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混沌の落胤は水とともに地に満ちて(7)前編

『狩人』と『女狩人』が得物を振り抜くと同時に、少女へ『獣』のあぎとが迫っていた。

鈍い銀の軌跡は迫る『獣』の肉へ猛追し、『女狩人』の斧槍は触手を、『狩人』の剣は脚を捉えた──が、刃溢れした『狩人』の剣は『獣』の勢いを殺ぐことはかなわず、少女は『獣』に咥えられた。

「おい!」

悲鳴をあげることも、表情を変えることもなく、少女は『獣』の口許に収まったまま、『狩人』らを見ていた。『獣』は触手の断面から粘度の高い黒ずんだ汚血を散らしながら、『狩人』らを一瞥もせず、下方へと落ちていった。

しなやかに汚水で充たされた道路に降りた『獣』は水の抵抗など無いように上りの車線を駆けて行く。夜闇に紛れ、素早い『獣』の姿を『狩人』らは見失ってしまった。

「くそっ」

忌々しさと自らへの嫌悪感を滲ませて吐き捨てる『狩人』。『女狩人』は『獣』らしからぬあの行動を訝しがっていた。

「喰わずに捕獲した……?」

『獣』は『あの存在』──即ち『旧き支配者』の近習であり、人間から変ずる『子孫送り』とは一線を画する存在である。

繁殖出来ぬ代わりに、人や『子孫送り』を喰らい、星に馴染んだ種の肉を取り込んで自らの楔とするのが常だった。

しかし、『獣』は『子孫送り』の少女を喰らうことなく連れ去った。あたかも、何らかの意思に導かれるように。

『狩人』は少女を助ける気でいた。縁も所縁もないが、自分の不手際で、助けられたはずの少女を助けられなかった。

弟夫婦の行方が分からなくなったあの日の無力感と嫌悪感と同調し、制御できぬ衝動に駆られる『狩人』。暗がりに飛び降りようとする様を、『女狩人』が制した。

「待ちな」
「……」

屋上の縁に手を掛けたまま止まる『狩人』。力を込めた手は、錆びた鉄製の仕切りを容赦なく圧迫し、ねじ曲げている。己の掌すら握りつぶさんと力を込める様に『女狩人』はわざとらしくため息を吐いた。

「助けるな──とは言わないよ。あの『獣』、なんで娘を喰らわずに連れ去ったのか興味があるし……」

そして、いま果たされんとする『あの存在』の降臨を控えて、埒外の行動をとる『獣』の謎を明かせば、いま渋谷に起きている事態を解決する一助になるかもしれない──と、『女狩人』は考えていた。

「助けるつもりなら、準備がいるだろ」

『狩人』の刃こぼれした剣を指す。それさえ万全であったならば、先程の『獣』も仕留められた筈だった。『狩人』はただただ己の粗忽ぶりに腹を立てた。

『女狩人』は、切り落とした触手をつまみ上げる。宿主から切り離されながら、うぞうぞと蠢く触手を、ためらいなく『女狩人』は飲み込んだ。

わずかに服の隙間から覗く喉が脈動のように蠢き、喉内の異物が体内へ、ずる……ずる……──と、落ちるさまが見て判る。そして触手は胃袋ではなく、体組織へ還元され、『女狩人』とひとつになった。

同時に『女狩人』のカンテラに灯る炎は激しく燃え盛り、まるで暗闇の彼方を指すかのように、青白い輪郭を変化させた。風前の灯のように、歪みながらも消えることはなく、蒼白の指針は廃墟の彼方──触手の主たる『獣』を指し示す。

「とっとと準備しな。終わり次第アレを追跡するよ」
「……ああ」


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『狩人』とは、ただ『獣』を狩るだけに身体を調整した、職能ではなく"種族"である。

かつて『あの存在』をはじめとした、外宇宙の神格や旧い地球の超常的存在がもたらした冒涜的な神秘を柱とし、理性を保ちながら人体を『獣』に近い形にまで調整、あるいは進化させる。結果、人間の形を保ちながら超常の身体能力と不死に近い持久力、『うみ』に対する尋常ならざる耐性を持った『狩人』が生み出されてきた。

それゆえ『魔狩りの騎士』は、その身が"魔"とした『あの存在』と『旧き支配者』に近しいモノとして、『狩人』も『獣』と同じと断じ、長らく敵対関係にある。

『狩人』が持つカンテラとは、人間であったころの名残である『魂』の具現であり、肉体の『獣』の部位を利用し、眼前にいるものが『獣』か『子孫送り』かを判断するための機能を有している。

『獣』と『狩人』が近しい業を以て産み出されたことを利用した追跡術。『女狩人』が披露したそれも、肉体に切り離した『獣』のいちぶを取り込み、同化させることで己を『獣』のいちぶと見なし、再生のメカニズムを利用し場所を特定する──というものだった。

水浸しの、苔むした道路を疾走する『狩人』達。すでに夜の闇は明けて、曙光の茜が灰色の廃墟郡を照らしはじめていた。渋谷の中心に存在する汚水と瓦礫の繭も、その水面に明々と萌える光を映し出し、なかば幻想的で、微かな鳴動すらない故の不吉さを醸し出していた。

『女狩人』のカンテラが一際激しく燃え盛り、ビルの裏手を指し示すように揺らめいた。

「近いよ」
「解った」

得物を抜き放つ『狩人』と『女狩人』。

地を蹴る。飛沫が外套を、瓦礫を濡らす。膨張した筋肉からもたらされた埒外の膂力が、飛翔したかのような推進を以て二人を跳躍させる。

韃靼人の矢のごとく、朽ちたビルの隙間を縫うように通り抜けた二人。眼前には落ち窪んだ区画と、無数の錆びた廃車、墓碑のように佇む電柱に街灯、散華のごとく汚水を彩る瓦礫の山々、そしてすり鉢の如く、固形化した粘液で鎧われた『獣溜まり』であった。

【後編につづく】

アナタのサポート行為により、和刃は健全な生活を送れます。