【雑記】「社会学」憎悪について

「社会学」に対する憎悪(本当に無知に基づいているとしか言い様がない、かつ一方的で中傷としか言い様がない)が渦巻いている。まあその流れの源流に私の『おまえが若者を語るな!』(角川Oneテーマ21、2008年)もあるのかと考えるとかなり複雑で頭を抱えたくなる気持ちである。

私が同書で批判したのは宮台真司をはじめとするポピュラー社会学で、それらを非科学的なものとして斬り捨てたのだが、そういう語りに感化された人たちが、いつしか「自分たちにとって都合の悪いことを言う連中」全般を「社会学者」呼ばわりするようになっている。どうも、他称社会学者の工学修士です。

ところでそういった「社会学」バッシングの流れは、むしろポピュラー社会学の影響を強く受けているということは指摘しておきたい。例えば表現規制反対派ムラの連中の振る舞い(例えば「強力効果論」「限定効果論」へのこだわりとか、あるいは「近代社会というのは法律に反しなければ何をしてもいい」と言って批判という行為を全否定することとか)は、それこそポピュラー社会学の代表的人物である宮台真司の影響を無視して語ることはできない。宮台真司とか、あるいは彼と並んでポピュラー社会学として語られる大澤真幸や橋爪大三郎などの主張、ないし行動様式は、(「はてな村」や掲示板、ツイッターなどの)ネット論壇や評論同人、そして東浩紀や宇野常寛などといった「批評」系の論客によってどんどん拡散されていっている。他方、実際の社会学者は本当にそういった「批評」を知らない、あるいは知っていても歯牙にかけることもない。

ところでこの雑記はこちらのツイートを見て書こうと思い立ったものなのだが、

ただ、ネットの論客気取りにおいては宮台とかはむしろ「憧れの存在」であり、むしろそういったポピュラー社会学者への批判ないしマイナスイメージの矛先を、勝手にポピュラー社会学でない社会学にすり替えてバッシングしてきたのが実情なのではないか。ネットの論客気取りには、宮台や大澤、橋爪あたりの行動様式はむしろ浸透しているのだから。

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