妄想の家系図~呂氏
今まで書いてきた呂氏の系譜。ここで少し、ビジュアル的におさらいしたいと思います。呂氏家系図①は、呂氏の始祖でもある呂尚が、周王にどのように取り入って行ったかが分かります。紀元前11世紀あたりです。
(画像著作権は本note著者に属します)
ちなみに、呂尚が斉の始祖になったのは周で武功を挙げた後のことです。
次に、時代は少し進んで紀元前3世紀あたり、呂不韋から始まる家系図です。妊娠させた趙姫を、荘襄王にあてがって、産まれたのが嬴政です。
(画像著作権は本note著者に属します)
また、古代ユダヤ系の民➔羌族➔呂氏の流れから、ユダヤ人の常套手段である「どちらにも賭ける」戦略を取っている可能性が高く、呂公は恐らく呂不韋の実子だったと思います。
秦は結果的に滅びましたが、呂雉が呂氏の莫大な財力を使いながら劉邦に取り入り、前漢として中華覇権を握るのです。
こういうことを画策できるほどの傑物が、呂不韋です。先祖の呂尚がやったことを、時代が変われど実践していることが家系図から分かると思います。壮大な血の計画を、日本人は線で理解出来ません。歴史が浅いからです。中国の歴史を見てまず考えたのが、失われた10氏族がどのように中原に溶け込んで行ったか、です。
呂氏は、その中で鍵を握っている氏族であることは間違いありません。あくまでも妄想ということにしておきますが、私の中ではかなりの確信があります。
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