【ツイート転載】なぜ若年層はカジュアルに否定されるのか:「○○ハラ」言説の横溢をめぐって(2024.05.13)

この手の突然降ってわいた「○○ハラ」系言説は今年2月頃から急激に増えた印象がありますが、残念ながら(特に40~50代と思われる)左派の論客がかなりこの手の報道に乗って若者バッシングをしている様が見られて嘆かわしい限りです。

既に三木那由他氏が指摘していますが、この手の言説においてターゲットになるのは女性や若年層、さらには性的・人種的少数派が多い印象があります。とりわけ若者論においては、(特に40~50代の)左派の警戒が極めて薄く、さらに言うと「若者の右傾化」論によって「若者」を否定してみせることが左派の証みたいに勘違いしている人間も多いので、余計にたちが悪い(下のnoteで採り上げた「猫のリュックくん」なんかはその典型です)。

こういった若者論の蔓延は、とりわけ2005年にベストセラーになった『下流社会』の著者、三浦展によって、「未来予測」と称していかに現代の若年層が「異質な」存在であるかをビビッドに描き出すことに、多くのメディアが慣れきってしまったこと、また、むしろ年長者のコミュニケーション不安や社会不安の裏返しとしての若者論が求められてきていること(北田暁大「若者論の理由」(『若者の現在 文化』岩波書店、2008年))、そして若年人口の減少により「若者を叩きたい盛り」の人間が若年層よりも社会的に遥かに強い力を持ってしまっていることが挙げられます。コミュニケーションにせよイデオロギーにせよ、劣化言説の時代以降、「若者」を否定することで自分のアイデンティティを確認するという行為が広がってしまったことで、その差別性が認識されにくくなっています。

先日採り上げた津田大介氏の言説なんかもまさにそれですね。手垢のつきまくった論理で「普通の日本人」を見下すことによって被害者意識に浸ってみせる、それはまさに若者論の延長です。

改めて、この手の世代間ギャップ扇動は若年層に対する差別扇動であると強調したいと思います。我が国のメディアにおける「Z世代」の扱われ方は、むしろ若年層を「否定すること」に主眼が置かれている気がします。そして年長者の不安の埋め合わせを行うという。こういう風にカジュアルに若年層を否定することの罪深さを、本当に認識してほしいです。

※5月10日の津田大介氏の発言をめぐって。

立憲野党支持者として、後段のテンプレートは本当にやめてほしいです。そもそも安直に「教育の失敗」と言い切ってしまえること自体1990年代~2000年代の若者バッシングや(特に右派による)戦後教育バッシングによって「教育」とそれによって育った若年層が悪魔化され「教育」が「自分たち」とは異なる異質な若年層を生み出す、忌み嫌うべきものとして定着してしまった。それをいまは左派が繰り返していることが大変大きな問題です。それに「自分たち」の外の存在を「臣民」として見下す神経も、あまりにもサブカルチャー的というか、”オタク”的であり、最早この手の人間が立憲野党を支持することすら「自分たち」以外の存在を見下すのが目的なのではないかとすら思えてしまいます。

第一、後段を「テンプレート」と言ったように、この手の議論は最初から「原因」も「結論」も何もかも決まっていて、しかも読者もその「テンプレート」で「自分たち」の外の存在を見下したがっているからこの手のツイートが万バズして引用も盛り上がるんですよ。逆に「テンプレート」を批判するような若者論批判だけでなく、大学生や渋谷の路上などにおける若年層の反戦行動や、若い世代においてむしろ立憲の投票割合が上がっていることなどは、左派にとっては好都合なのに無視される。党派制よりも若者論を優先した結果ですよ。恥を知ってほしい。

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