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競走馬の哀しみ

ぼくは賭け事の類をまったくしないので、競馬がどういう仕組みで行われているのか、まったく知らない。

職場で暇な時間に、上司と雑談していると、競馬の話になった。

近く、オークスというレースがあり、それは3歳の牝馬達(メス)のレースらしい。
逆にダービーというのは、3歳の雄馬達(オス)のレースのことらしい。
考えてみれば当たり前だが、馬にも男がいて、女がいる。馬の世界でも、男も女も競争社会に参加しなくてはいけないらしい。
また、人間のようにオスのほうが身体的に必ずしも強靭というわけではなく、メスでもオスに負けない体格で早い牝馬もいるのだそうだ。

馬というのは400キロくらいあるそうで、その巨体をあの細長い脚で支えているので、骨折が良くあるらしい。

ぼくは上司に聞いた。
「脚を折った馬はどうするんですか?どこか引退した馬達がいる馬の里みたいなところで隠居するんですか?」

上司は渋い顔をした。
「まあ処分なんだろうな…」

競走馬は血統が全てなのだという。
先のオークス、ダービーに出場できる馬はそれぞれ18頭ずつ。
全国で生まれるサラブレッド達は4000頭くらいいて、その中の選ばれし18頭が晴れのレースに出場できるのだという。
(数字は上司の話そのままで、正誤は不明です。)

そして、彼らは常に勝ち続けなくてはならない。勝ち続けた馬は、同じく勝ち続けた馬と互いの優秀な遺伝子を子孫に残す為に種馬となる。

そんな優秀な、人からつけられた価値を認められた馬以外の馬はどうなるのか?

どこかの牧草地で、悠々自適に日がな一日、草を食む余生をおくることができているのだろうか?

そんな馬もいるかもしれないが、恐らく大半は処分されてしまうのだろう。
ぼくは自分の足りない頭で、競走馬達のセカンドキャリアを考えてみた。

観光地で馬車を運ぶ馬になる、お遊び用の乗馬は?馬から乳は絞れないのか、ウーバーイーツならぬウーマーイーツ、各ポイントに馬が繋がれていて、それをシェアして配達を行う…

まあ、どれも現実的ではない。

競走馬達は、競馬という人間の酔狂な道楽の要求に応えられなければ、もはやこの世界では生きることさえ許されない。
そして、仮に優秀だったとしても、死ぬまで、競争に勝ち続けなければいけない。

極論、役に立たなければ、経済的なメリットがなければ、下衆な言い方をすれば、金が稼げなければ、存在すら許されない。

なんて悲しいことか。

もし仮に、ぼくが馬だったとしたら、即刻処分だろう。
人も動物も、命が存在する意味はどこにあるのだろうか。

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