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何故か最近ディストピア作品を見ると心地よい

久しぶりのnote。

定期的に訪れる全てが馬鹿馬鹿しくなる病が、またぼくに訪れている。

改めて、ぼくが言う必要もないほど、最近の世界は可笑しなことになっていて、それがいろんな人の手によって膨らまされたり、転がされたりして、雪だるまのように太って汚れて、太って汚れて…
そんなふうに、ぼくには世界が見える。


最近、頭を悩ませてせいることがある。

SNSやらゲームやらをザッピングしまくる中高生のように、ぼくも長い時間の映画や読書に集中できないのだ。

これは作品の良し悪しというより、今の自分の周波数とその作品の波長がリンクするのか、に関係しているという気がする。

そして、何故かSF作品に妙に惹かれている。

SF作品といっても、宇宙人やタイムスリップやらと表面的にSF要素を被せただけの、人物描写、心情描写、人物関係の描き方が古い戦争映画や恋愛映画のままだと、さっと興味が失せる。

社会問題を提起する映画は必要だと思うけど、映画という語法を通して描く必要があるのだろうか?とも思ってしまう。

まずは、映像演出のセンス、音楽の付け方、俳優にどのくらい演技させるのかなどの諸要素がしっくりこないと中々約2時間見るのは難しい。

我ながら、わがままな鑑賞者で困ったものだ。

そんな中で、SF作品でありながら繊細な感覚でディストピア的世界観を描く作品が好きだ。
理由は分からない。見ていて安心するし、集中するからだ。

今日見て良かったのは、Netflixで見た
「ユピテルとイオ」って映画。
Netflixには、たまにこういう個人的に当たりの作品があるから好きだ。

興味ある方は是非ご覧ください。

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