉を鳴らした。



体毛の薄い、肉付きのよい四肢。

大人の掌に収まるようなちいさな手足。

つるりとした肌は血色が良く、閉じられた眼には皺一つない。ぷくりと膨らむ腹に薄い唇。穏やかな寝息。

変哲のない、ヒト科の乳児。


しかし、『騎士長』らには、"そう認識できなかった"──。

騎士らが乳児を見ると、同じく悲鳴ににた唸りが喉をついて出た。体の芯から出る怖気に四肢は強張り、震える手は剣を耳障りに鳴らす。

四肢はある。頭部もある。

しかし、この場の誰もが……乳児を"人間"とは認識できなかった。


すかさず『騎士長』は乳児に槍を突き立てる。寸分の間も無く、ルーンを起動させ、迸る緑の焔が乳児もろとも、恐らくは父母である『子孫送り』二体を焼き滅ぼした。

焔は次々と"獣溜まり"を構成するあらゆるものに伝播し、あっという間に禍々しく燃え盛る焚火と化して、毒々しい蛍光色の緑が廃墟を照らし始めた。

槍を構え、穂先を地に落とし、脂汗を滴らせながら、『騎士長』は呟いた。

「目的が、解った……」


【つづく】

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