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自然は自然のままに

日本人の持つ自然感というものをしばらく前に考えたことがありました。

西洋の自然感というものは、自然には手を加えず出来るだけ手付かずのまま、どうしても必要な時に手助けをするというのが保護という側面ではあるそうです。

日本ではどうなのか?
どちらかというと自然は管理するもの、管理できるものという目線で考えてきた歴史があるようです。
国土に限りがある側面もあり、日本庭園や樹木との近しい関係の歴史もあって今に続いているのでしょう。

釣り人となってから、自分の通う川に手を加えられ『自然』とはかけ離れていく様子を幾度となく目にしてきました。
住宅が立つから、住民からの苦情、様々な理由で木が倒され、葦原は根こそぎショベルカーで取り払われる。
生きものは確実に必要としていた場所ではあるのでしょうけれど、中々気付かれないものなのかもしれません。


先日、飯豊町の白川湖を訪れました。
3月の寒さと雪はありましたが、それでも雪は少なく、水没林形成期後半へと差しかかっておりました。空気の冷えた森の中から、アカゲラが樹を叩くドラミングの音が心地よく響き渡っていた朝でした。

けれど真っ先に、白川湖についてすぐに湖岸の樹が切り倒されていることに気づきました。そして、水没林の形成に変化があったので、地面の土を盛ったのかもしれません。
きっと理由はいろいろあるのでしょう。
人が多く来ることによって、手前の樹や枝が邪魔だと、苦情という人の欲も聞こえてきました。

きっと、水没林を眺めるのにも、カメラを構えるのにも見晴らしが良くなったことでしょう。

ダム湖が完成した頃、40年ほど前に植えられた樹でしょうか。
樹を伐採して、樹の眺めを良くする。
少し悲しくもある。

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