【雑記】お前が守りたいものはなんだ!――西田亮介、木村幹他(2020.10.08)

菅義偉政権(そしてその前の安倍晋三政権からも続いていることが明らかになった)日本学術会議への首相官邸による人事介入問題だが、フジテレビ平井文夫(どうして平井が論説しているんですか)をはじめとする一部のマスコミ(特にテレビ)や、アノニマスポストやツイッター速報などのバイラルメディア、ほかにかつての英国海軍のダイドー級巡洋艦の名を冠したものなどツイッターの右派系のアルファアカウントによる印象操作やデマ扇動がまかり通っている。

しかし私をさらに絶望せしめたのは、一部の学者のこの問題に対する「他人事」的な振る舞いである。

問題はわかっている(はず)のに、「社会運動」やら「学会リベラル論壇」の匂いを感じるやいなや一気に無関心、諦観、傍観を決め込むという「ニッポンの論客」的な態度は、ここ2日ほど採り上げた西田亮介のみならずかなり広く蔓延している疑いが出てきた。批判よりも「運動家」を忌避する”お気持ち”を彼らは優先しているのである。これが醜悪と言わずしてなんというのだろうか。

その中でも、この問題が発覚した当初から、個人的な恨み辛みを根拠に残酷なまでに傍観を決め込んできたのが木村幹である。最近はこんなことを言っているようだ。

言うまでもなく、今回の”対立”の元凶は本来想定されていない官邸による介入を推し進めてきた2政権であり、またそれが批判されるやいなや多数の印象操作や論点のずらし、そしてデマ扇動を行ってきた政権支持のマスコミと反左派のバイラルメディアである。そしてこのツイートには「お前もその一因だろうが」と思っている人も多い、というリプライがついているが、それに対する返答がこれ。

少なくとも私は学会に属していない(一応安全教育学会に所属していたことはあったがしばらく会費を払っていないので恐らく除名になっているはず。あと日本アクチュアリー会の研究会員(個人会員)だけどこれは学会じゃないはず)ので、学会に対する影響力は木村以上に「ない」。「影響力のなさ」を自らへの批判を回避する理由にするのはやめたらどうか。ちなみに私は2008年に『おまえは若者を語るな!』を出したときも、2020年の「現代ビジネス」の記事でも、批判対象に「自分は影響ないから」とかわされたことがあります。

あともうひとつ西田亮介。

私も何度も言及してきたように、西田の問題点とは政権批判を見下し、自分とは直接関わりのない事象に関心を持つこともまた見下したことにある。

そして先に挙げた西田のツイートには案の定このようなリプライがついている。

「良心の自由を奪う」「発言の自粛を要請」というのは、なぜ批判されているのか、なぜ同業の学者から驚かれているのかを理解しないものである。あと度し難いのが次の発言。

いちいち政権批判的なものに当てこすりを行わないといけないという決まりでもあるのだろうか。近年の事例を「特殊事例」として最初から除外していることに恣意性を感じる。

ここで採り上げた論客は、「中立」ぶって、いったいなにを守りたいのだろうか。少なくとも社会や政治に対する信頼性ではないことは明らかだ。こういう「論客」が多数あぶり出されてしまったことに、私は絶望を覚えるのである。


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