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「ブレイキング・バッド」①

こんなに凄いものを作る人がいるんだ!
自分も作りたい!

という感動がこれまで自分を動かす原動力だった。
これまでの人生で、僕はいくつかの舞台作品を作ってきたのだが、そもそもコトの発端はそういう「!」を感じて、これは人生をかけるに値するかもなぁ、とその時々で感じてきたからである。

その熱狂がなければ、こんなにも不安定で、奇妙な人はがりいる芸術の世界に足を踏み込む勇気など僕にはなかった。

その「!」は若い時に海外で観た舞台作品だったり、音楽だったり、一冊の本だったり、または同業の舞台人の生き様であったりしたわけだが、久しぶりに「!」を感じたのが海外ドラマ「ブレイキング・バッド」である。

いやあ、本当に凄いドラマだった。

以下は僕個人の感想と雑感です。ネタバレもありますので、一から楽しみたい方は注意して読んで下さい。

どなたかのツイートで「ブレイキング・バッド」は「生きる」のマフィア版だというのがあったが、僕も同じことを感じていた。
黒沢明監督の「生きる」はガンを宣告された主人公が(彼は確か役所の課長だったと思うが)形骸化したハンコ仕事から一念発起して、住民の為に命をかけて働き出すという内容だったと思う。

一方、「ブレイキング・バッド」の主人公ウォルター・ホワイトは地味で冴えない高校の化学教師。誰に対しても終始気を遣い、教師の収入だけでは事足らず、洗車場のレジ係のバイトもしている。そんなウォルター50歳の誕生日に、彼は末期の肺癌を宣告される。

ウォルターは莫大な治療費を考慮して、無理に延命治療するのはやめたいと申し出るのだが、家族の、特に妻のスカイラーの反対にあい、治療することを決意する。
問題は莫大な治療費で、それだけなく家のローンも残っている、長男のフリンは障害を抱えており、妻は娘を妊娠中だ。治る見込みのない延命治療をして莫大な借金を家族に残すわけにはいかない。

そんな折に、ウォルターはDEA(アメリカのドラッグ特別対策チーム的な組織)の敏腕捜査官である義弟のハンクに付き添って麻薬の取引現場に同行する。その時にウォルターの中で一つの思い付きが浮かぶ。

「麻薬を製造して、それで稼ぐことが出来ないか?そうすれば治療費も家族にも充分な遺産を残すことが出来るのではないか?」

ウォルターは本来であれば、高校の教師などに収まる人物ではない。現に大学院の研究仲間と立ち上げた"グレーマター"という会社は化学分野である特許を取得し、かつてのウォルターの仲間は今や大富豪となっている。その特許取得にはウォルターが大きく関わっていたのだが、三角関係のもつれで、ウォルターは仲間の元を去った過去がある。

②に続く

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