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古河派介柔剣術作法『山背』改メ

関東七流を祖として、数多の古流が勃興して幾星霜。

時代を経るにつれて、撃剣が主流となるも古流の火は絶えること無く、老若男女の区別なく、今日にあって帯びること許されぬ刀を振るい研鑽に努める。

何故に"武"を修めるか。

曰く、"心身の研鑽"。
曰く、"温故知新"。
曰く、"見目の良さ"。

枝葉になる実のごとく千差万別。
貴賤なし──と云えるかは判らねど、刀剣の時代から銃火の時代を経て、泰平の世にあって、古流は連綿と在る。

例えば、小野日向おの  ひゅうが
矮躯可憐な少女にして、古河派介柔剣術作法ふるかわは  かいじゅけんじゅつさほうの奥秘認可を賜ったひとかどの剣士である。

学生服に臙脂の刀袋を担ぎ、物憂げな視線は眼前の男を捉えていた。

洋装に刀袋を即席の角帯として締め、腰に刀を差した剣士。鋭利な眼差しと柔和に弛む口許。左手はすでに鯉口を切っていた。


「──何方どなたでしょうか」

小野が問う。

「林原流一刀術、真崎と申します」

男──真崎が応える。
礼節。声音は穏やかに、所作は緩やかに。
しかして帯びた剣気は重く鋭い。

「如何いたしましたか」

小野が再び問う。

仇討あだうちに」

真崎が再び応える。

「仇討、ですか」

仇討──小野が記憶を反芻した。

数日前、稽古を終えて帰路についたところで与太者に絡まれたことを思い出す。

出で立ちは派手で語りも大束だが、所作は大して良くも悪くもなく、面も十把一絡げ。関心を抱くことは出来ず、ただ聞き流していた。

しかし矮躯のおなごが澄まして無視を決め込む態度に我慢がならなかったのか、大束で無価値な言葉は罵詈雑言にすり代わり、やがて殺意を剥き出しにした言葉になった。

終いには寸鉄を持ち出して刺し殺しにかかって来たため、抜き打ちの一閃で無価値な生涯を終わらせた──が、よもやこのような因縁になろうとは。男が耳元で飛ぶ羽虫程度には煩わしい疫病神の類いだった──と小野は嘆息する。

「令和の世に仇討とは、武門の習いといえど難儀なことですね」

返事はなく、鼻で笑う音が響いた。

「貴女が斬り捨てた男、確かに門人の子息ではありましたが──もとより忘八者。惜しむ命ではありません」
「では何故?」

真崎の弛んだ口から鋭い犬歯が剥き出しになった。剣気はますます鋭さを帯び、小野は刀袋を握る力を強める。

「面子の問題でもある。与太者と云えど同志の子息故、情の問題でもある。……が、何より」

真崎が姿勢を変える。腰を落とし、柄に手を添え、足運びを行える体勢を整える。

「逆袈裟の見事な一刀、この時代にあって躊躇いなき"武"の行使に至る武者、兵法者として一手指南承りたくなるは必定──!」

礼節の面は剥がれ、獣のごとき唸りが響く。
小野の眼には──どす黒い、目映き漆黒が輝きはじめる。

「──承ります」

臙脂の刀袋より石目鞘の刀が放たれ、小野は流れるように腰へ帯びた。

丸い鍔をなぞり、鯉口を切る。


両者の距離は遠く、互いに一足一刀──必殺の間合いには足らず。

改めて決斗の場となるのは、両脇を石壁で覆われた路地裏。腐った土と暗い空を蓋するように伸びる建物の狭間。両者の背中では、血腥い戦いなど露知らず、日常を謳歌する人の群れが忙しく行き交い、鳴き声をあげている。

彼方──成人男子、細身ながら鍛え抜かれた体躯に隙のない所作の剣士。

此方──軽量矮躯、細身も細身の少女。

両脇の空間に余裕がない場合、刀を振るうには、頭蓋から股関節の斬り落とし──唐竹か、股関節から頭蓋への斬り上げ──逆風か、急所への刺突つきか──。

さらに小野は真崎より低身長。ならば真崎の最適解は、振り上げて頭蓋に当たるまで時間を要する唐竹より、互いに差の少ない股下からの逆風か、刺突。

しかして、それは小野にとっても自明の理。
剣術を学ぶ身として、論理的に攻め筋を構築するならば誰でも思い付く。

では──、工夫があると見なすのが自然。
そして実際、真崎の術理には工夫があった。

いかほどの時間が流れただろうか。


──先に静止を破ったのは、真崎。

足の進発より伝導したエネルギーは大腿から筋肉をかけ登り、腕へ伝わり、鞘内から油を差した刀が滑らかに滑り出し、無拍子とともに鋭い一閃が飛びだす。

鈍く輝く銀の光は地を這う──刃筋は、逆風。

そして踏み込み詰めた間合いは人一人の余裕を残し、真崎は延びた脚を素早く踏み出す。
刀は振り切らず、水月の拳一つほどの空間を保つ。

本来ならば自らの脚を斬りかねない脚運び。しかし、真崎の工夫とはここにあった。

閉所に於いて、敢えて初太刀を悟らせ、後の先の攻め手で仕留めるための姿勢。引けば裏手に返したまま刺突で仕留め、そして──。

刹那より短い一合において、小野が取った策は跳躍。

真崎に笑みが浮かぶ。避けたならば、踏み出した逆脚の進発を以て、斬り上げる。

後の先を確実に取るため、筋繊維一本にまで落とし込んだ工夫。真崎は既に柔い肉を断つ感覚を幻として味わっていた。

──が。

跳躍する小野の姿勢。その奇異。

小野の視点で現すならば、天地は流転し足元には曇天、頂点は腐った土。逆さに映る真崎の笑み。

矮躯、そして身体能力が為せる妙技。閉所での宙返りという奇怪な跳躍。身体全体が流転する運動エネルギーが為せる技とは──。

逆転した姿勢からの、著しく速い唐竹。

真崎の斬り上げよりも早く滑らかな、雲耀に迫る速度の斬り落とし、あるいは斬り上げ。一撃は真崎の顎から頭蓋を断ち、骸へと変えた。

古河派介柔剣術作法に曰く──『山背やませ』と云う奥義あり。

閉所での多対一において、股関節のねじりを活かし、山から吹き下ろす寒風の如く瞬時に唐竹を連続で放つ技。腕力ではなく、身体の運動エネルギーの伝達を意識せねばならぬ技。

小野の矮躯、天稟たる身体能力と剣術、奥義がいかなる術理によって構築されたか、一派始祖の視点と思考を以て為る理解があって、この技は放たれた。

古河派介柔剣術作法『山背』改め、『おろし

着地、血払い。正眼に構え、数拍の後に刀を鞘内へ。手を滑らせ柄頭に。そして下へ滑らせ鍔元へ。視線は骸を収め、遠山を捉えるが如し──。

何故に"武"を修めるか。

曰く、旧くより伝わる術理、奥秘。それらが正しく現代において、"人に行使出来るか否か"──。

小野の心にはそれしかない。卑しく武を鍛え窮めた技の全てを尽くす──法も、倫理も、塵芥ほどの値打ちもない。




残心の後に、穏やかな笑みを以て真崎だったものに礼をする小野日向。

これは人の作法である。


【了】

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